7.5

 水深は四〇センチほど。人なら膝下程度の深さでも、トンテにとっては半身浴。これではまともに歩くことすら大変なため、トンテはジルが肩にしがみ付かせることになった。


 池に入っても、巨猿が襲ってくる気配はない。ジルの思惑通り、開けた空間ではあるが縦横無尽に動くためのツルがないため、まだ自分が不利だと考えているのだろう。


 どうかそのまま手を出さず、マナを採取し向こう側へ渡るまで待っていてくれ。


 そう考えていたジルは、ふと足元に違和感を覚えた。足を踏み出す度に、何か小枝のようなものをポキリと踏み折っている感覚がある。


 ここは血のように赤いツルしか植物の生息していない、ブラッドヴァイン。木が生えていないのだから、枝もあるはずがない。


 ではいったい何を踏んでいるのか。ジルは不思議に思い、水の中に手を突っ込みその何かを持ち上げた。


「ジル。ソレハ、何ダ?」


「……骨、だな」


 人の大腿骨にも見える、比較的大きな骨。


 本当に人の骨なのか、人と骨格の似ている猿型昏獣の骨なのかは分からない。しかし、そんなことはどうでもいい。人骨だろうが昏獣の骨だろうが、探索をしていれば嫌でも発見する。今更驚くようなことではない。


 ただ問題なのは、骨の量が多いことだ。


 足を踏み出す度に、ポキポキと骨を踏んでいる。それはつまり、この池の底には骨がびっしりと沈んでいることを意味する。理由は分からないが、不吉なことこの上なかった。


「ジル。どうしたの?」


 セリカが隣に並び、巨猿を警戒しながらもジルが手に持つ骨に目をやった。


「……骨?」


「あぁ。底に沈んでた。多分、大腿骨だ」


「……もしかして、歩く度にポキポキ鳴ってるは……全部……」


 セリカもこの異常に気付いたらしい。


 この池は、思っているより危険な場所なのかもしれない。

 数刻前に感じていた、あの形容しがたい不安が再び沸き起こる。


 ロベルトの言う通り、マナは諦めた方がいいかもしれない。早くこの場を去らなければならない。でないと、何か良からぬことが起きかねない。


 そう思い、ジルがロベルトに進言しようとした――その時。少し前を歩いていたニーナが、緊迫した様子で声を上げた。


「な、何かいます! 水の中、それも複数体!」


 ジルは骨を投げ捨て、すぐにそちらを見る。


 前方一五メートル先。マナのある陸地の両側から、何かがこちらへ泳ぎ迫っていた。


 うっすらと見える陰からして体は太く長く、体長は三メートルほど。数は八。体をうねらせながら向かってくる姿は、一見して蛇のようだった。


 しかし、それが蛇でないことはすぐに分かった。


 迫る何かはジルたちを取り囲むような位置で停止し、体の前半分を水の上へと持ち上げる。


 現れたのは、まさに化け物だった。


 茶色い光沢を放つ、丸太のように太い体。申し訳程度に点在する小さなヒレ。体の先端に頭はなく、存在するのは螺旋状にびっしりと鋭い牙が覗く円形の口のみ。以前にライブラリで見た、ナツメウナギという生物とよく似ている。


 だが似ているだけで、その大きさも異様さも、醜さも桁違いだ。


 こんな場所で生息している時点で推測できる通り、突然変異を繰り返すことによって生まれた昏獣であることは確実だろう。


 見た目は凶悪だが、八体の昏獣はこちらを窺うように体をもたげているだけで、襲ってくる気配はない。それでもジルは、骨の件を考えすぐにでも攻撃を加えた方がいいように思えた。


「ロベルト、攻撃しよう。こいつらは不味い気がする。何かされる前に仕留めちまおう」


「ま、待つんだ。下手に刺激しない方が良いかもしれない。いったん後退して、池から出て様子を――」


 その時、怪物たちが八体同時に、ブルブルと震えだした。震えは徐々に大きくなり、合わせて水面に波紋が広がっていく。


 いったい何をしようとしているのか、全く分からない。だが何か良からぬことをしようとしているのは、よく分かる。


 ジルは再び、ロベルトに攻撃の進言をした。流石にロベルトも危険を察し、全員に発砲を命令する。


 ――しかし、すべては遅過ぎた。

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