第36話 抵抗

 あまりにも衝撃的な松沢のピッチングをたりにして、常陽学院の野球部員は、全員が狼狽ろうばいし自分を見失いかけていた。

 しかし、そんな彼らを窮地きゅうちから救ったのが顧問の沙也加だった。


「みんな、とりあえず落ち着こう。わたしの経験上、どんなに強くて立派な人でも弱い部分は必ずあった。松沢君だってきっとそう。だから、いまは自分たちのできることをしよう。そしてチャンスを待とう!」

 立ち上がってよびかけた彼女の言葉をうけて、真っ先に顔を上げたのは唯だった。


「沙也加ちゃんのいうとおりだ。松沢だって人間なんだ。あんな全力投球を続ければどこかでスタミナが切れる。それまではなんとか耐えよう!」

 二人のよびかけに、他の部員も次々と顔を上げ声をかけあう。戦う姿勢を取りもどした彼らは、ベンチからそれぞれの守備位置に散っていった。


「沙也加ちゃん。ありがとう。アタシ、頭真っ白になってた……」

 二人きりになったベンチで、唯は沙也加に頭を下げる。

「らしくないね。投資の世界では、もっと激しい修羅場しゅらばを何度もくぐりぬけてきたんじゃないの?」

 唯はかぶりを振って否定する。


「いや、こんなの初めてだよ。投資の世界には、休むも相場って格言かくげんがあってさ、状況が読めないなら休んで様子を見るのがセオリーなんだ。でも、いまは休めない。想定外の事態が起きているのに、みんなを前線に送らなきゃならない……」

 悔しさを押し殺すように、彼女は奥歯をかみしめた。


「たしかにそれはつらいね。でも、みんなと勝ちたいでしょ?」

「うん。勝ちたい。みんなと甲子園にいきたい」

 大きくうなずいた唯は、気持ちを整えてノートパソコンで分析を始めた。



 2回表。先頭の六番新井あらいが、恵一の三球目のストレートを振り抜き、強烈なライナーがレフトに放たれる。誰もが長打を確信する当たり。しかし、そこに俊足を生かして飛びこんだのが遼太郎だった。

 見事なダイビングキャッチが決まり、常陽学院はアウトをひとつもぎ取る。


 さらに、続く七番鈴村すずむらの大きく弾んだゴロも、サードの歩が華麗なグラブさばきで処理してツーアウト。ファインプレーの連続に、観衆から拍手が送られる。

 ピッチャーの恵一も、八番川木には四球フォアボールを許したものの、九番の松沢をきっちり三振にしとめてスリーアウト。

 必死の守りで相手にチャンスをあたえなかった常陽学院は、1点も失わずにこの回を切り抜けた。


 しかし2回裏、常陽学院の前にまたしても松沢恒翔が立ちはだかる。

 雅則、歩、恵一が立て続けに三振をうばわれて、攻撃は終了。常陽学院は、ボールを前に飛ばすことすらできない。


 3回表。聖陵学舎の打線が二巡目に入ったこの回に、試合は動きだす。

 恵一の投球を慎重に見きわめた一番の新田が四球フォアボールで出塁し、続く岩崎が送りバントを決めて1アウト二塁。

 さらに三番の青井あおいもセンター前ヒットで続き、ランナーは一塁三塁。聖陵学舎は先制のチャンスを迎える。


 ここで打席に立ったのが、聖陵学舎の主砲しゅほう、四番の田村だった。

「ここは山場やまばだな……」

 恵一はマウンド上で小さく呟く。気持ちを整えた彼は、臆することなく冷静な投球で立ちむかい、1ボール2ストライクに相手を追いこんだ。


 そして四球目、恵一のインコースのストレートにつまらされた田村は、平凡へいぼんなポップフライを打ち上げる。

 しかし、打ち取ったと思われた当たりはサードとレフトの間に着地してタイムリーヒットとなり、常陽学院は不運な形で1点を失った。


 さらに、五番木口の放ったタイムリーツーベースにより2点目がうばわれ、なおも1アウト二塁三塁のピンチが続く。

 ここで常陽学院のベンチからタイムが要請ようせいされる。マウンドに小走りで駆けつけたのは、唯だった。


「お嬢、すまねえ。2点も献上けんじょうしちまった……」

 マウンドに集まった内野陣の中心で恵一が悔しそうにうなだれたが、唯は動じることなく声をかける。


「気にするな。1点目は打ち取った当たりだったし、2点目は相手のバッティングが見事だった。恵一の投球も雅則のリードも通用してる。だからこそ、ここからが重要なんだ。大まかな計算だが、あの調子で投げ続ければ、松沢のスタミナは五回頃には切れるはずだ」


 唯からもたらされた明るい知らせ。マウンド上に集まった全員の表情に、希望の光が差しこむ。

「それまで耐えれば、チャンスはあるってことだね!」

「そのとおりだ!」

 笑顔で問いかけた舞に、唯が力強く答える。


「これ以上は、1点もやれねえな」

「ああ。ただし丁寧ていねいにいこう。是川さんもいったが、恵一のピッチングは通用してるからな。あわてずにコツコツとアウトを取っていこう」

 恵一と雅則のバッテリーが、気持ちを新たにする。


「相手は全国一のチームだから、防ぎようのない失点は気にするな。ただし、こっちのミスで相手を勢いづかせることだけは絶対にさけよう」

 唯の言葉にうなずき、内野陣はそれぞれの守備位置にもどっていった。


 試合再開後の初球、恵一はインコース高めのストレートで、聖陵学舎の六番新井につまったファールフライを打たせる。

 一塁側スタンドに入るのかファールグラウンドに落ちるのか、曖昧あいまいな軌道をえがきながら落下していくボール。その着地点に猛然もうぜんと駆けこんだのが、ファーストの大吉だった。


 彼は飛び上がってボールをキャッチし、そのままフェンスに激突したが、すぐに体勢を立て直してランナーを牽制けんせいする。

「助かったぜ大吉。ケガはないか?」

 恵一が心配そうに声をかけたが、大吉は得意気とくいげに笑った。


「大丈夫だよ。ケガをしないように計算して飛びこんだのさ。どうやら僕は、守備の才能にも目覚めてしまったようだね」

「ああ。そうみたいだな……」

 なにが計算だ。ケガ上等で飛びこんだくせに。恵一は心のなかで呟きながら気合を入れる。大吉の勇気あふれる守備をムダにするわけにはいかなかった。


 彼は、七番鈴村を丁寧ていねいにコースを突いた投球で追いこむ。

 そして四球目、恵一の投じた低めのスライダーに手をだした鈴村の打球は、弱々しく宙を舞った。

 その瞬間、打球の行方ゆくえを追った誰もが、三打席前の不運なタイムリーヒットを思いだす。彼らの視線の先で、ボールはセカンドとライトの中間地点に力無く落下しようとしていた。


 しかし、その着地点に驚異的きょういてきなスピードで走りこんだのが晴人だった。彼は勢いのままスライディングを敢行かんこうし、地面に落ちる寸前でボールをグローブに収めた。


 絶体絶命のピンチをファインプレーの連続で切り抜けた常陽学院に、スタジアムのあちこちから拍手と声援が送られる。

 彼らが聖陵学舎という強敵を前にしても一歩も引かない姿勢は、観客席にもはっきりと伝わっていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る