2話-1 月夜の君
王から選ばれた巫女を出した家は国から莫大な報奨金が出される。だからこそラスキン家はそれを見越して規則を破って巫女を作り続けていたのだ。そのため、ラスキン家には巫女になるための儀式が行われた少女が三人いる。実際はこれ以上いるのか、本当に三人だけなのかは分からない。
一人目はリタ自身、シルヴェストルにより儀式自体は行われたが、「問題」があって巫女候補からは解任されたただの下女。
二人目はシルヴェストルにより儀式を行われ、こちらは何の問題もなくラスキン家からの代表になると思われていた、ジェシカという少女。
三人目はシルヴェストルが儀式を行った訳ではない。ずっと昔に、別の誰かによって儀式を行われ、ラスキン家が隠匿し続けていた女性。その名はオフィーリア・ラスキンと言う。シルヴェストルの実姉で、それでいて地位を剥奪されて巫女候補にさせられた人だ。
彼女は今でも広い屋敷の一番奥の部屋で、閉じ込められるようにして暮らしている。
「オフィーリア様」
リタはゆっくりと扉を開けて彼女の名を読んだ。返事はない。気にせず部屋に入って、いつもの場所にいるはずの彼女を探した。装飾の少ない部屋は貴族のものより庶民のものによほど近かったが、その代わりのようにこの部屋には清浄な空気が満ちている。
その女性は少しだけ開いた窓辺に微睡むようにして座っていた。切りそろえられた銀色の髪がゆったりとした風に吹かれて淡くきらめいている。長い睫毛は伏せられていて、小さな唇からはすぅすぅと規則的な呼吸が繰り返された。その姿は小鳥の囀りにかき消されてしまいそうに儚い。
「寝てるの?」
近寄って、声をかける。不意にオフィーリアは眉を顰めたかと思うと、ゆっくりと目を開けた。とろんとした青色と桃色のオッドアイがリタを捉えて、ほわっと柔らかく笑む。思わずリタも笑顔になった。
「おはよう、オフィーリア様」
『おはよう』
彼女はリタの手のひらにその四文字を指で書いて、ぺこりと小さく会釈をした。
彼女は口を奪われた巫女候補だった。美しく可憐な見た目とは裏腹に、重々しい拘束具のような口枷が彼女の顔半分を覆っている。
巫女候補になってから二十年近くの間、オフィーリアはずっと家に隠され続けているらしい。そのため身の回りの用はオフィーリア付きの従者──オスカーが全てこなして、他の人間との接点は絶たれていた。しかし解任されたとはいえ同じ巫女候補という共通点と、従者のオスカーと仲が良いおかげでリタも人目を忍んでさえいればオフィーリアの部屋に入ることができた。
仕事の合間によく遊びに行くくらいには、リタはオフィーリアのことが好きだった。
『今日はどうしたの?』
「わわわ」
すっと長い腕が伸ばされて、柔らかく抱き込まれる。彼女はいつもふんわりとした優しげな甘い雰囲気を纏っているから、ついどきりしてしまう。彼女になら幼児扱いされても嬉しくなってしまうから不思議だ。
オフィーリアに背中を預け、リタはただ抱かれるままにする。大きな胸が後頭部に当たって恥ずかしい。彼女は振る舞いこそ無垢だが、身体は巫女というには少し遅れた大人の女性であった。でもそれがリタにとっては姉のようで母のようで心地よい。
「……あのね、オフィーリア様は巫女制度の話聞いた?」
『聞いたわ。なんだか不思議ね。今まで巫女様がいたのが普通だったから』
「それだけ?」
『今はね。まだ、よく分からない』
分からない。確かに、その通りだ。現状が何も定まっていない今、どうのこうのと論じる方が間違っているのかもしれない。
夜が明けて新しい日が来ても、世界は何も変わっていないように見えた。
柔らかい指がリタの手のひらを滑っていく。
『ただ、あの子が酷い目に遭わなければいいのだけれど』
「あの子って……シルヴェストル様のこと?」
彼女がそう呼ぶのは実弟くらいだろう。
吃驚して彼女を見上げると、片方だけシルヴェストルとお揃いの青の瞳がゆらゆらと揺れていた。
「オフィーリア様は、憎んでないの? シルヴェストル様のこと」
確かに、オフィーリアに儀式を行ったのはシルヴェストルではない。だが、昨日オスカーが言ったように儀式や悪習の具現化であるような彼を、肉親というだけで許せてしまうのだろうか。
彼女は困ったように笑う。
『わたしは』
しかしその先が綴られることはなかった。扉が開けられる音がして、見慣れた青年が入ってくる。
「あ、リタ……お嬢様のところにいたのか」
オスカーは少し憔悴した様子だった。昨日のこともあるのだろうが、顔が疲れている。
「どうかした?」
問うと、彼は大きくため息をついた。
「シルヴェストルが出てこない」
「え」
「部屋から一歩も出てこないんだ。扉の前に置いた食事はいつの間にかなくなっていたから完全にコミュニケーションを絶ったつもりではないんだろうが、鍵を締め切ったまま引きこもってる」
吃驚した。
シルヴェストルを少しでも知っている人ならば、彼がそんな状態に陥ることなど微塵も想像できないだろう。リタだってできない。
長い銀髪を揺らして、強い青の瞳で全てを捉え、世の中全てを傲慢に笑い飛ばして、他人のものは全て自分のものと考えて、自分のために誰かが傷つこうが泣こうが知るところはない、そういった傲岸不遜で強欲な青年がリタの知るシルヴェストルだった。
「シルヴェストル様でもそういう感情があるんだ」
思わずそう言うと、オスカーは首を振った。
「あれは生まれてこの方自分の思い通りに生きてきたから、上手く行かなくなった途端心が折れるのも道理だろう。今までがおかしかったんだ。それにリタ、あんな奴を様付けする必要ない」
彼の刺々しさを隠しもしない言葉に、オフィーリアはきりっと眉を上げて指を彼に向けて二三度揺り動かした。「めっ」という動作だ。オスカーはそれを見て少したじろぐ。
「お、お嬢様に言われたって曲げませんからね」
彼は大概人に甘いが、格別オフィーリアには甘々だ。リタもオスカーに可愛がられている自負はあるが、きっとオフィーリアのそれには遠く及ばないのだろう。彼はオフィーリアを守るために生きているらしいから、それも道理だ。
ということで、オフィーリアの叱責には滅法弱いオスカーは軽く咳払いをして話題を逸らす。
「オレはともかく、サクロなんかシルヴェストルの地位が危ういと分かった瞬間あっという間に呼び方を変えていたぞ」
「何て?」
「シルくん」
「それは……どうなの……?」
「知らん」
サクロとオスカーの兄弟仲はあまり良くない。真面目すぎるオスカーは、対照的に奔放で軽薄な兄のことが理解できないようだった。
「ともかくリタ、シルヴェストルの部屋には近づかなくていいから。何されるか分からないからな。オレとサクロで何とかする」
「うん」
『大丈夫かしら』
オフィーリアがそう肩を落とす。この人は、本当に優しい。淋しげな様子の彼女を見てオスカーも心を痛めたようだった。
「お嬢様、まだこの時期は冷えます。一旦窓は閉めましょうか」
彼はにこりと笑みを作って、彼女の肩にブランケットをかける。オフィーリアは彼に何かを言いたげだったが、封じられた口では些細なことでも言葉にはしにくい。小さく頷いて、素直に彼の手に従った。同時にリタを優しく抱きしめていた腕も離れていく。少し名残惜しかったけれど、リタにもリタの仕事がある。それに、オスカーとオフィーリアの間には誰も立ち入れないような独特の雰囲気があって、申し訳なかった。そっと部屋を出る。
確かに今日は、少し寒い。
屋敷の空気も重苦しいから、疲れてしまう。他の人も同じ気分だろうか。
当主の部屋は、この屋敷で一番広い。同じように閉じ込められているオフィーリアには、寄り添って心を傾けてくれるオスカーがいる。シルヴェストルは、一人だ。サクロは従者ではあるけれど、きっと、シルヴェストル本人には微塵も興味を持っていない。
彼は部屋の中で今何を思っているのだろう。
失ったはずの右目が鈍く傷んだ。加害者を憐れむ時点で、リタもお人好しなのかもしれなかった。
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