3話-3

 赤髪の少女が駆けていなくなっていく。その風に煽られて自身の伸び切った髪がふわりと揺れる。部屋に残されたのは口を尖らせた金髪の少女のみだった。身体だけリタを追いかけてしまったせいでバランスを崩し、こてんと前に倒れ込む。

 サクロはジェシカのそばにしゃがみ込んだ。


「どうしたの」

「……怒らせた」


 前髪から覗いた緑の瞳は悲しみに染まっていたがそれでも気丈にサクロを睨みつけた。いいね、強気な女は嫌いじゃない。


「手ぇ貸して?」

「うるさいのう、遅れてきたくせに……」


 そうは言いつつも素直に手を取って起き上がる。華奢な身体はサクロの片腕に抱きかかえられるようにしてハァとため息をついた。

 どのようなことがあったのかは大体予想がつく。リタの過去を探ってしまったのだろう。


「ジェシカちゃん、リタちゃんのことよく分かってないのか。それもそうか」

「何か地雷があるなら妾にも最初に教えてくれれば良かったのに」

「ええ、わざわざ人のプライベートな部分を最初から最後まで? それは無理だよ」

「それも、そうじゃ」


 彼女はそれで納得したようだった。本当に申し訳ないと思っているのだろう、サクロのからかうような言動にも反応が薄い。


「妾の配慮不足じゃったな」


 まあ、遅かれ早かれこの二人の衝突は目に見えていただろう。似ているようで全く違う境遇で、似ているようで全く違う結末に陥った少女たち。リタがオフィーリアと仲良く出来ているのは、オフィーリアが長く苦境に立たされていたとリタが思い込んでいるからに他ならない。あの少女は酷く自尊感情が低く、愛に飢えている。彼女の境遇を考えれば無理もないことなのだが。


(ここらへんがオスカーくんに分かってたらな。無理か、あの子には)


 だから“兄ヅラ”なのだ、と心の中で舌を出す。ジェシカの言うとおり、彼女たちは世界に三人きりの巫女候補と呼ばれた者たちだ。きっとオスカーは、ジェシカが故郷に帰ってしまう前に仲良くなってほしくて荷作りの話を持ちかけたのだろうが、ただ甘いだけお人好しなだけで皆が仲良しこよしになれたら苦労しない。

 真っ当にぶつかって生きていこうとするからそうなるのだ。笑顔で取り繕ってのらりくらりと生きていく方がよっぽど楽なのに、弟は難儀な性格をしている。

 ジェシカは未だ落ち込んだ顔をして項垂れている。


「友達になれるかと思っておったのだ」

「まあジェシカちゃん友達いなさそうだもんね」


 これは本心だ。彼女は年のわりに早熟で強くて世の中を知っているのに、そのわりに清らかすぎる。自身の善悪の確立がはっきりしていて、それを他人に押し付けない柔軟さも持ち、何事にも毅然と立ち向かえる姿は、そうでない者たちにとっては少し眩しすぎるのだ。特に自分とはまるで対極にある。

 彼女は不快を顕にしてサクロを睨みつけた。


「お主は……」

「なあに?」

「いや、シルヴェストルもめんどうな従者を持ったものだと思って」

「ええー、なんで?」

「ふん、狐が」


 つんと形の良い鼻がそっぽを向く。呆れるくらいに綺麗な金髪が肩を滑って落ちていった。


「ううん、ヤだな、見透かされてる感じ」

「お主のことなど何も分からんわい」


 呆れたような素振りで首を振るその姿は、不似合いに大人びている。勿論、こちらだってそんなに簡単に分かられては困る。この身体には何も詰まってないのだから。


「というか妾の担当の娘はどうした。呼んでもお前とリタしか来なかったんじゃが」

「今朝その娘に辞表出されちゃって、残念ながら女手は今リタちゃんくらいしかいないんだよね、むさ苦しいことに」

「嫌じゃな〜」

「だよね〜、おれも嫌」


 事実、人手不足は深刻になりつつあった。徐々に巫女制度廃止の噂は染み出して、現実味を帯びてきている。そうなればラスキン家が崩壊の兆しを見せるのも時間の問題だった。最近の変化としては、ただでさえ少ない人数だったのに次々と使用人がやめていっている。賢いといえば賢いだろう。末端の使用人はオフィーリアの存在すら知らないのだから当然だ。

 これは、結局のところシルヴェストルにはそこまでの求心力がなかったとも言える。


「ええと、何まとめればいいの?」

「そこら辺の本と、服とか日用品……はまだいいな。あ、そこの文机も欲しい」

「欲しいって。これウチのだよ、ジェシカさん?」

「バレたか」

「まあいいけど。どうなるか分かんないし」

「冗談のつもりじゃったのだが……」


 軽い言い合いを挟みながら作業に取り掛かる。梱包紐片手にとりあえず本の山を身近に寄せた。これは元から彼女のものなのだろうが、難解な哲学書から可愛らしい絵本まで幅広く、人となりが全く知れない。


(はーぁ)


 ため息をつく。正直、こういった何も考えなくていい作業は楽だった。近頃は家だの制度だの善だの悪だの雑音が多すぎる。どうせ大きな流れは何も変わらないのに。

 何だかんだと言ってラスキン家が途絶えることはないだろう。オフィーリアがいることを考えずとも、貴族とは損切りしてのらりくらりと生きていくことが異常に得意だ。全く、ふざけている。

 そんなことを考えていたら、手に力が入りすぎたらしい。ブチンと、紐が千切れる。


「……荷造りとかっておれがする仕事?」

「きりきり働け」

「はいはい」


(そろそろ潮時かな)


 ラスキン家ではない。シルヴェストルの、である。

 自分はシルヴェストルのそばにいたという自負がある。シルヴェストルを憎み続けていると「思い込んでいる」オスカーのそばにいたというそれも。

 そろそろシルヴェストルは崩壊する。無様に惨めに崩壊するくらいなら、殺して救ってやろうと弟は思うだろう。そして、彼は優しさ故に、その決断を下せない。そこまで行ったら、その後は。


(たぶん、おれの出番でしょ)


 オスカーの憎悪は結局複雑な愛情の裏返しで、本人がそれを認めていないだけだ。オスカーはサクロを似たようなものだと思っているようだが、それは違う。サクロは巫女制度への義憤はない。ただ、誰も知らない、シルヴェストルへの純然たる呪いがある。彼の誕生から呪い続けた者の責任として、本当にどうしようもなくなったら手を下してあげよう。

 それが自身の願いでもある。多分、これで合っている。

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