第13話 交わされる想い

 目を閉じれば、様々な記憶が瞳の裏側を巡っていった。これは、現世の記憶だ。

 どんな思い出にも、彼女の姿があった。彼女はいつも俺に笑顔を向けて、その手を引いてくれている。昔から変わらず、俺の傍にいたのだ、彼女は。

 俺は彼女を信頼していたし、彼女も俺のことを信用していた。いずれは恋人となり、夫婦となり、支え支えられながら、終生を過ごすのだろうと思っていた。


 しかし、それは全て幻想だった───。


「.......寝れねぇ」


 寝袋から起き上がり、みんなを起こさないように立ち上がる。


 薄緑色の草原が広がる丘の上。ここが今日の寝床だった。

 夜も更けて、辺りは寒々しい程の静寂が降りていた。吹き抜けるそよ風が頬を撫でていく。


 俺は馬車から少し離れた場所で仰向けに寝転がり、夜空を眺めた。


 宝石が散りばめられたような星々が、煌びやかに輝いている。瞳に映すにはいささか眩しい気もするが、その星空に魅了されて、視線を外すことが出来なかった。


「.......キレイな星」


 俺の頭上で、そんな声が響いた。ちらりと上を向くと、小さく髪をかきあげるキリカが立っていた。


「隣、いい?」


「どうぞ」


 彼女は俺の横に腰を下ろし、膝を抱えながら座った。


「こんな時間にどうしたんだ?」


「それ、こっちのセリフでもあるんだけど」


「俺は.......。なんか、眠れなくてな」


 体には嫌というほどの疲労が溜まっていて、休息を欲しているはずだった。けど、目を閉じようとも、安寧の暗闇は訪れない。いつまで経ってもフラッシュバックが止まないのだ。


「あたしも」


 彼女はそう言って、薄く息を吐いた。


「.......ユーリス」


「ん?」


「痛くない?」


「あ?ああ、ルミナに治してもらってから、痛みはねぇよ」


「違くて。.......胸の痛みは、ないの?」


 心臓が一度、大きく脈を打った。痛くないわけが無い。痛いどころか、締め付けられて苦しくなっているのだから。


「まあ、痛いさ、そりゃ」


「そっか.......」


 彼女の言葉は夜風にさらわれて消えていく。


「じゃあさ、やっぱり、リィナのこと好きだったんだ」


 彼女は膝に口元をうずめながら、チラリと視線を向けてきた。


 俺は胸部が膨らむほど大きく息を吸い込んだあと、ゆっくりと息を吐いた。


「.......死ぬほど好きだった。俺にとって、リィナが全てだったからな。極端な話し、あいつさえいれば他はどうでもいいと思えた」


 俺は、空気と共に胸の内に溜まっていたものを吐いた。明言したのは、これが初めてかもしれない。誰にも言ったことがなかった。他人はおろか、本人にすらも───。


「俺は、無能な無黒インフェリアだった。生まれた時から周りの視線は冷え切ってたし、行く先々で罵られ、馬鹿にされてきた。けど、そんな俺をずっと見捨てず支えてくれたのは、リィナだった。リィナが一番身近にいる、一番の理解者で、俺の存在を肯定してくれる人間だった」


「..............」


 キリカに言葉はない。彼女は気づけば顔を伏せ、袖をキュッと強く握っていた。

 どこか辛そうに見えたが、俺は言葉を続けた。彼女が、そう望んでいるような気がしたから。


「今思い返してみると、半ば、ていうか完璧に依存してたんだなーって。そんで、リィナに対して盲目的になっていった。彼女は嘘も隠し事もしない、清廉潔白な素晴らしい女性なんだ。だって、俺の憧れの人なんだから。俺達は深い絆で繋がっているんだから、って───。バカだよな。そんなこと、あるわけねぇのに」


 俺は体を起こし、草原の方へと目をやる。緑達は夜風に身を任せ、ゆらゆらと揺れている。


「その結果がこれだ。俺はリィナのことしか見ていなかったはずなのに、その実何にも見ていなかった。俺が見ていたのは、『俺が作り上げた理想のリィナ』だったんだ。だから、彼女の不満にも寂しさにも、気づかなかった。違和感を感じながらも、見て見ぬふりをしてたんだ」


 肺に溜まった息を、緩やかに空気中へと戻していく。


「そもそも無黒インフェリアだから、極端に臆病で、弱気で、依存体質な俺になっちまった。それはたぶん、要因としてはある。けど、それを言い訳には出来ねぇ。俺が一歩引いて、ちゃんと彼女と彼女の周囲の世界を見ていたら、結末は変わってたのかもしれない。ロットの思惑にも、リィナが苦しんでいる事実にも、気づけたのかもな」


 俺は息をのみ、再度星空を見上げた。こうして見ると、まるで自分の瞳に星達が宿っていると錯覚してしまいそうだった。


「だから、リィナの選択を俺は責められねぇ。俺がいつまで経っても想いを告げなかったのも、明らかに悪いしな。その末にリィナがロットを選んだなら、まあ、そういうことだろ」


 あの何かが崩落してしまったような表情を思い出すと、頭に鈍い痛みが走る。彼女のあんな表情、見たことがなかったし、見たくもなかった。

 後悔など、数えればキリがない。けど、いくら数えたところで、それが減るわけでもない。あそこでこうしていればなんて、考えても詮無いことだ。

 なぜなら、選択というものは覆せないからこそ意味を持つのだ。だから、俺は一生、この後悔を背負い続けていくだろう。選択の代価として。


「.......ユーリスの気持ちは、わかった」


 キリカは、ようやく伏せていた顔を上げた。


「それでも私は、リィナとロットを許せない」


 彼女の語気は強い。瞳も、敵意の輝きに満ちていた。


「確かに、ユーリスにも悪い部分があったかもしれない。でもやっぱり、ユーリスにちゃんと言わなかったリィナにも非があるに決まってる。心は、言葉にしても伝わらない時があるし、言葉にしなかったら尚更伝わらない。あの時も言ったけど、いくら幼なじみだからって、それを何も言わずに察するなんて無理な話し。その末に違う男を選ぶなら、勝手にすればいいと思う。けど、さもユーリスのせいみたいに言って、挙句の果てに殺そうとするなんて、許せるわけない」


 彼女は薄く息をはき、瞳を鋭くさせた。


「ロットだって、ユーリスとリィナの気持ちには気づいていた。気づいた上で、リィナに手を出した。そこに恋心があって、積極的に動いていただけならそれでもいい。けど、あいつはわざわざリィナの弱味につけ込んで、関係を迫った。そこに愛なんていう尊いものはない。自分の欲を満たすための道具としかリィナを見てなかった。それによってリィナが傷ついているのをわかっててもなお、その行為を続けた。はっきり言って、クズとしか思えない」


 彼女の毒は止まらなかった。しかし、それらを全て出し切った後に浮かべたものは、自虐的な笑みだった。


「けど、それをずっと黙っていたあたしも、相当クズかもね」


 その言葉に、俺はすぐに反論を投げた。


「ちげぇよ」


「え.......?」


「あん時言ったろ?お前は何も悪くねぇ。むしろ巻き込まれただけだって。ごめんな、こんなことになっちまって」


 俺がそう告げると、彼女は頬に一筋の熱涙を伝わせる。そして、再度俯きながら、ぽつりぽつりと言葉を紡いだ。


「.........伝えるべきか、迷ってた。全部知ってたけど、それを言ったら、ユーリスは壊れちゃうんじゃないかって。私の口からは、とても言えなかった。────だって私は、『リィナ』にはなれないから」


 彼女の震える声音に、胸が切なく締め付けられた。呼吸が止まり、目頭が熱くなる。


あんたが必要だし、支えてあげたいと思ってるよ』


 あの時のキリカの言葉が、頭の中で反芻される。そうか、あれはただの励ましの言葉じゃなかったんだ。

 彼女は精一杯、告げてくれてたのだ。『あたしはあんたの味方だよ』、と。


「.......わりぃ。あと、ありがとな」


「.......うん」


 消え入りそうな声で、そう告げた。そうか、まだ俺には、味方がいるんだ。


 自然と頬が綻んでしまう。その事実だけで、俺は救われた気がした。


「ま、そろそろいい歳だし、自立しないとな」


「何それ.......」


 キリカは微笑みながら、その涙を拭った。


「とりあえず俺はジェイロとゴードをぶっ飛ばさねぇと気がすまねぇけど」


「確かに、ムカつくけど.......なんで?」


 俺は拳を握り込みながら、キリカに真っ直ぐに言い放った。


「俺の仲間を汚ぇやり方で傷つけようとした。そんだけで、ぶん殴るに値するだろ?」


 俺のそんな姿を見て、彼女を目を白黒とさせた。


「ユーリスって、ほんと変わったね。ショック療法?」


「まあ、近いかもな。嫌か、こんな俺は?」


 俺が問うと、彼女は緩くかぶりを振った。


「いいと思うよ。前のユーリスも、今のユーリスも」


「ありがとよ」


 礼を告げて、にししと笑っていた俺だが、ふと素朴な疑問が湧いた。


「そういえば、なんでお前はそこまで俺のことを.......?」


 俺の疑問に、彼女は一瞬にして顔を赤らめる。一度視線をそらし、低く唸った。なんだ?と思っていると、不意に彼女はこちらを見ながらいたずらっぽく笑った。


「なんでだと思う?正確に当ててみて」


 そう言われ、俺は思考を回し始めた。


「んー、俺への同情!」


「違う」


「お前の優しさ!」


「違う」


「ロット達への憎悪!」


「違う」


「はぁ〜?」


「ほんと、ダメだね」


 彼女に呆れられてしまった。


「じゃあ答えはなんだよ」


 俺が後ろ頭をかいていると、彼女はすっと立ち上がり、空を見上げた。その瞳には、薄黒い夜と、色彩豊かな星々が映っていた。


「───あんたが本当に傷を克服出来たら、教えるよ」


「は?」


「今はまだ、たぶんダメだから」


「え?ちょ、どゆこと?話しが見えん」


「いいの。ほら、そろそろ戻るよ」


 そう言って、彼女は馬車の方へと戻ってしまった。


 俺は「なんだよ.......」とボヤきながらその後に続く。





 ────いずれ、俺はその答えを知ることになる。しかしそれは、まだ先の話だ。




次章 訣別の時

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