第31話 先制攻撃

 7月14日。常陽学院と総武大付属の試合当日、会場となった青海学園大学あおうみがくえんだいがく野球場の一塁側スタンドでは、たくさんの生徒が応援の準備をしていた。

 その一方で、三塁側スタンドは人影もまばらだ。


「またまた完全にアウェーだね……」

「まあ、しょうがない。今日も平日だし……」

 スタンドを見上げながら、虎徹と晴人は初戦と同じ会話を交わした。しかし、虎徹の表情が一週間前よりも硬いことに晴人は気づく。


「こてっちゃん。なんか緊張してない?」

「まあ、少しね。今回は先頭バッターだから、俺がしっかりしないと」

 大役を任され、なんとしてでも結果をだしたかった虎徹は、はやる気持ちを抑えきれずにいた。


「一人で背負せおいすぎだよ。是川さんもいってたけど、みんなでコツコツと小岩君を追いこめばいいんだ。野球はチームスポーツなんだから」

 晴人の言葉が、前のめりになっていた虎徹の心を落ち着かせる。

「そうだった。ありがとう晴人」

 軽く頭を下げた虎徹に笑顔を返しつつ、彼はまぶしそうに太陽を見上げた。


「これだけ強烈な日差しなら、まだまだ気温も上がりそうだね。今日はとにかくねばって一秒でも長く小岩君を太陽にさらして、ぶたの丸焼きにしてやろうよ」

「ああ。こんがり焼いてやろう」

 めずらしく毒舌どくぜつな晴人に、虎徹は笑顔でうなずいた。



「集合!」

 審判の号令ごうれいにうながされ、両チームの選手がベンチから駆けだしグラウンドに整列する。

 偶然ぐうぜんなのか意図的いとてきなのか、虎徹の真正面に立ったのは小岩だった。


「久しぶりだな、補欠。野球は中学でやめたんじゃなかったのか?」

 ニヤニヤと笑いながら小岩が挑発的な言葉を投げかける。しかし、いまの虎徹はひるまない。


「そっちこそ、高校やめてなかったんだな。彼女を追いかけてったのに、入学してすぐにふられたんだろ?」

「なんだと?」

 思わぬ反撃をうけた小岩は、気色けしきばんで虎徹につめよる。そしてそれを、総武大付属の選手があわてて止めた。

 そんななか、虎徹の隣でその様子を見ていた恵一が、ここぞとばかりに敵をあおり立てる。


「まったく、ピーピーうるせえブタだな。そりゃ、女にもふられるわけだ。目障めざわりだから、とっとと豚小屋ぶたごやに帰れよ」

「同感だね。だらしなく太った体に幼稚ようちな人間性。まるで去年までの自分を見せられているようで、こっちが恥ずかしくなる」

 恵一の挑発に大吉も続く。ボロクソに罵倒ばとうされた小岩は、怒りの矛先ほこさきを二人に変えてつめよったが、恵一も大吉も一歩も引かない。


「そこ、なにをしている! やめなさい!」

 騒ぎに気づいた審判の注意により、その場はとりあえず収まった。しかし、小岩は怒りで顔を真っ赤に染めながら、虎徹、恵一、大吉の三人をにらみつけていた。


「悪い。なんか巻きこんじゃって……」

 挨拶あいさつを終えてベンチにもどる途中、虎徹は恵一と大吉に言葉をかけた。


「なんで虎徹があやまるんだよ。先にしかけてきたのはあっちだろ?」

「そのとおりだ。虎徹君は少しも悪くないよ。そんなことより小岩を見てごらんよ。あれだけイライラしていれば、きっとピッチングにも悪影響あくえいきょうが出るはずだよ」

 三人の視線がマウンド上で投球練習を始めた小岩にむかう。そこで彼は、プレートについた土をしきりに足で払っていた。


「感情的になったときのクセがもう出てる。これならすぐに崩せる」

 虎徹は言葉に力をこめたが、そんな彼の肩を恵一が軽くたたく。


「そう熱くなるなよ。お嬢の作戦どおり、俺たちはみんなでジワジワと小岩を追いこめばいいんだ。とりあえず冷静にいこうぜ」

「そうそう。虎徹君は器用だから、いろいろ揺さぶってくるといい。そして、小岩が崩れたおいしいところは、僕が全部いただく!」

 大吉もジョークをまじえて虎徹に笑顔を見せた。


「ありがとう。とりあえず、いろいろやってみる」

 二人にうなずいて、虎徹はバッターボックスへとむかった。



 1回表。試合は常陽学院の攻撃から始まり、先頭を任された虎徹がバッターボックスに立つ。


 まだ怒りの収まらないマウンド上の小岩を見ながら、虎徹は自分がやるべきことを冷静に考えていた。

 とにかくねばって、相手のスタミナとメンタルを崩す。いまはそれだけでいい。彼はバットを短く持って、コンパクトなスイングを意識しつつ小岩と対峙たいじした。


 初球に投げこまれたのは、ストライクゾーンを低めにそれたストレートだった。あいかわらず速い球を投げるな。それが虎徹の感想だったが、おどろきはない。

 小岩の速球は中学時代とほとんど変わらず、成長はまったく感じられなかった。


 続く二球目、小岩の放ったスライダーがアウトコースギリギリに決まる。しかし、虎徹にあせりはない。

 小岩の変化球はシミュレーターが再現したとおりで、その軌道きどうは彼のなかのイメージとぴったりかさなっていた。


 三球目はファール。四球目はインコース低めのボール球を虎徹が見送り、カウントは2ボール2ストライク。

 そして五球目、唯の分析どおり、小岩が決め球に選んだのはスライダーだった。


 アウトコースへと逃げていくボールに、虎徹は踏みこんでバットを合わせる。放たれた打球はクリーンヒットとはいかなかったが、大きくバウンドしながら一二塁間を抜けてライト前に転がっていった。


 当たりこそボテボテだったが、初回からヒットで出塁した虎徹は、たかぶる気持ちを抑えるように一塁上で深呼吸しんこきゅうする。

 そんな彼に唯がベンチから送ったのは、盗塁のサインだった。彼女に小さくうなずいて虎徹はマウンド上の小岩をじっと見つめる。


 続く二番バッター晴人に対する二球目、小岩のクセを読み牽制球けんせいきゅうはないと判断した虎徹は、迷うことなく盗塁をしかけた。

 総武大付属のキャッチャーも急いで二塁に送球するが、絶好のスタートを切っていた虎徹のスライディングには間に合わない。

 常陽学院のチャンスはひろがり、見下していた虎徹にヒットと盗塁を決められた小岩はあからさまにいらだっていた。


「こてっちゃん。やるね」

 バッターボックスで小さく呟いた晴人に、唯からバントのサインが送られる。

 虎徹をきっちりと三塁に送り、できれば自分も出塁する。そう考えた晴人は、小岩が投じた三球目のストレートをピッチャーとファーストの間にうまく転がした。


 マウンド上から小岩がボールに駆けよる。そのとき彼が目にしたのは、一塁にむかって俊足をとばす晴人の姿だった。

 晴人の疾走が小岩のミスを誘う。あわてて送球しようとした瞬間、ボールは彼の手元からすべり落ちグラウンドを転々としていた。


 続く三番の遼太郎は浅いレフトフライに倒れたものの、1アウトながらランナーは一塁三塁。このチャンスでバッターボックスに立った四番の大吉には、唯から特別な指示がだされていた。


「初球は、とにかく目立つために思い切り空振からぶりしろ」

 その言葉どおり、大吉は初球のストレートを豪快に空振りした。そのスイングの迫力にスタンドの一部からどよめきが起こる。


 そしてこのひと振りが、総武大付属の守備陣からスクイズへの警戒心をうばう。初戦で二本のホームランを放った四番バッターが全力でスイングすれば、それも当然のことだった。

 しかし、それこそが唯の狙いだった。


 続く二球目、大吉の強打を警戒した小岩は、タイミングをずらすためにスローカーブを投じたが、それと同時に虎徹が本塁へスタートを切り大吉も冷静にバントでボールを一塁線に転がす。唯から二人にだされたサインはスクイズだった。


 完全に裏をかかれた総武大付属の守備陣はこれに対応できない。そのスキに虎徹がホームベースにすべりこみ、常陽学院が1点を先制する。

 さらに五番の雅則にもタイムリーヒットが生まれ、常陽学院は1回表にまず2点をリードした。



 1回裏、総武大付属の先頭バッターがヒットで出塁し、二番の小岩がバッターボックスに立つ。

 その様子を見て、唯に声をかけたのは顧問こもんの沙也加だった。


「ねえ、是川さん。たしか二番バッターは、足が速くてバントもできる、器用きようなタイプの選手がつとめるのよね?」

「沙也加ちゃん、よく知ってるね。調べたの?」

「まあ、ちょっとだけね。わたしも野球部の顧問なんだし、なにも知らないっていうのはさすがにマズいでしょ」

 少し照れた様子の沙也加を見て、唯が笑みをうかべる。


「たしかに、なんでもこなせる選手を二番に置くのはセオリーだったんだ。けど最近は、そこに強打者を置いて一気に攻撃するスタイルも流行してるんだよ」

「なるほど。総武大付属は、強打者の小岩君をあえて二番に置いたってわけか」


「ところがそうじゃないんだ。小岩はバッティングについては人並みだし、ましてや器用でもない」

「そうなの? じゃあ、どうして……」

「あくまでアタシの想像そうぞうなんだけど、あいつのわがままだと思う」

「……?」

 意外すぎる唯からの返答に、沙也加が首をかしげる。


「二番は強打者っていう流行に乗りたかったんだよ。自分が目立つために」

「そんなわがままが通用するの?」

「ああ。中学時代に有名だった小岩は、一年のときから特別あつかいされてたんだ。そして三年になったいま、チームであいつに口出しできるやつは誰もいない。監督もふくめてね」


「だから小岩君を崩すことに集中してるわけか。プライドの高い彼のことだから、打たれても意地いじになって投げ続ける。ってとこまで計算してるんでしょ?」

 作戦の核心をつかれた唯は、感心した表情をうかべる。


「さすがは沙也加ちゃん。やっぱり鋭いね。過去のデータから見ても、小岩は打たれだしても簡単にはマウンドを降りないんだよ。そうなった試合で、総武大付属は必ずボロ負けしてるんだ」

「小岩君が自滅すれば、自動的にチームは崩壊するってわけね」

「そのとおり」

 ベンチで話す二人の視線は、バッターボックスに立つ小岩へとむかった。



 試合前に挑発された小岩は、バッターボックスから怒りをこめて恵一をにらみつけていた。

 しかし、マウンド上の恵一は確信していた。試合前にもめたとき、小岩はチームメイトが止めに入るのを待っていた。あいつは強気で荒っぽく見せているが、その本性は気弱な小心者だ。


 そんな相手に対し、彼は強気にインコースを攻めていく。初球は胸元をえぐるボールでのけぞらせ、二球目もストライクゾーンギリギリを狙って膝元にストレートを投げこむ。

 厳しい内角攻めを続ける恵一に、小岩はさらに怒気どきをはらんだ視線を送る。しかし、彼の腰が引けているのを恵一は見逃さなかった。そんなおっかない顔したって、ビビってるのがバレバレなんだよ。


 三球目に恵一が放ったのはアウトコースに逃げていくカーブだったが、腰が引けていた小岩はこれについていけない。弱々しく上がった打球はファーストの大吉のミットに収まり、アウトがひとつ追加される。

「くそっ!」

 小岩は悔しそうに大声を上げたが、恵一から見れば、それは白々しらじらしいパフォーマンスにすぎなかった。



 2回表。イライラをつのらせた小岩の制球が乱れ始め、冷静にボールを選んだ恵一と剛が立て続けに四球フォアボールで出塁する。

 さらに、舞が送りバントを決め虎徹も四球を選んだため、常陽学院は1アウト満塁のチャンスを迎えた。


 しかし、晴人と遼太郎はねばりのバッティングを見せたものの凡退ぼんたいし、この回は無得点に終わる。

 絶好のチャンスを逃したことでベンチはやや暗いムードに包まれたが、そんな空気を唯が振りはらう。


「いまはこれでいい。この回は小岩にかなりの球数を投げさせたし、制球も乱れてきてる。焦らずじっくり追いこむぞ!」

 彼女の言葉に背中を押され、全員がそれぞれの守備位置に散っていった。

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