第29話 因縁の相手

 試合終了後、是川スポーツ科学センターにむかうマイクロバスの車内は、圧倒的な勝利の喜びにいていた。

 しかし、そんな明るい雰囲気を唯の言葉が一変させる。


「みんな、ちょっと聞いてくれ。ついさっき他会場の試合が終わった。次の対戦相手は総武大付属そうぶだいふぞくだ」

 車内は緊張感に包まれ、全員の表情も自然と引き締まる。


「疲労回復のメニューをこなしたら、総武大付属のデータを配るから各自チェックしてくれ。とくにピッチャーの小岩竜二こいわりゅうじには注目して欲しい。こいつはなかなかの難敵だからな」 

 小岩竜二。その名前が虎徹の心に暗い影を落とす。中学時代、凡人ぼんじんである自分を見下していた才能のかたまり。それが次の対戦相手のエースピッチャーだった。



 是川スポーツ科学センターで疲労回復のメニューをこなした後、虎徹は試合の報告も兼ねて美雪の病室をおとずれていた。


「今日の試合、圧倒的だったね。まさかコールド勝ちするなんて!」

 虎徹を迎え入れた美雪が、興奮気味に言葉をかける。

「うん。正直、あんなにうまくいくとは思わなかったよ」

 虎徹も美雪に笑顔をむけた。


 その後も、二人は今日の試合について語り合ったが、どことなく元気がない虎徹の様子に美雪は気づく。その理由に、彼女は心当たりがあった。


「次は総武大付属か。小岩君が相手だね……」

 虎徹の不安をそっとすくうように、美雪が語りかける。

「うん。小岩は格下相手には滅法めっぽう強いから厄介やっかいだよ。あいつにとって、俺はまちがいなく格下だからね……」

「たしかに、調子に乗らせたら嫌な相手かもね。でも、いまの虎徹君は、本当に格下なのかな?」

 虎徹に問いかけつつ美雪はリモコンを手に取った。


「今日は総武大付属の試合も見てたんだけど、小岩君は中学時代よりも力を落としてるように見えたんだ。虎徹君はどう思う?」

 テレビに映しだされたのは、彼女が録画しておいた総武大付属の試合だった。


「だいぶ体が大きくなったような……」

 それが、マウンドに立つ小岩の姿を見た、虎徹の第一印象だった。

「そうだね。でも、ハードなトレーニングで体を大きくしたというよりは、不摂生ふせっせいで太ったように見えない?」

 美雪はリモコンを操作し、小岩の顔がアップになったところで映像を停止させる。


「うわっ、なんだこれ! めちゃくちゃデブってる!」

 ストレートすぎる虎徹の感想。美雪は思わず噴きだしてしまい、口元に手を当てて肩を震わせながら笑いをこらえていた。


「さ、坂井さん。大丈夫?」

「大丈夫。少しツボに入っただけ……」

 気を取り直した美雪が映像を切りかえると、今度は横からのアングルで小岩が映しだされた。大きく突き出た腹がやたらと目立っている。


「いまは、好きなだけ飲み食いしてるんだろうなあ」

 虎徹は心の底から呆れていた。

「好きなだけ飲み食い?」

 首をかしげて問いかけた美雪に、彼は中学時代の裏話を打ち明ける。


「小岩ってもともと、すごく太りやすい体質なんだ。おまけに、スナック菓子に甘いもの、炭酸飲料が大好きでね」

「そうだったんだ」

「中学の頃は、監督から口うるさくいわれてガマンしてたんだけど、いまは周りに止める人がいないんだと思う」

 虎徹の話に納得しつつ、美雪はさらに問いかける。


「それにしても、短期間でずいぶん太ったよね? 春季大会のときは、もう少しマシだった気もするけど……」

「そうだね。なにかハマったジャンクフードでもあったのかな……」

 ここ数ヶ月で小岩がさらにえた理由は、二人にもわからなかった。


 リモコンを操作して美雪が映像を切りかえると、今度は小岩の投球シーンがテレビに映しだされる。

 ストレートは140キロ前後で変化球も鋭い。手強い相手にちがいなかったが、回を追うごとに彼の投球は力を失っていく。


「明らかなスタミナ不足だよね。それに、すぐにイライラする悪いクセも、昔と変わってない」

 美雪の指摘に虎徹はうなずいた。テレビ画面のなかの小岩は、肩で息をしながら大粒の汗を何度もぬぐっている。

 そして、うまくいかないことがあるたびに、マウンドプレートにかかった土を腹立たしそうに足で払っていた。


 試合は10対2で終了し、総武大付属は7回コールドで勝利を収めた。しかし、終盤には立て続けにピンチを迎えるなど、その内容は危なっかしいものだった。


「球速は少し上がっているけど、トータルでは中学の時よりおとろえてるかもしれない。とくにスタミナにはなんありだね」

「でしょ? そして、小岩君とは対照的に、いまの虎徹君は中学のときよりも格段に進歩してる」

 美雪がリモコンを操作すると、テレビは常陽学院の初戦を映し始める。その初回、虎徹は三塁線を鋭く抜けるタイムリーツーベースを放っていた。


「俺の打球、あんなに速かったんだ……」

 虎徹の口から、おどろきの声がもれる。

 これまでも、是川スポーツ科学センターで数値を測定する機会はあったが、実際にテレビに映しだされた自分自身の姿は、彼により強い印象をあたえた。


「これでも、虎徹君は格下かな?」

 虎徹を真っ直ぐに見つめて、美雪が再び問いかける。

「まだ実際に戦ってないから、上か下かはわからない……。でも、つけ入るスキは、まちがいなくあると思う」

 彼のなかで、先ほどまで抱えていた不安がたしかな自信へと変化していく。


「坂井さん。ありがとう。簡単な試合じゃないだろうけど、必ず最後まで食らいついて見せるよ」

「うん。がんばって」

 迷いを振り切った虎徹に、美雪はうなずきながら優しく微笑ほほえんだ。

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