第32話 リベンジ

 2回裏に総武大付属が1点を取り返し、3回は両チームともチャンスを作ることができずに無得点。序盤戦じょばんせんのスコアは2対1となり、試合はいくぶん落ち着いたかに見えた。

 しかし4回表、大きなアクシデントをきっかけにゲームは一気に動きだす。


 この回、最初にバッターボックスに立った剛が、たくみなバットコントロールで疲れの見えてきた小岩を苦しめる。

 ボール球にはまったく手をださず、ストライクゾーンに入ってきたボールをことごとくファールで流した彼は、8球目に四球フォアボールで出塁した。


 散々さんざんねばられたあげく出塁されたことで、小岩のイライラは頂点ちょうてんに達していた。さらに、照りつける強烈な日差しが、彼のスタミナと集中力をうばっていく。

 彼の視線の先では、バッターボックスに立った舞がバントのかまえを見せていた。


 その初球、小岩の手からすっぽ抜けたボールが、バントを狙ってかがんでいた舞の顔面に飛びこむ。彼女はすぐに身をひるがえすが間に合わない。


 にぶい衝撃音がひびき、ボールがグラウンドを転々とする。観衆かんしゅうがざわめくなか、舞は右腕をおさえてうずくまっていた。

「鬼塚さん! 大丈夫か!」

 ネクストバッターズサークルから虎徹が駆けよるが、彼の言葉にうなずきながらも舞は苦しそうな表情をうかべている。


「舞!!」

 絶叫しながら、弾丸だんがんのようにベンチから飛びだしたのは唯だった。

「しっかりしろ! 大丈夫か? どこが痛む?」

 彼女は青ざめた表情で、うずくまる舞を心配そうにのぞきこむ。しかし、そこで耳にしたのは意外な言葉だった。


「大丈夫だよ唯ちゃん。わざとだから……」

 その意味を理解した唯はすぐさま立ち上がり、マウンド上で呆然ぼうぜんとする小岩をにらみつける。


「ふざけたボール投げやがって! おい! なにボーっとしてんだ。あやまれよ! 帽子ぼうしを取ってあやまれよ!」

 鬼のような形相ぎょうそうで、唯が小岩を怒鳴どなりつける。その声に合わせて、スタンドのあちこちからも彼を非難ひなんする声が上がった。


 唯は、あわてて帽子を取った小岩には目もくれず、彼女を注意しようとした審判に、落ち着いた口調で声をかける。

「すみません。少し熱くなりました。治療ちりょうのために、彼女を一度ベンチにもどしたいんですが、いいですか?」


 審判の許可を得た唯は、舞によりそってベンチにもどる。

 チームメイトが心配そうに二人を迎えるなか、意外なことに、舞はいたずらっぽく舌をだして彼らに笑顔を見せた。


「まったく、ハラハラさせるなよ。心臓に悪い」

「ごめんね。でも、敵をあざむくにはまず味方から、っていうでしょ? それに、あれぐらいのボールをわたしがよけられないとでも思った?」

 状況を理解できず目を白黒させる周囲をよそに、二人のやり取りは続く。


「ヒジのプロテクターでうけたんだな?」

「うけた。っていうよりは、はじき上げた感じかな。ダメージがのこらないように、ボールの軌道きどうを変えたんだ。いい音したでしょ?」

 得意気とくいげに右ひじを動かす舞と、彼女をあきれ顔で見つめる唯。そんな二人に虎徹が問いかける。


「あの、いったいどういう……」

「わざとぶつかったんだよ。小岩のメンタルを揺さぶるために、舞はあえて死球デッドボールを選んだんだ。もちろんケガはしないようにな」

「じゃあ、さっき痛がってたのは……」

「演技だよ。まあ、ちょっと痛かったけどね」

 あっけらかんと答える舞に一同は唖然あぜんとしていたが、あることに気づいた雅則が口をひらく。


「是川さんは、駆けよったときに演技だってわかったんだよな。じゃあ、小岩を怒鳴りつけたのも……」

「パフォーマンスだよ。死球デッドボールでパニックになってる小岩を、さらに追いこんでやろうと思ってな」

「やっぱりそうか。あいつにはかなり効いたみたいだな」

 雅則の言葉どおり、マウンド上では、青ざめた表情の小岩が集まったチームメイトと話しこんでいた。


「このチャンスで一気に決めるぞ! 虎徹。狙い球はわかってるな」

「わかってる!」

 唯から声をかけられた虎徹は、大きくうなずいてバッターボックスにむかった。



 ベンチから小走りで一塁にむかう舞に、球場のあちこちから拍手と歓声が送られ試合は再開される。そんななか、バッターボックスに立った虎徹は、狙い球をアウトコースのストレート一本にしぼっていた。


 中学時代の小岩は、死球デッドボールをだしてしまった場合、次のバッターへの初球はいつもアウトコースのストレートから入っていた。

 そして、この傾向がいまも変わっていないことは、唯の分析が明らかにしている。


 舞と唯の演技によって精神的に追いこまれた小岩が、インコースに投げられるはずがない。彼は強い確信をもってバットをかまえ、集中力を高めた。


 その初球、狙いどおりのコースに放たれたボールにむかって、虎徹は迷うことなく踏みこみ、ありったけの力でバットを振り抜いた。


 次の瞬間、快音と共に打ちだされたボールが勢いよく宙を舞う。総武大付属のセンターがあわててボールを追うが、間に合わない。

 あわやホームランかという強烈な一撃。外野フェンスを直撃したボールはそのまま右中間を転がっていった。


 剛と舞が本塁を走り抜け、常陽学院に2点が追加される。虎徹も勢いのまま全力で疾走し三塁にすべりこんだ。

 スライディングから立ち上がった彼に対して、スタンドから拍手が起こり常陽学院のベンチからは大歓声が送られる。


 三塁上で、チームメイトにむかって軽く手を上げた虎徹の心は、震えていた。

 中学時代、いくらがんばっても超えられなかった壁。それを打ち崩した感触が、彼の手の平にはたしかに刻まれていた。



 みずからが招いたピンチで、中学時代に見下していた虎徹から長打を浴びた小岩は、もはや平常心を失っていた。


 虎徹に続いてバッターボックスに立った晴人に対する初球、スクイズを警戒してアウトコースに投げこまれたボールは、キャッチャーミットを大きくそれてバックネットまで転がる。

 この暴投のスキに三塁ランナーの虎徹がホームに生還し、常陽学院にさらに1点が追加される。


 その後も小岩の制球は乱れ、晴人が四球フォアボールを選んで出塁し、続く遼太郎は唯のサインどおりに送りバントしかける。

 うまく勢いを殺された打球がピッチャーマウンドの右側に転がったが、あわてた小岩の送球がワンバウンドし、総武大付属のファーストはボールをミットからこぼしてしまう。

 ノーアウト一塁二塁。常陽学院にさらなるチャンスがおとずれる。


 投球だけでなく守備でもミスを犯した小岩が、イライラした様子でプレートにかかった土を足で払う。

「よしよし。思ったよりも早くキレてくれたな」

 ベンチで彼の様子を見ながら、唯が不敵な笑みをうかべる。そのまま彼女は、バッターボックスの大吉と二人のランナーにサインを送った。


 その初球、唯からのサインどおり晴人と遼太郎がスタートを切り、アウトコースのストレートを大吉が見送る。

 総武大付属のキャッチャーも急いで立ち上がったが、俊足の二人に完璧なタイミングでしかけられた時点で、勝負は決まっていた。


「ダブルスチールか……。大胆だいたんに攻めるわね」

 顧問の沙也加が、感心しながら唯に言葉をかける。

「そうでもないよ。いまの小岩にランナーを気にする余裕はないし、牽制球けんせいきゅうのクセはわかってるからね。確実な作戦だよ」

 こともなげに話す唯の視線の先では、大吉が闘志を前面に押しだしてバットをかまえていた。


 彼は、2ボール1ストライクからの四球目、甘く入ったストレートを思い切り振り抜く。打球は全速力でバックした総武大付属のレフトにキャッチされたが、犠牲フライでさらに1点が追加された。


 これでスコアは6対1。常陽学院はこの回に4点をうばったが、彼らの勢いは止まらない。


 5番の雅則がライト前ヒットでつなぎ、続く歩もレフト前にタイムリーヒットを放って7対1。さらに恵一が送りバントを決めたことで、ツーアウトながらランナーは二塁三塁とチャンスが続く。


 ここで総武大付属はタイムを取り内野手がマウンドに集まったが、冷静さを失った小岩はチームメイトの声にまったく耳を貸さず、むしろこのピンチを仲間のせいにして当たり散らす始末だった。


 試合が再開され、8番の剛がバッターボックスに立つ。彼はこの打席でも目立たないように四球フォアボールを選び、ツーアウト満塁。

 さらに、前の打席で死球デッドボールをあたえてしまった9番の舞に、小岩がまともに投球できるはずもなく、押し出しの四球フォアボールで常陽学院に8点目が入る。


 そして虎徹が、再びバッターボックスに立った。



 ふざけんな。なんで、こんなことになってんだよ……。マウンド上で虎徹と対峙した小岩は、いまだに現実をうけいれられなかった。

 自分がベストの状態なら、聖陵学舎だって抑えられる。そう信じて疑わない彼にとって、虎徹と常陽学院は、道ばたに転がる小さな石ころのようなものだった。

 そんな格下の相手から8点をうばわれ、ランナーは満塁。汗は止まらず息は乱れ、右手の握力も弱まっていく。


 しかし、彼のプライドはギリギリのところで保たれていた。この回に6点を失ったが、それはあの女子選手への死球デッドボールでペースを乱されたからだ。俺は実力で負けたわけじゃない。運が悪かっただけだ。


 まぐれが続くと思うなよ。そんな意地をぶつけるように、小岩は全力でストレートを投げこむ。しかしそのボールには、もはや自身がイメージしたような威力はのこされていなかった。


 ストライクゾーン高めに甘く入ったボールを、虎徹の鋭いスイングがとらえる。

 快音と共に放たれた打球は勢いよく小岩の頭上を越えていき、同時に彼のプライドを粉々こなごなに打ち砕いていった。


 虎徹の放ったツーベースヒットによりランナー全員がホームに生還し、常陽学院はさらに3点を追加する。

 二塁上でベンチにむかってガッツポーズを見せる鈴木虎徹と、マウンド上でガックリとうなだれる小岩竜二。対照的な二人の様子は、この試合の結末を物語っていた。



 試合終了後、常陽学院野球部は、疲労回復プログラムを受けるために是川スポーツ科学センターにむかっていた。


 13対1。5回コールドの圧勝で総武大付属を退しりぞけけたことから、マイクロバスの車内は明るい雰囲気に包まれていた。

 そんななか、唯から次の対戦相手の情報が伝えられる。


「みんな、聞いてくれ。聖陵学舎の試合がさっき終わった」

 それまでのにぎやかなムードが一変し、全員が彼女の言葉に耳をかたむける。

「結果は20対0。5回コールドだ」

 どちらが勝ったのか。そんな質問は誰からも上がらない。勝者の名前は聞くまでもなかった。


「そんなに深刻な顔するな。いい知らせもあるんだ。よく聞けよ? 今日はな、松沢が5回まで投げたそうだ」

 それは、常陽学院にとって最高のニュースだった。

「ということは、三日後の俺たちとの試合、松沢は先発してこないってことか!」

 興奮をかくしきれずに、雅則が口をひらく。


「まあ断言はできないが、過去のデータから見れば、その可能性は高いな」

 唯の表情にも、うっすらと笑みがうかんだ。


 松沢恒翔が本気になる前にリードをうばうことは、聖陵学舎に勝つために絶対に必要な条件だったが、彼が先発しないとなればその可能性は高まる。

 いけるかもしれない。全員の心のなかで、ジャイアントキリングを達成するイメージはより明確になっていた。

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