第七話 残酷な光
7.1
裂け目の中の行進は、順調とは言い難かった。
確かに思惑通り、巨猿を恐れてか他の昏獣と出会うことはなく、裂け目は殆どまっすぐ続いているため迂回の必要もなく、たまに邪魔なツルの排除で取られる時間を除けば、かれこれ二時間は一度も足を止めずに歩き続けることができている。この二時間で、約六キロは北東に移動できているはずだ。
残りの距離は、一四キロ。裂け目が途切れることなく続いており、不測の事態に陥るようなことがなければ、明日の午前中にはブラッドヴァインから脱出できるだろう。
一見して順調。だがジルたちは、とある問題に悩んでいた。
その問題とは、裂け目が徐々に深くなってきていることだ。
始めは一〇メートルほどだった裂け目の深さが、現在は一二メートルほどにまで増えている。どうやらこの裂け目は、体感では分からないほど緩やかに下っているらしい。
登れなくなるのでは、という心配はしていない。両の崖にはツルが這っているし、ツルがなくともジルなら機械の力にものを言わせ、崖に手足を突き刺して登ることも可能だからだ。一人が上に登れば、あとはロープで皆を引き上げればいい。
問題なのは、巨猿の気配を感じ難くなっていることだ。
今まで僅かに聞こえていた巨猿の発する足音やツルのざわつく音が、地上との距離が開くにつれて徐々に聞こえなくなっている。完全に聞こえないわけではなく視線もたまに感じるため、追ってきているのは間違いない。だが気配が感じ難いため警戒度を引き上げざるを得ず、自ずと移動スピードも落とすしかなかった。
さらに、裂け目が深くなるにつれて裂け目内の暗さも増しつつある。
ただでさえ空は大気汚染により黄土色に濁っているため降り注ぐ日の光は弱く、ブラッドヴァインはツルに覆われている影響で、弱まった日の光はさらに弱まっている。そして裂け目はツルが網目の蓋をするように這っているため、最終的に差し込んでくる光は本当に弱い。体感で、遮蔽物のない平地の三分の一あるかどうかの光量だ。
これは思っていたより日暮れで暗くなるのが早く、活動できる時間も限られそうだった。
尚も休むことなく歩き続けること、二時間。
遂に、自分の手も殆ど見えないほどの暗闇が場を支配した。
結局進めた距離は、計一一キロほど。現在地から見える限りでは、まだ裂け目はどこまでも続いているように見える。この裂け目がブラッドヴァインの外にまで続いている可能性が濃厚となってきた。
残りはあと、九キロ。ようやく脱出という言葉が現実を帯びてくる。
ジルたちは明日に備え、今日は早々に休むことにした。
夕食を取りながら状況確認を行い、明日の方針を確認する。あとは見張り役を決め交代で眠りに就くだけなのだが、辺りは暗闇でも時刻としては、まだ午後の五時。すぐに眠れるはずもなく、全員で見張りをすることになった。
日が登り活動できるようになるまで、あと一二時間以上はある。各々が見張りを行いながらも、脳内であれやこれやと考え時間を潰す中、未だ明るさの残る裂け目の外を見つめながら、ジルはぽつりと呟いた。
「なぁ……ニック。アヴァロンでの生活って、どんなんだと思う?」
「……どうしたんだ……急に」
ジルの言葉に、ニックだけでなく他の全員が自ずと耳を傾ける。
「いやな? アヴァロンの居住権を得たら、メイはそこでどんな生活を送るんだろうって、考えてたんだ。アヴァロンは危険や不安から完全に開放された理想郷。本当にそんな場所なら、メイの拒食はすぐに治って、病気になってもすぐに治療してくれて、飢えや昏獣に怯えることもなくなるはずだ。でもアヴァロンは、結構クソな一面も持ってるだろ?」
思い当たる節があるのだろう。ジルの問に、ニックは躊躇いなく頷く。
「そのせいで、たまに考えちまうんだよ。例え理想郷だとしても、クソな行為の上に成り立ってる偽善的な理想郷にメイを預けちまってもいいんだろうか、本当は理想郷とは程遠い生活を強いられるんじゃないか……ってな。……ちょっと親ばかみたいだな」
ジルの想いは、大切な父親をアヴァロンへ送ろうと考えているニックにも、痛いほど伝わっているようだった。だがニックは、ジルより物事を達観していた。
「アヴァロンは、理想郷だ。理想郷だという体裁を、守らなければならない。でないと、アヴァロンへ行きたいと思う人間が減って、マナの供給が途絶えてしまうからだ。つまり、アヴァロンは理想郷にふさわしい生活を、無理やりにでも人々に与える必要がある。だから、生活の心配をする必要はないと、オレは思っている」
いつになく、ニックは饒舌だった。まるで自分に言い聞かせるように、そうであれと願っているかのように。
「私もジルの言う通り、アヴァロンには不信感がある。でも安全性に関しては間違いないはずだよ。不壊物質で出来た巨大な白壁に守られているし、強力な兵器だって売るほど持ってる。昏獣の恐怖から解放されているってだけで、理想郷を名乗ってもいいと私は思うな」
そう言って、セリカも話に加わる。
昏獣の恐怖から解放されているってだけで、理想郷。
幼少期昏獣に襲われ、両親を失い、ジルが食われているのをただ見ていることしかできなかったセリカ。そんな彼女の言葉には、重みがあった。
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