第17話 王女は想う
俺達はある程度の支度を整えてから、宿を出る。すると、先日の馬車が扉の前に停められていた。
しかし、違う点もある。それは、御者の席に座っているのが騎士ではなく、ダンディな初老男性だということだ。
「初めまして。私はドイルドと申します。つい先日より、執事の一人としてユーヴァス家に雇われたものです」
「あ、どうも……」
気さくでいい人そうだったが、俺は思わずクロエに耳打ちをしてしまった。
「なあ、いくらなんでも護衛手薄過ぎねぇか?」
「ドイルドでは力不足、と?」
「え、もしかしてめちゃくちゃやり手とか?」
「それなりに戦えはしますが、ジョブは下位。戦闘力も一般人とあまり変わらないかと」
「なんだよそれ……。仮にも王女の遠出だろ?もっと手厚くしねぇのか?」
「そうして、彼女に重きを置くわけにもいきません」
「え……?」
俺が聞き返しても、彼女は答えなかった。しかし、その表情にはわずかながらの悲哀が見え隠れしている。
俺はそれに対し訝しんだが、クロエはそれに気付こうともせず、馬車の中へと足を踏み入れていった────。
♢♢♢
馬車に乗り、王都を出たところでクロエが地図を広げた。そこにはやはり赤い線で順路が引かれている。
「今回はこのような道を通ります」
その順路は相変わらず微妙に遠回りをしたものだった。
しかし、それを見ていたキリカがハッと息を呑んだ。
「前見た時もなんとなく思ったけどさ。これ、かなり安全性が考慮されてない?」
「え?」
「人通りが多かったり、判明している魔族の巣や洞窟からは離れた道にしてる。とにかく安全に行こうって感じ?」
「でも、俺達の出てきた洞窟の近くを通ってたじゃねぇか」
「あれはまだゴブリン達が住み着いているかもしれない、って感じだったでしょ?だからギルドが調査のクエストを出してたわけだし」
「あー、そういうことか。つっても、危ない場面もあったけどな」
俺がそう言って僅かにクロエに視線を送ると、彼女は少々戸惑っていた。
「あれは、本当に想定外でした。私もあの方も深く反省していて───」
「あの方……?」
「あ、いえ……。すいません、こちらの話です」
彼女はバツが悪そうに視線を背けた。あの方……。一体なにを隠してるんだ、このメイドは。
「おおー!見よ、ユーリス!川の水が透き通っておるぞ!」
そんな俺達の話しをよそに、王女様は外の景色に釘付けだった。
彼女を見ていると、知らず知らずのうちに気が抜けてしまう。
「お前、王女様って感じしないよな」
「む?」
「なんつーか、威厳とか風格がないというか。シャディルはいかにもお偉い王族って感じがしたけど……」
俺がふわふわとした理論で言葉を紡ぐと、ルミナは一瞬目を丸くした。
そして、彼女はちょこんと座席に座り直し、僅かに視線を下げる。
「やはり、そう思うか?」
「え?」
彼女はそのままぽつりとぽつりと言葉を紡いでいった。
「余は、幼い頃からこの調子でな。絵を描くことや旅をすることが大好きで、よく勉学を放り出して城を抜け出していたのじゃ」
俺は無意識に姿勢を正し、彼女に向き直る。
「その度にこっぴどく叱られていたが、余は一人ではなかった。シャディルが付いてきてくれたのじゃ。シャディルは余のわがままに付き合い、色んな場所を共に探検してくれた。そして、余の書く絵を満面の笑みで褒めてくれたのじゃ。上手だね、とな」
彼女は服を軽く握り込む。
「シャディルに言われて一番嬉しかったことはな、『お姉ちゃんの絵も、お姉ちゃんが絵を書いているところも大好きだよ』という言葉じゃった。あの時は思わず、シャディルに抱きついてしまったのう」
ルミナは照れ笑いを浮かべる。
「シャディルは素直で、優しくて、いつも余のことを心配してくれた。とっても、いい子なのじゃ」
クロエは何も言わず、瞳を閉じている。
「しかし、いつしか変わってしまった。ある日突然、僕は王子として王位を継承すると言い出したのじゃ。それから、シャディルは王族としての在り方と誇りを持って日々を生きるようになった。勉学や政務に励むようになり、同時に余とは遊ぶどころかまともに口もきいてくれぬようになったのじゃ」
ルミナは、馬車の窓から遠くを見つめる。
「なぜ、シャディルがあのようになってしまったのかは未だもってわからぬ。問うても問うても、返ってくるのは『姉上には関係ない』の一点張りじゃ」
そこで、俺は思わず口を開いてしまった。
「ルミナは、シャディルが嫌いか?」
ルミナは消え入りそうな笑顔で首を横に振った。
「それは決して無いぞ。どんな人間になろうと、シャディルはシャディルじゃ。余が愛していることに変わりはない。王位を継ぎたいというのなら、せめて邪魔はせぬようにするだけじゃ。───ただ、少しだけ、寂しいのう……」
彼女の言葉には、確かな質量がある。何を思い、何に悩んでいるのか。その全てが彼女の口から紡がれた。それを記憶として残すことはできる。
しかし、おそらく理解はできないのだろう。いや、そう簡単にしてはいけない。きっと、彼女が紡いだ十数年の人生の中で、積もり積もってしまった傷なのだ。寂しさという、不可視の傷。
それに、安易に同意を示すことはできない。だからこそ、俺はこれだけを伝えた。
「───話してくれてありがとな、ルミナ」
彼女は一瞬驚愕に目を丸くしたのち、頬を緩めた。
「なに、余が勝手に話しただけじゃ。それに、何だかそなた達には、聞いて欲しくなったのじゃ」
ルミナは声音を柔らかくしてそう告げた。その時、ふと彼女の手に隣の人間の手が重なった。
「…………?クロエ?」
呼ばれて、クロエは一瞬肩を跳ねさせた。自分でも無意識の仕草だったのだろう。
「も、申し訳ありません、ルミナ様!」
すぐさまクロエはその手を引っ込めようとする。しかし、その手をルミナが優しく取った。
「別に良いぞ。余はクロエのことも愛しているからな」
ルミナの太陽のような輝かしい笑顔に、クロエの目元が僅かに朱色に染まる。
「……勿体なきお言葉。ありがとう、ございます」
彼女は声を震わしながら、顔を伏せた。二人の手は程よく、しかして強く握りあっていた。
ルミナとクロエは、本当の意味で他人のことを想える人達なのだろう。自然と、こちらの胸も締め付けられる。
そして、ふと隣に座るキリカを見やる。彼女の表情にも憂いが宿っていた。きっとキリカも、何かを想っているのだろう。
俺は、何を、誰を想っているのだろう。……分からない。わかっていても、それが想っていることになるのかすら、わからなくなっていた。
だから、せめて俺はほんのわずかでもルミナの悲しみを埋められるように努めよう。そして、キリカにもいつか恩返しをしよう。
こんな曖昧で、不安定な俺にできることなんて、きっとそれぐらいなのだろう───。
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