3話-2

「失礼いたします」

「おお、リタ!」


 扉を開けて礼をすると、明るい声が出迎えてくれる。ふわふわのクッションに腰を下ろし、無邪気に手を振っている。陽光を集めたような金髪を高い位置で一つに結び、青色のリボンで留めている。深い緑色の瞳は華やかに蕩けてリタを歓迎してくれた。

 そんな彼女には両足がない。白い膝小僧の下からは丸く途切れている。

 彼女はジェシカという。この家にいる、もうひとりの巫女候補だ。リタはこの少女が少し苦手である。


「そんなに距離を取るもんじゃないわい。妾たち年も近いじゃろ」


 そんなことを知らない彼女はにこにこ笑って手招きする。老婆のような喋り方をしているが、実際はリタの一つ上の十四歳だったはずだ。どうしてその口調なのかという理由は知らない。


「帰郷? なさると聞いた、えーと、聞きましたが」

「敬語じゃなくていいぞ。前にも言った気がするがの」

「お家に帰るの?」

「そうじゃ」


 ジェシカの部屋はラスキン家の中でもいっとう上等な客室である。元々彼女は辺地の下級貴族の娘であり、没落寸前の家を救うため、ラスキン家に半ば売り渡されるようにしてやって来た。取引でやってきたとはいえ貴族の娘、そして何より「成功作」の巫女候補である彼女は丁重に扱われていた。

 自分のものよりよっぽど広い部屋を見渡しながら、リタは所在なさげに手を擦り合わせる。ジェシカはよほど家が恋しかったのだろう、先程から上機嫌だ。


「取引の条件は『妾がこの家で巫女候補になること』じゃったから、もう金は支払われておる。そして巫女制度がなくなるならばここに留まっている理由もない」


 幸運だった、と言って彼女は笑う。本当に嬉しそうだ。両足を失くしたのにどうしてそんなに喜ばしい気持ちでいられるのだろうか。両足を失くしても、自分の家を救いたかったのだろうか。

 ジェシカがラスキン家に来ることを、彼女の家族は酷く反対したという。行かないで、貴女を犠牲にしてまで私たちはこの家を守りたくない、私たちは貴女のことが本当にだいすきなのだから、そんな涙ながらの声を振り切って彼女はこの家に訪れた。両足を失くした直後の彼女に対面したことがあるが、その時も「ふうん」と軽い息を漏らしただけだった。


「歩けないのは仕方がないが、この綺麗なだけの部屋に軟禁されるのは息が詰まった。ふふ、でももうどこにでも行ける。母様や父様、妹にも会える。足はなくともな」


 小鳥のような笑い声が響く。

 仕方がないと、それだけで済ませてしまうなんて、何が彼女をそうさせるのだろう。リタはこの疎まれる右目を、仕方ないと一笑に付すことなどできない。


「ああ、何だか妾ばかり話してしまった。すまんのう」

「荷物をまとめた方がいいんだよね?」

「ああ。でも重いものはサクロにでも運ばせればいいんだから無理はしなくていい。わざわざ呼ばせたというのに、あいつは何をしておるのじゃ?」

「サボってたから、ちゃんとした服に着替えてるんだって」

「適当な男じゃな」


 サクロはシルヴェストル付きの従者だが、屋敷全体の統括もオスカーと共に行っているため、ジェシカとも交流があった。適当な男というのは至極真っ当な評価であるが、交友が深くない人間に無礼を働くほどだらしない人物ではないため、それはある種彼と距離が近いことの証拠でもある。


「リタは妾とお茶でもしよう」

「え、でも、そんな訳には行きません」

「何でじゃ? 元とはいえ同じ巫女候補じゃろ」

「でも……」

「いいからいいから」


 折角オスカーに頼まれたことなのにこれでは果たすことができない。そう思うが、彼女の単純な好意からの誘いを無下にもできなかった。

 彼女の座るクッションの端っこにちょこんと腰掛ける。とても気持ちが良い。彼女は上半身だけを伸ばして後ろにある机にあったティーポットから紅茶を二杯注ぎ、片方をリタに渡してくれる。器用なものだ。


「シルヴェストルが部屋に篭ってると聞いたが本当かのう」

「本当、みたいだよ。誰も入れてくれないんだって」

「ふうん。まあ巫女を作るとずっと息巻いていた男が、その望み自体を絶たれてどうなるかなんて、想像はつくがな。巫女作りは風習上仕方ないものだとしても、ルール違反は批判されてしかるべきじゃろうて」

「……仕方ないと、思ってるの?」

「妾はそう思う。少なくとも妾の家は彼奴の巫女作りへの傲慢さと浅慮に救われたよ。妾にとってはただの手段だ。巫女としての価値なんていらない。それも今回の件で水泡に帰したが」

「そう……」


 ジェシカがふっとリタを覗き込む。右頬に手を添えられて、ゆっくりと前髪を上げられた。黒いガラス玉に彼女の顔が映り込む。ぎゅっとリタの身体が強張るのを宥めるようにジェシカの細くて柔い指先が赤髪をそっと撫でた。


「綺麗じゃな。妾は好きだよ。濡羽色に見えて、その実もっと深い夜の色をしている。静謐の中にあって清廉だ」


 そんなことない。綺麗なんかじゃない。

 ジェシカがリタより百倍綺麗に微笑む。


「『妾は』シルヴェストルの所業なんてわりとどうでもいいしむしろ有り難いと思っている。だけど『リタは』好きに思っていいんじゃよ。恨むなり、憎むなり、哀れむなり」

「うら、む」


 リタはシルヴェストルを恨んでいるのだろうか。

 なんだか、それはまた違う気がする。リタがずっと抱えている悩みの根幹は、シルヴェストルが原因というよりもリタ自身から起こっている気がするのだ。


「シルヴェストルの話なんかつまらんの! 別のことにしよう」


 ぐっと紅茶を一気に飲み干す様は可憐な見た目に似合わず男らしい。リタもなんだか喉が渇いた。


「そうそう、リタもお家に帰ったりするのかえ?」


 紅茶を口に持っていこうとした手が止まる。ふわっと香るダージリンが心地よくて、吐き気がする。ジェシカはきょとんとした。


「リタも無理矢理連れてこられた口だと思っていたが、なんじゃ、違うのか?」

「そう、だけど」

「……申し訳ない、もしかして聞いてはいけないことだったか」


 聞いてはいけないことなどではない。ジェシカの言ったことは概ね当たってる。リタは無理矢理連れてこられた巫女候補となるはずの少女で、ラスキン家に買われた。でも、

『もういらない』『失敗だ』『気持ち悪い』

 巫女制度が終わってもリタは価値を奪われない。だって、元々価値なんてなかった。リタは、巫女候補にすらさせてもらえなかった。


「僕は、ジェシカ様とは違う……」

「やほ〜、ジェシカちゃん。あれ? どしたの?」


 後ろの扉が開く。いつもの格好に身を包んだサクロが気の抜けた顔で挨拶をする。リタはそれを横目に後ずさる。

 何も知らないくせに。リタが、どんな思いでここにいるか。ここにいるしかないのか。


「失礼、します」

「あ、ま、待て!」


 ジェシカの声を背に走り出す。頭がグラグラする。何も聞きたくない。嫌なことを、とてもとても嫌なことを思い出してしまう。ずっと感じていた疎外感や寂しさに答えが出される。

 そうだ。

 リタが周りの人と決定的に違うところ。

 リタには帰る場所がないのだ。たったの一人も、大切な人がいないのだ。

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