無意識にパクってしまう……これは創作あるある?
パクり疑惑、パクり騒動などを見る度にドキッとしてしまう。
私はパクりが怖い。
パクられる方じゃなくて、「パクりだ」と言われる可能性が。
小学生の頃図工の授業で、カッコいい鳥ポケモンを思い浮かべながらポケモンに似た鳥の絵を描き、オリジナルとして発表したところ、みんなに気づかれて「パクりだ!!」と言われた。
また、アニメ映画を見て感動し、図工の時間に映画のワンシーンを元に絵を描いたところ、やはり「パクりだ!!」と言われた。
友達がおらず人付き合いが少ない私は「何をしたらいけないのか?」ということに疎かったが、その二つのことから「人間の真似をしてはいけないらしい」(動植物や自然の真似をするのは良い)と悟った。何を元にしたかが分かる二時創作やパロディ、オマージュは許されるが、「私のオリジナルです」みたいな顔をして、真似したものを出してはいけないと。
それ以降、人のアイデアをパクったりしないように気をつけている。もちろんある程度要素がかぶってしまうのはしょうがないが、他の作品で出てきた印象的なフレーズ、印象的な展開、印象的なデザインに近いものは避けるようにしている。
当たり前のことだろう。しかし私のようなオリジナリティーのない人間には当たり前のそれが難しい。以前見た素晴らしいものを無意識にパクってしまうのだ。
自分で文章を書いていて、「あれ、このフレーズどこかで見たぞ?」と不安になる。記憶をたどり、「あっあれだ!」と思い出し、本棚から本を取り出す。するとそこに自分が書こうとしていたフレーズに近い文章があり、「ああ、気づいて良かった……」と安堵するのだ。
そんなわけで作品を投稿する前に何度か読み返すようにしているのだが、なぜか投稿したあとに「しまった!」となることが多い。なぜ書き始めた地点で気づかないのだろう。
絵でもよくあることだ。描き上げたあと、「この感じ、どこかで見たな……」と思い、記憶をたどると「あっ、アレだ……」と思い当たるのだ。
芸術とか文章での表現のみならず、普段の言葉遣いやイントネーションなどでも、身近な人やどこかで見たものから影響を受けているなぁと思う。人の思考や言動がうつってしまう。
世間では今「パクり=悪い」という風潮なので、なかなか「パクってしまうんだよねー」と軽々しくは言えない。「パクってしまうんだよねー」などと自覚しているなら、開き直っていないで気をつけるべきだ。
しかし、「パクりだ!」と人のことを指摘できるような人って、「自分が無意識にパクりをしてしまったことに気づいた」みたいな出来事は一度もないのだろうか? オリジナリティー溢れる人間で絶対にパクる可能性はないとか、アイデアは人からでなく天から振ってくるとか……もしそうならうらやましい。
他の人の話でも、「パクってしまうんだよねー」みたいなことはめったに聞かないが、実際のところはどうなのだろう。無意識にパクってしまう私がおかしいのだろうか。それとも意外と表現者あるあるで、みんなビクビクしているのだろうか。
「知識・情報」と「パクり」の境目も難しい。昔は「技を盗め」なんてよく聞いたけれど(今でも言うのかな?)、どこまで良くてどこからがアウトなのか未だによく分からない。
思いついたフレーズを検索してみると既に存在している、ということもよくある。しかしそれについては最近は「自分で考えたんだしいいや」とそのまま使ったりしている。
歌や本の題名でも同じものはたくさんあるだろうし、言葉や情報だって同じようなものや一般的な表現は多々ある。全部気にしていたらキリがない。
とはいえ自分ってオリジナリティーがないな、表現者失格なのだろうかとは時々思う。
けど自分にとって表現は好きなことなのだ。「こうだからやめた方がいい、ああだからやめた方がいい」と言っていたら、私はどんどん好きなことをできなくなってゆく。
それは嫌だ。やっぱり自由に好きなことをしたい。
人が言う「産みの苦しみ」とか「努力」の意味、というかその内容はよく分からない。みんながどこで悩むのか、他の人がどう考えているかが分からない。けれど私が頑張るべきところは主に「無意識に人のものをパクらない」ところだ。
何か特定の生き物に、他の作品で見たイメージをひっつけて「キャラ」として使うことはある。これは丸パクりしなければ、ささやかなオマージュということでいいだろうか。
以前私がSNSで絵を描いていたとき、「参考にしてもいいですか?」と聞いてくれる人が何人かいた。
そうやって聞けるってすごい。「◯◯から影響を受けました」と言える人もすごい。そういうことを素直に言えていれば私も、無意識に人のアイデアをパクってしまうことにはならず、色々な人から刺激を受けつつ仲良く創作できたのかもしれない。感動に触れ、インスパイアされ、それを元にどんどん世界を広げられたかもしれない。
でも対人恐怖症な私はなかなか素直に言えないので、今日も得た感動を胸にしまいこむ。
いつかそれを真似しそうになって、慌てて変更したりするのだろう。
パクってしまうことを恐れつつ行くのだろう。
それでも……創作は楽しい。
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「無意識にパクってしまう」で検索したら、少し気が楽になる情報が多くあった。同じような不安について打ち明けている人もいた。やはり「無意識にパクってしまう」可能性というのは多くの人にあるのだ。考えるべきは「パクり」にしない方法なんだなぁ。
最近は「写真」が楽しい。写真だと、よっぽど誰かのものに似せない限りパクりにはならないはずだ。それから生き物の観察。生き物との出会いは運任せでランダムで、驚きや感動もある。人間からでなく、人間以外のものからアイデアをいただくのは気楽でいい。……生き物情報の多くは人間から得ているけれど。
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さらにその後もパクりについて気になっていたのだけれど、よく考えたら私の場合、何もないところからアイデアが飛び出すなんてことはほぼない。自分の物語について書いている途中で「この主人公はどう考えたのだろう?」「あの人の心理がよく分からないな」などと考えるうちにアイデアが出ることはあるけれど、それは創作がスタートしてからの話だ。
物語作りを始めるきっかけは、何かを見て触発され「これって良いな」「私ならこうするな」「あのお話みたいなストーリーを別の視点から、別の要素をメインに書けないかな?」などと感じることだ。例えばヴァンパイアが出てくるほのぼのストーリーを見て「こういう空気すごく好き。いいなぁ。よし、自分もやろう」と思うとか。
すると私の創作はほぼほぼパクりとなるが、書き始めた動機を言う方がいいのか言わなくてもいいのか……。
とりあえず今はアレンジ力や独自の空気・雰囲気を高めて「オリジナリティー」とする方向で考えたい。
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関連ページ
「ブログに投稿していたエッセイ系記事 & カクヨムに投稿したエッセイ・お気に入り作品」
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