7.2
「あたしはやっぱり……アヴァロンは人々が思い描いている通りの、理想郷なんじゃないかって、思っています」
少し夢見心地な口調で、ニーナも話に加わる。
「この前のホットミールで見たアヴァロンの人たちは、皆さん穏やかで、健康そうで、肌がきれいでふくよかな人もいて、振舞ってくれたご飯もすごく美味しかった。優しい人に囲まれて、美味しいご飯を食べて、安全な場所で眠れる。アヴァロンはまさに、天国のような場所なのではないかと」
アヴァロンがニーナの思う通りの場所なのであれば、ジルは何の憂いもなくメイを送ることができる。
美味しいご飯を食べて少し太ったメイが、新しい友達と一緒に駆け回る。そんな姿を想像すると、意図せず頬が緩んでしまう。
「トンテはどうだ? アヴァロンでは、どんな生活が待っていると思う? やっぱりケルアを守ってくれないアヴァロンに、良い印象はないか?」
ジルの問いに、トンテは意外な返答をした。
「アヴァロンノ生活ハ、ケルアニトッテモ、理想郷ダト思ウ。ソモソモ、ケルアノ中デ、不満ハアッテモ、アヴァロンヲ、悪ク思ッテイル者ハ、殆ドイナイゾ」
「そうなのか? それは……意外だな」
「人間ニトッテハ、意外カモナ。強者ガ弱者ヲ、利用スルノハ、世ノ理トシテ、当タリ前ノコトダ。アヴァロンハ強者デ、ケルアハ弱者。一方的ニ、搾取シテコナイダケデ、アリガタイトスラ、トンテハ思ウゾ」
人間とは違う、自然に近い環境で生きるケルアの――獣特有の、倫理など関係ない強者こそが正しいという考え。中々共感するのは難しいが、それでも不思議と納得はできた。
「そういえば、ジルさんにはアヴァロンに住んでいるお知り合いがいるんですよね? その人は、アヴァロンでの生活をどんなふうに言っているんですか?」
「あぁ、テッドのことか。テッドは……」
ニーナの問いに、ジルは何年も前に聞いたテッドの話を思い出しながら答える。
「アヴァロンでの生活は『楽だけど、楽しくはない。快適だけど、心地良くはない。生きているというより、生かされている感じがする』とか言ってた。他にも色々聞いたけど、いまいちピンとこなかったよ。ただ、テッドはかなり変わり者だからな。あの人の感性はあまり当てにならないと思うぞ。今度こっちに来ていたら紹介するから、そこで直接話を聞いてみるといい」
「はい。楽しみにしてます」
そこで、会話が途切れた。
話題がなくなったわけではない。ここまで全く、ロベルトが会話に参加しようとしないからだ。ロベルトの立場上仕方ないのかもしれないが、暗闇で顔が見えない以上、黙っていられると少し不安になる。
そこでニックは、様子を窺うようにおずおずと聞いた。
「親父は、どうだ? 自分がいつか、住むことになるアヴァロン。どんな生活を送ることに、なると思う?」
「……うぅん……そうだね……えぇと……」
少しの間をおいて、ロベルトはゆっくりと答える。
「……僕には、全く想像がつかないよ。……そもそも、アヴァロンに住むことなんて考えていないからね」
暗闇の中、ニックとニーナの凍り付いた顔が、ジルには見えたような気がした。
「お父さん……」
「親父、それってどういう――」
「あぁ、心配しなくていいよ。別にアヴァロンに行かないと言っているわけじゃない。二人の気持ちは十分理解しているつもりだ。二人のためにも、しっかり心臓を治して長生きしなきゃと素直に思っているよ。ただ……」
ロベルトは言葉を区切り、声音を優し気なものに変えて、言った。
「ニック、そしてニーナ。君たち二人がいない時点で、僕にはどんな場所も理想郷にはならないよ。ジル君の言ったテッドという人は、アヴァロンからの出入りができているみたいだし、僕も心臓の治療をしてもらえたら、庇護居住地で生活しようと思ってる。居住権の譲渡はできないみたいだから、宝の持ち腐れになってしまうけど、二人以上の宝はないからね……」
ガサゴソと、衣擦れの音がする。ロベルトがニックとニーナを抱きしめている姿が、暗闇の中に浮かんで見えるようだった。
そんな三人を守るために、幸福な時間を何者にも邪魔させないために、ジルとセリカ、そしてトンテは何も言わず、見張りに徹する。
こんな状況だが、こんな場所だが、ロベルトには今この瞬間が、この場所が、アヴァロンなど比ではない理想郷なのかもしれない。
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