1.3

 それは、トンテが何か異常を感じ取った時に行う行動。


 トンテの種族ケルアは視力こそ人間と同程度だが、聴覚と嗅覚は人間を遥かに凌ぐ。地面に顔を押し当てる、つまり地面に耳を当て遠くの音を拾い、状況を確認しようとしているのだ。


「トンテ。どうし――」


 ジルの言葉を遮るように、トンテは立ち上がって声を張り上げた。


「何カ来ルゾッ‼ 北ノ方角、約、四〇〇メートル! デカクテ重イ! 時速五〇キロ以上! 真ッ直グコッチニ、向カッテ来ルッ‼」


 迅速果断。ジルとセリカの行動は早かった。


 セリカは両手に持っていた鱗甲板を放り捨て、ライフルに対昏獣徹甲弾を装填する。ジルは周囲の地形を確認しながら、何が最善の行動かを考える。


 迫って来るのは多分、先程仕留めた昏獣の本当の成体。セリカが最初の狙撃で一体を殺した時に、仲間が甲高い咆哮を上げた。あれは親に緊急事態を知らせるものだったのだろう。


 四〇〇メートル先に居ながらその足音が聞こえたというのは、トンテの聴覚が凄まじいのではなく、相手がかなりの巨体ということだ。さらに、この障害物の多い岩石地帯で時速五〇キロで走れることを考えると、かなり機動力に優れている。


 ざっと計算して、ここに辿り着くまで、あと三〇秒


 デカくて速い。そして、子を見る限り強固な鱗甲板を備えている。


 逃げてもすぐに追いつかれる。戦ってもまともな手段じゃ倒せない。


 隠れるのも得策とは言えないだろう。

 相手の嗅覚がどれほどのものか分からない。この場には子を殺した犯人、ジルたちの匂いが遺っている。隠れてもその匂いを辿ってすぐに発見されてしまう可能性がある。


 なら、どうするか。


 迎撃し、追ってこれない程度に負傷させてから逃走するしかない。


 ジルはそう判断し、一瞬で組み上げた作戦を叫んだ。


「俺が直接相手をする! セリカは東の崖に上って俺を援護! やれそうなら頭吹き飛ばせ! トンテは近くの岩影に隠れて、相手に隙ができたら脚に『杭缶くいかん』食らわせろ! 傷負わせて走れなくしたら全員逃走! 向かうのは昨日の野営地!」


「「了解ッ!」」


 セリカとトンテが所定の位置に駆けて行き、ジルはその場に留まり昏獣が来るであろう方角を睨みつける。


 既に迫る昏獣の足音はジルの耳にも届いていた。

 だが隆起した地盤や屹立した岩によってその姿はまだ見えない。


 ジルは大きく息を吸い込み、そして吐き出しながら、今から巻き起こる戦いを考える。


 己の役割はとにかく隙を作ること。攻撃を加える必要は皆無。極力相手の攻撃を躱さずに受け止め、拮抗状態に持ち込み動きを封じなければならない。


 しかし、巨大な昏獣の攻撃を何度も受け止めるなど不可能だ。チャンスは一度、運が良くても二度しかないだろう。


 子を見た限り武器と成り得るのは牙と前脚の爪。それらを駆使した攻撃、そしてその受け止め方を、ジルは頭の中でイメージした。


 問題ない。どんな攻撃でも一撃なら止められる。


 そう考え己を鼓舞したジルの元に、遂に昏獣は姿を現した。


 巨大な岩を跳び越え一〇メートル前方に粉塵を撒き散らしながら着地したのは、先程の子をそのまま大きくしたような、体長六メートルを超える昏獣。


 脚や胴だけでなく頭も鱗甲板で覆われており、一番望んでいたセリカの狙撃による瞬殺は困難だと悟る。


 昏獣は血を流して倒れる我が子とそこに立つ人間、ジルを発見し、すぐに状況を察して怒り狂った咆哮を上げた。


 大地が揺れるほどの音響。その巨体も合わさって、常人なら腰が抜け失禁すらしてしまうような迫力に、だがジルは瞬き一つせず腰を軽く落として構えを取る。


 全く怯む様子がない相手に、昏獣はもう一度咆哮を上げ、地面が抉れるほどの脚力で駆け出した。そして駆ける勢いそのまま、鎌のような鈎爪が覗く右前脚を振り上げ、ジルの頭に向かって振り下ろした。


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