3話-1 不和と弾ける

 巫女制度廃止の知らせが来て二日目。世界はまだ変化している様子はない。

 ただこの屋敷に限っては、シルヴェストルの姿が消えた。いつもならば屋敷の支配者然と好き勝手振る舞う男がいないというのは、どこかぽっかりとした寂しさを感じさせた。この家は巫女候補がいたということもあってシルヴェストルは表には出されないものの疎まれている雰囲気が常にあった。だというのに、いなければいないで寂寥を感じるのだからリタは勝手だ。

 最近は水で皿を洗っていても手がかじかまない。そろそろ春が来るのだ。

 ふと何気なしに勝手口の窓をみると、ふよふよと球状の何かが浮いている。陽の光に当たって虹色に煌めく。

 扉を開けて見ると、そこにはサクロが座っていた。


「何してるの?」

「シャボン玉。リタちゃんもする?」


 長めの藍色髪を一つに縛って眼鏡をかけている様はおおよそ仕事をする風でない。普段のかっちりした服とは対象的なラフな服に身を包んでいる。


「仕事は?」

「ふふふ」


 笑って誤魔化す気らしい。ただでさえ人手が少ない今、彼が休めるはずはないのだが。きっとオスカーが必死に探しているに違いない。

 ふうっと息を吹き込まれた大きなシャボン玉が、晴天へと高く登っていった。と思えば、小さな虹色の塊がそれを追っていく。


「“お暇”するって言ってたっけ。それ?」

「んー、この格好はねえ、ただの怠慢」


 彼の隣へと腰を下ろす。陽の光が心地よい。サクロはシャボン玉を吹くストローを差し出してくれたが、やる気にはなれなかった。


「暇乞いしようかなって思いはしたんだけど、流石にここから出ていくわけには行かないかな。この身体だし。結局おれのいられるとこってこの家くらいしかないみたい」


 そう言って彼は半身を指した。普通に流通している服に彼の腕を出すところがあるはずもなく、無理矢理に穴を開けている。

 居られるところ、か。


「……僕には、どこにも居場所がない」


 思わず呟いた。膝を抱き寄せると、赤髪が肩から流れ落ちる。


「え〜、でもリタちゃんなら何でもできるでしょ。そこまで目立つ部位でもないしさあ。それに、ここにいたらいくらでもオスカーくんが構ってくれるよ。甘えときなって」


 そうだろうか。リタはオスカーに甘え続けていていいのだろうか。リタがこの屋敷にいられているのは間違いなく彼の情のお陰で、でもそれも、自身が「巫女候補にさせられかけた可哀想な少女」だったからだ。

 きっとリタが他の誰でも、彼は優しく受け入れてくれたのだろう。

 目の前に一際大きいシャボン玉がやって来て、ぱちん、と呆気なく掻き消えた。


「おれはコレさえなけりゃなあ。シルくん取ってくんないかな。でもなあ、意外と便利なんだよ」

「そうなの?」

「うん。本読みながらお菓子食べられたりするよ。シルくんに頼んでみな」


 そんな曖昧な利点で腕を増やす気にはなれない。リタの冷めた視線を察したのかサクロは「冗談冗談」と言って笑った。


「まあいよいよこの家にまでいられなくなったら、最悪犯罪でも何でもして……」

「おい」


 ぬっとサクロの背後に影が差した。


「あっヤベ」

「リタに変なことを言うな、サボるな!」


 肩を怒らせたオスカーが鬼のような形相で兄を睨みつけている。すかさずサクロは逃げの姿勢を取るが、呆気なく首根っこを捕まえられた。


「リタ、大丈夫か? 何か言われた? こいつの言うことは九割嘘かでまかせだと思った方がいい」

「お前お兄ちゃんのこと何だと思ってんの?」

「異星人」

「同じ腹から生まれただろ〜!」

「こんな幼児みたいな兄を持ったつもりはない!」


 言い争っている様はリタから見ると仲が良いようにしか見えないが、きっと二人には否定されるのだろう。最も、二人ともいい大人なのだが。

 サクロが冷笑する。


「お前こそリタちゃんの何のつもりなんだよ」

「保護者だ」

「ただの兄ヅラの癖に」

「な……」


 びくりと、リタとオスカーの身体両方が震える。


「なんてね、あはは」


 オスカーは何かを言いたげだったが、ぐっとそれを堪え、脇に抱えていた大きな荷物をサクロへと勢い良く投げつけた。


「うるさい、黙れ、さっさと着替えろ」

「うわっ」


 サクロがそれを器用に捕まえて広げると、いつも彼が来ている正式な服だった。普通のものより二本多い袖が揺れる。


「え、わざわざ持ってきてくれたの? 優しっ。でもおれ結局自分の部屋戻って着替えるから意味なくない?」

「馬鹿、トイレでも何でもいいだろ」

「嫌だよ、汚い。普通に戻る」

「お前……」


 オスカーが頭を抱えるがサクロは素知らぬ顔だ。


「んで、何?」

「ジェシカ様が帰郷なさるから荷造りだ」

「え、帰っちゃうんだ。それもそうか」

「リタも手伝ってもらっていいか?」

「あ、うん」

「オスカーくんシャボン液残ってるけどいる?」

「いる訳ないだろ」


 生じた不穏な空気があっという間に霧散して、いつものペースに戻る。乱れやすくてもオスカーは頼りになるリーダーだし、サクロはへらへら笑っていても何だかんだしっかりした抜け目ない人間だ。二人はどちらも、この屋敷にいなくてはならない、大切な人だ。

 リタとは違う。

 ポン、と大きな手がリタの頭に置かれる。オスカーのものより少し大きくてごつい。


「先行っといて。おれも後で追うね」


 オスカーの視線が厳しくなる。


「気安く触るな」

「ええ……何か判定厳しくない?」


 悲しそうな顔をしつつサクロはすごすごと出ていった。

 ならば自分も行こうかとリタが立ち上がろうとすると、オスカーが恐る恐る顔を覗き込んでくる。


「リタ」

「何?」

「……その、迷惑か? 色々と……」

「そんなことないよ」


 笑顔を作ると、オスカーは分かりやすくホッとした顔になった。

 サクロは勘違いしている。オスカーはきっと、リタが兄であってほしいと思っているから兄のフリをしてくれているのだ。彼はとっても優しいから。

 それ以上でもそれ以下でもない。

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