1話-3
巫女とは、預言者である。一人の王につき国民から純潔な少女が一人選ばれる。王を支える者として神からの言葉を預かり国を繁栄へと導くのだ。
しかし巫女は少女なら誰でもなれる訳ではない。巫女になるためには、正確には『巫女に選ばれる少女』になるためには儀式が必要だ。
その儀式とは、決められた手順で、決められた祈りの言葉を唱えられながら、身体の一部を切り落としたり、破壊すること。
神は巫女の失われた部位や機能を果たさなくなった部位そのものに宿ると言われる。だからこその儀式で、だからこその祈りだ。そうやって一部を欠損した少女は巫女候補と呼ばれる。さらにその中から巫女が選ばれるのだ。これは王が代替わりする度に繰り返される。
国から王から神から求められるただひとり。
唯一の、特別なひと。
リタは、そんなものどうだっていい。関係ない。ただ毎日を生きられればそれでいい。
「……」
そう思ってベッドの中で目を閉じるのに、何故だか感覚だけが冴えていく。
ベッドから起き上がって扉を開ける。そこには明かりが点いていて、先客がいることが分かった。
使用人の部屋は二人一組の構成になっていて、三つの部屋のうち端二つがそれぞれの部屋、それを繋ぐ真ん中の部屋が共有のスペースになっている。どれも小さく人が二人三人集まるだけで手狭に感じるほどだが、リタが暮らすそれは他と比べて少し大きかった。何故ならリタの同室相手はこの屋敷では重要な人間であるからだ。ラスキン家に代々従者として仕える、使用人としては一番上の立場の男。
その人物は、物憂げな顔で椅子に座り、机の上をただじっと見つめていた。
「オスカー」
「あ、リタ……あ痛っ」
ぱっと顔を上げた彼の角がランプに引っかかりゴトンと重い音を立てる。リタと彼が出会ったときにはもうその角は付いていたはずなのに、未だに扱いに慣れていないのだろうか。
「何だ、眠れない?」
へらっと笑う顔はどこか引き攣っている。
「んん、わかんない」
「何なら一緒に寝てやるか?」
「……それで僕がお願いしたらどうするの?」
「あ、ああー、ごめん、今のはオレが悪かった」
「もう」
言いながら、彼の隣の椅子に座る。
しかし元々無理を言ってオスカーと同室になったのはリタの我儘なのだ。男女同室が保護者扱いとして何とか了承されたのはリタが延々と駄々をこねたからである。だから、彼がそう言っても受け入れがたくはない。リタが断るのは、彼がその答えを期待しているからだ。
「やっぱり、巫女のこと?」
そう優しげに問われて、リタは言葉に詰まってしまう。だから起きたくなかった。そう聞かれるのが分かっていたからだ。
「まだ実感沸かないか?」
「実感沸くも何も……僕は巫女じゃないし、巫女候補でもないよ」
「巫女候補にさせられた、だろう」
「解任されたし」
「……」
そう。リタは巫女候補「だった」。今では何者でもない。ただお情けでラスキン家で働かせてもらっているだけの少女。それが今の自分の全てだ。
髪の上から、虚ろの右目にそっと触れる。カツリと硬い感触がして、それでもリタの目の感覚は何もなかった。当然だ。自分が儀式で破壊されたのはこの右目で、眼球まるごと取り除かれた。今ここに嵌っているのはただの黒いガラス玉だ。リタの片方の目には二度と光は宿らない。
けれど、そんなことをされたとしても、自分は巫女候補ですらないのだ。やはり巫女だの廃止だのそういう話は関係ない。そう、思うのに。
オスカーはきゅっと口を引き結ぶリタを見て曖昧に笑った。
「撫でないで」
「ご、ごめん」
行き場を失った褐色の手は逡巡の末、彼自身の膝の上に収まる。
リタを起こさないための配慮だったのだろう、小さな卓上ライトしか点けていない部屋は無性な焦燥感を晴らすにはあまりに暗かった。オスカーは机にある小さな籠から飴を二袋出してリタに差し出し、自分も口に含んだ。カラコロと軽い音が鳴る。リタが貰った飴玉は薄い水色で、何味かはよく分からないけれど美味しかった。
「……シルヴェストルは裁きにあうだろう」
暫く無言が続いたあと、ポツリポツリとオスカーは喋り始めた。
シルヴェストル・ラスキン。
ラスキン家の代替わりした当主で、オスカーの兄であるサクロが仕える相手で、巫女作りを繰り返していた人間の名。リタの右目を奪った男。
「巫女制度は昔から反対勢力もあった。それが表に出なかったのは『国王が』『国を担う重要な柱として』その風習を守り続けたからだ。民には宗教が必要だ。その体現である巫女ならば尚更。それで長年回り続けたこの国だからこそ、この風習はずっと息づいていた。でも、」
彼がくしゃりと顔を歪める。大きな入れ墨も一緒にひしゃげる。
「国王が廃止するんだ。しかも、ただ廃止するんじゃない。風習を、『悪習だった』と明言した上で廃止する。その意味が分かるか?」
問いの形をしていたものの、オスカーはリタの返答を求めてはいないようだった。ただ、彼の思考を整理し続けるために喋り続ける。
「国王は反対派の立場が強いのだろう。これからの政治は反対派が台頭することも想像に難くない。今まで賛同派で固めていた貴族たちは立場を変えるか、一新されるか……言わずもがな、ラスキン家は賛同派だった。なら、シルヴェストルはどうなる?」
ばき、と飴玉が砕かれる音。
「あいつは最初から規則を破っていた。巫女の募集が始まる前に巫女を作り上げていたな? お前みたいに。今、他の家に巫女はいない」
本来巫女は国王が代替わりしたと同時に募集される。元々リタも巫女候補になるため、極秘の内に他家から売り渡されたのだ。
「あいつはそれをちょっとしたフライングだと捉えていたのかもしれない。より良い巫女を作り上げるための試行錯誤期間だ、とかな。だけど今となってはそれは許されない。いや、最初から許されないことなんだが」
少し、オスカーが言い淀む。
「……反対派の標的は間違いなくシルヴェストルになる。あいつは悪習の具現化として民に非難される的になるだろう。信仰を集める巫女の次は、憎悪を集める人身御供か、趣味が悪い……」
はあ、と大きなため息をついて彼は背中を丸めた。直接ではないにせよ主従関係があるにも関わらずオスカーがシルヴェストルを毛嫌いしているのは周知の事実だった。なのにこれほどまでに思い詰めるのはラスキン家を守る者である矜持なのか、それとも別の何かか。
今までの話を聞いて、リタにも事の大きさが何となく分かってきた。少なくとも、今のままではいられないのだろう。きっとこの国は、この屋敷は、大きな転機の前にある。
しかしそれはリタには関係ない。
「それにしても、そんな話だったら何で僕を給仕に回したの? だからシルヴェストル様のやってたことがバレたんだよね?」
「いや、そういった話をするとは思ってなかったし、他に人手がなかったからだけど……いや、リタはあんまり目立つ部位じゃないから気を抜いてたな。それは本当に悪かった。嫌な思いをさせたな」
「嫌とかじゃないよ、僕が話してるのは」
「──オレは正直、バレて良かったと思ってる」
「え?」
彼の手が伸びてくる。頭を撫でられる。その手つきはあんまりにも優しくて、拒否の言葉なんか出してしまえば彼を傷つけてしまいそうで、ただただそれを受け入れるしかなかった。
「はっきり言うが、オレはシルヴェストルなんかよりお前やお嬢のがよっぽど大事だ。きっと国王の宣言でこの国は大きく変わる。巫女候補への待遇なんかもぐっと良くなるだろう。『王に選ばれなかった子』の扱いは今まで酷かったからな。きっと、これは本当に希望だけど、お前やお嬢が苦しまないで生きていける世界が来る。そう思うんだ」
優しい声音。暖かな言葉。清廉な瞳。
けれど。
リタはそっと彼の頬に手を伸ばした。
「でも、苦しそうだよ、オスカー。なんで?」
「……そんな顔してる?」
「うん」
「そっか、何でだろう。怖いのかな、やっぱり」
言葉を重ねるたびに取り繕ってた飾りが消えていって、声が震えていく。口角をつりあげて笑おうとした姿はあまりに痛々しくて、とても笑顔とは言えなかった。
変化が怖い。革新が怖い。転機が怖い。
今まで生きてきた当たり前がなくなるのだ。急な不安感に襲われたって仕方がないだろう。オスカーはリタよりずっと年上だけれど、きっとそういうこともあるのだ。リタは勝手に結論を付けて、項垂れる大きい身体の背を撫で続けた。
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