7.4

 光に近付くにつれ、足元の地面が徐々に柔らかくなっていく。先程見つけた水脈から水が流れてきているらしく、多分に水分を含んだ土が足を踏み出す度に、グチョリと音を立てた。


 泥濘と滑るツルに注意を払いながら歩みを進め、ジルたちはようやく不思議と明かりの強まる場所へと辿り着いた。


 そこは、円形に開けた空間だった。


 空間の広さは直径で六〇メートルほど。どうやら明るさの原因は、純粋に開けているから光の取り込める量が多い、というだけらしい。


 裂け目内と同じく一四メートル頭上にはツルが薄く覆い被さっており、上を歩いていたら下に空間があることなど気付かず、天然の落とし穴として嵌ってしまうことだろう。


 足元を流れていた水はここに溜まっているらしく、空間の底は茶色く濁った水で満たされ、池のようになっていた。そんな池の反対側には尚も裂け目が続いているため、ここが裂け目の行き止まりというわけではないらしい。


 何とも不思議で、美しくもある光景だった。


 ――しかし、ジルたちは美しい光景ではなく、とあるものに目を奪われていた。


 それは、池の中央に存在した。


 離れ小島とでも言うべきか、池の中央にポツンと浮かぶ、直径五メートル程度の小さな陸地。その上に、一人では抱えきれないほど大きく、今まで見たことのない黒に近いほど濃い紺色をした、が、神々しく静かに鎮座していた。


 巨猿に追われ始めてからは身の安全を第一に考え、マナは採取しないと決めた。裂け目内を歩いている中でマナを見つけることは多々あったが、手を出すことなくすべて無視してきた。


 だがあのマナは、あの大きさは、あの純度は……身の安全を度外視にしてでも欲しいと思わせる、悪魔的な魅力があった。


「……ニック。あれは……エネルギー換算で、どれくらいになると思う?」


 ジルは先ほどまで感じていた不安を完全に忘れ、呆けたような声音で思わずニックに問いかける。


「三〇〇万くらいは……あるんじゃないか。もしかしたら、もっと……」


「だよな。山分けしても、一五〇万以上。それだけ集めようと思ったら、普通は二年近く掛かるぞ。あれさえ持ち帰れば、メイを二年も早くアヴァロンに――」


「駄目だ」


 ジルの言葉を遮り、ロベルトが強い口調で言った。


「決めたはずだよ。マナを見つけても、採取はしないと。今はそんなことをしている場合じゃない。それに、あれほど大きなマナを持っていては動きに支障が出る。あの機敏な巨猿に追われている状況で動きに制限が掛かるのは、致命的だ」


「で、でもお父さん。一五〇万だよ? こんなチャンス滅多にない。砕いてみんなで分けて持てば嵩張らないし、このチャンスを逃すのはもったいないよ」


 あのマナに魅入られたのはジルだけではないらしく、ニーナも興奮した様子でロベルトを説得する。そこに、ニックも加わる。


「親父。考えてみろ。あのマナが手に入れば、アヴァロンの居住権を得るのに必要な期間が、二年近く短縮できる。つまり、危険な目に遭う期間も、二年減る。一時的な危険と、二年間の危険。総合的に見れば、リスクが高いのは後者だ」


 自分でも、屁理屈なのは分かっているのだろう。

 危険なのも、分かっているのだろう。


 それでもニックは、あのマナを手に入れるという行為を、正当化しようとしていた。


「……やっぱり、僕には危険が大き過ぎると思う。ここは開けているし、足元は動きにくい水場だ。そんな場所で悠長にマナを採取するなんて、巨猿に襲ってくれと言っているようなものじゃないか。寄り道せず、一直線に向こう側へ行った方が良い」


「奴の機動力の元であるツルは、一四メートル上にしかない。流石にあいつでも手が届かないし、届いたとしても緩く這っているだけだから、体重は支えられない。だから決定的な隙さえ見せなきゃ、襲ってなんてこないと俺は思うぞ、ロベルト」


「……みんな。お喋りもいいけど、警戒は続けて。今あいつが、一瞬だけ顔を覗かせたような気がしたよ」


「気ノセイジャ、ナイゾ。トンテモ、見エタ。確実ニ、様子ヲ、窺ッテル」


 皆に代わり巨猿の警戒に専念していたセリカとトンテが、後方の頭上を睨みつけながらそう言った。


 マナを取りに行くのも危険だが、この場に留まっているのも決して安全ではない。


 ジル、ニック、ニーナの意思は強く、説得するにしても時間が掛かる。そう判断したらしく、ロベルトは逡巡の末、小さくた溜息をつきながら言った。


「……分かった。ただし、もし奴が襲ってきたら、マナは無視して向こう側へ渡ること。マナの採取中だとしても、作業を中止して逃げること。逃げたあと、もう一度マナを取りに行こうと言い出さないこと。この三つは絶対に従うと約束してほしい」


 もちろんだと、ジル、ニック、ニーナの三人は頷く。


 湧水が溜まっているだけのため大丈夫だとは思うが、一応水に毒はないか、匂いを嗅ぎ軽く触れて確認し、ジルたちは池へと足を踏み入れた。

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