第21話 愛と黒 前編 

 遥か東の村に生まれた私は、生まれた時からユーリスと一緒だった。ユーリスは小さな頃から気弱で臆病で、いつも私の後ろにくっついてくるような子だった。控えめな性格、と言っていいだろう。

 しかし、10歳の時にリングを嵌めてから、彼の卑屈さは深度を増していった。周囲の大人達には出来損ないだと罵られ、同じぐらいの歳の子達には石を投げられ蔑まれていた。そんな日々は、彼の心を屈折させ、底の底まで落としていった。


 私はその時、確信した。彼を支えられるのは、私しかいない。彼には私が必要なのだと。


 だから、私は彼を擁護し、守り続けた。どんなに辛い思いをしようとも、同じ様に馬鹿にされようとも、私は決して彼を見捨てなかった。


 なぜ彼にそこまでして寄り添い続けたのか。幼なじみだから?庇護欲が湧いたから?確かに、それもあるだろう。


 しかし、それ以上に私は、彼の純粋な優しさや思いやりの深さに心を奪われていたのだ。


 だから、私は彼に冒険者になろうと提案した。無黒インフェリアのユーリスを冒険者にしようなんて、はっきり言って正気の沙汰では無いだろう。

 それでも、私は彼を誘ったのだ。こんな村に留まって延々と罵倒され続けながら生涯を終えることはない。もっと広い世界で、一緒に生きていきたいと思ったから。


 そして、私達は冒険者になった。確かに外の世界でも無黒インフェリアだと罵られることはあった。けど、誰も直接言ってくることや、手を出してくることは無かった。

 数日が経過した後、私はユーリスに冒険者になるのと村に留まること、どちらが正しかったと思うのか、尋ねてみた。すると、彼は逡巡したのちに、こう応えた。


「どっちも辛いよ。そもそも無黒インフェリアに優しい場所なんて、この世にはないしね。まあ、強いて言えば、生まれ育った場所で人間扱いされない方が嫌だったかな」


 彼は決して、冒険者になったことを正解だとは言わなかった。しかし、この選択が間違いだとも言わなかった。

 その時、心底ホッとしたのを今でも覚えている。やはり、こうして良かったのだと。


 冒険者になって一週間ほど経つと、ロットという男がパーティーメンバーに入れてくれないかと尋ねてきた。

 私とユーリスは話し合った結果、彼を受け入れることにした。私だけでもユーリスのフォローをするつもりだったが、人が増えればさらに手厚くできるだろう。

 ただ、ロットが私に虫が這うような視線を向けてくるのは、気になっていた。


 その後、続けてキリカという少女が仲間になった。彼女はほとんど成り行きだったのだが、次第にパーティーメンバーとして馴染んでいった。

 しかし、私は僅かに焦燥していた。キリカは老若男女問わず、誰もが一度は視線が釘付けになる程の美女だった。私も村一番の美人だと讃えられていたが、彼女の美しさには太刀打ちできないと悟ってしまった。

 このままでは、キリカにユーリスの心を奪われてしまう。

 そう最初は警戒していたものの、キリカはユーリスだけでなく誰に対しても淡白な態度を取り、ユーリスもまたキリカに特別な感情を滲ませることは無かった。そのため、その心配は杞憂に終わったのだ。


 ───そうして、日々はそれなりに平穏に過ぎ去っていく。

 だが、知らず知らずのうちに自分の中には、黒が蔓延し始めていた。これは、おそらく冒険者になってからのものでは無い。ずっと昔から溜まっていた、想いの裏の感情だ。

 ユーリスのことは、ずっと好きだった。昔から、ずっと。そしておそらく、彼もまた私のことを想ってくれているのだと確信していた。


 しかし、いつまで経っても彼からの言葉は無かった。彼は私に対し特別優しくしたり、顔を赤らめたりもしていた。

 だが、それだけ。好意は感じれど、形を成したことは無かった。


 次第に不安という黒が私の頭の片隅に広がり始めた。

 彼は、本当に私のことが好きなのだろうか。私しかいないと、思ってくれているのだろうか。確信はあるが、確定はしないこの状況がもどかしくてしょうがなかった。

 ならば、そうそうに自分から想いを告げればいい。それは何度も考えたことだ。


 しかし、あと一歩のところで勇気が出なかった。この関係の崩壊を恐れたのだ。もし、違っていたら。私の思い違いだったら。それがきっかけで互いに距離が開いたら。

 そう思うと、この想いを告げるのが怖くて仕方がなかった。

 ユーリスと私の心の距離。そのあと数センチが、途方もなく遠く感じたのだ。


 平穏な日常の中で、異常なほど鬱屈としていく心。その歪みは地割れとなり溝を作り、寂しさという形で現れ始めた。


 長年溜まってきたその負の感情を背負ったまま、無理やり眠る毎日。

 そんなある日の宵に、扉をノックする音が聞こえた。


 私は少し、期待してしまった。


「誰?」


「……俺だ」


 返答を聞くと、無意識の内に肩を落としてしまった。


「何?」


「入ってもいいか?」


「夜中に異性の部屋に入るなんて、無粋なんじゃない?」


「……お前、ユーリスのことで悩んでるだろ?」


「…………!」


 雷に打たれたような衝撃が走った。まさか、ロットに見抜かれているなんて思っていなかった。


「相談に乗ってやるぞ」


「相談って……。いつもユーリスのことバカにしてるのに───」


「それにも意味がある」


「え?」


「ユーリスは無黒インフェリアを言い訳にして弱気な自分を肯定しちまってる。だから、俺が厳しくして性根を叩き直してやろうとしてるんだよ」


 少し考えれば、それがテキトーに作られた口実だと見抜けるはずだった。


「……ほんとに?」


 しかし、私はそんな言葉に騙されて、扉を自ら開けてしまった。なんでもいい。誰でもいいから、私の気持ちを理解して欲しかった。この寂しさを、埋めて欲しかった。


 ロットは私のベッドに腰掛け、その隣に私も座った。

 そして、私はぽつりぽつりとうちに溜まっているものを吐き出していった。不満も、不安も、話し始めたらキリが無かった。


 ロットは、それをただ黙って聞いていた。


「私はたぶん、寂しくてしょうがないの」


 そして、全てを出し切ってしまった。まだ出会って間もない、男性に。けれど、どうしても話したかった。私の事情を把握している人間が必要だったのだ。


 私の話しを全て聞ききったロットは、長い息を吐いた。


「なあ、リィナ」


「なに?」


 と、ロットに顔を向けた瞬間、私の唇はいとも簡単に奪われてしまった。


「ん、ん〜!!!」


 喉奥から悲鳴を上げたが、ロットに口を口で塞がれ、音は響かなかった。そのままベッドに押し倒され、遂には舌を入れられてしまった。


「やめ、ちゅ……。ちゅる、やあ……ん、ちゅ」


 口内を好き放題にねぶられ、唇を吸われる。

 それが数十秒と続き、部屋に唾液の絡まる下劣な音と互いの荒々しい息遣いが響いた。


「ん、ちゅ、ぷはぁ……はぁ……はぁ……」


「はあ、はあ、ふぅー」


 ようやく口を離すと、互いの唾液が糸を引いて繋がっていた。


 私の視界は涙に歪み、ショックと恐怖で体の震えは止まらなかった。胸を抉られるような痛みが襲い、意識も混濁してくる。


「なんで、こんなこと……」


 掠れた声で尋ねると、ロットは邪な笑みを浮かべた。


「俺が、お前の寂しさを埋めてやるよ」


 そう言って、ロットは私の服にまで手をかけてきた。


「い、やぁ……!」


「キリカも特上だが、個人的にはお前の方が好みなんだよ」


「さい、てい……!」


「とか言ってるが、本気で抵抗してこないのはどうしてだ?」


「…………!」


 問われ、思わず体の動きが止まった。そうだ。私はなんで、嫌々ながらも受け入れているのだろう。なんで、なんで………。


「大丈夫だ。初めてなんだろ?優しくしてやるよ」


「やめ、やめてぇ……!」


 ───この日、私はこの男に初めてを捧げてしまった。絶対にユーリスにあげると決めていたファーストキスも、処女も。全て、この男に奪われてしまったのだ。

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