第28話 初戦

 7月7日。常陽学院と丸ノ内学園の試合当日、会場の神泉しんせんスタジアムはこれ以上ない晴天に恵まれていた。


 照りつける日差しのもと、試合開始前の一塁側スタンドは、野球部を応援するために集まった丸ノ内学園の生徒と関係者で埋め尽くされている。

 それに対して、三塁側スタンドは人影もまばら。野球部の応援よりも通常の授業が優先されるという、常陽学院ならではの寂しい光景がひろがっていた。


「完全にアウェーだね……」

 対照的な両校の応援席を見ながら、晴人が虎徹に話しかける。

「まあ、しょうがない。今日は平日だから……」

 そう答えつつ、虎徹も一抹いちまつの不安を抱いていた。応援はチームに実力以上の勢いを与えることがある。その力はあなどれない。


 しかし、そんな二人の不安を唯が笑い飛ばす。

「大丈夫だって。グラウンドで戦うのは応援団じゃないんだ。試合で圧倒あっとうして、あいつら全員黙らせるぞ!」

 いつも以上に強気な彼女は、さらに大吉にも発破はっぱをかける。


「大吉。これから常陽学院が勝ち進めるかどうかは、今日のおまえの活躍にかかってる。思い切り暴れてこいよ!」

「任せてくれよ是川さん。君が見出みいだした僕の才能が光り輝くその瞬間を、今日はとくとごらんに入れるよ。剛君と舞さんの存在は、僕が見事にかき消して見せるさ!」

 唯に見せつけるように大吉は力強くバットをスイングしたが、その様子をうらやましそうに見ていたのが舞だった。


「いいなー。大吉君はガンガンいけて。わたしも最初から全力でいきたいよ……」

 思わず本音をもらした彼女に、剛が釘を差す。

「ガマンしろ舞。今日の俺たちの役割は、とにかく目立たないことだからな」

「わかってるって。わたしたちは、常陽学院の切り札だからね」


 試合前のミーティングで、唯は大吉に、この試合ではとにかく目立てという指示を出していた。

 大柄おおがらでパワーもある四番の大吉が観衆の目を引くことで、真の切り札である舞と剛への注目度を下げる。それが彼女の狙いだった。


 さらに唯は、いつもなら一番と二番で打席に立つ鬼塚兄妹おにずかきょうだいを、今日は下位打線に配置した。

 そこには、体が大きいだけの八番バッターと、人数合わせで参加した女子部員の九番バッター。という具合に、二人の存在を見る者に誤解させる意図があった。


「そろそろ時間だな……」

 腕時計を確認した唯がグラウンドを見わたす。そんな彼女に後ろから声をかけたのは顧問の沙也加だった。

「わ、わたしは、なにもしなくていいのよね?」

 いつもの落ち着いた様子とはちがい、彼女の表情は硬い。


「大丈夫だよ。沙也加ちゃんは、顧問としてここにいるのが役割なんだから。それにしても、やけに緊張してない?」

「当然よ。自分のことなら自分でなんとでもできるけど、今回は見てるだけなんだから。まな板の上のこいってきっとこんな気分なのかもね」

「なるほどね。まあ、大船に乗ったつもりで見ててよ。必ず勝つから」

 唯が沙也加に、自信に満ちた笑顔をむける。


「集合!」

 スタジアムに審判の声がひびいたのは、その直後のことだった。



 午前10時30分。試合は定刻ていこくどおり開始された。


「プレイ!」

 審判が高らかに宣言し、丸ノ内学園のピッチャー中野新なかのあらたが大きく振りかぶる。先頭バッターの晴人に放たれた最初のボールは、たてに大きく変化するカーブだった。


「ボール」

 初球を見送った晴人は、審判のコールを耳にしながら強い手応てごたえを感じていた。是川さんが用意してくれたシミュレーターとまったく同じだ。いける!


 続く二球目は高めに外れたストレートだったが、彼は冷静にボール球を見送りカウントを有利にする。

 そして、2ボールノーストライクからの三球目。中野のクセを読み切った晴人は、甘く入ったストレートを見逃さなかった。


 スタジアムに快音がひびき強烈な打球が三遊間さんゆうかんをやぶる。さらに、緊張と焦りから丸ノ内学園のレフトがボールの処理をあやまると、それを見た晴人は迷うことなく一塁を蹴り、俊足しゅんそくを飛ばして二塁を狙った。


「セカンド!」

 彼の走塁に気づいた丸ノ内学園の野手が声を上げるが、間に合わない。ボールが届いたときには、晴人は悠々ゆうゆうと二塁をおとしいれていた。


 試合開始の余韻よいんを打ちやぶる鮮やかな走塁にスタジアムは騒然そうぜんとなり、初回から得点圏にランナーを送った常陽学院のベンチからは歓声が上がる。

 そんななか、二番の遼太郎がバッターボックスにむかう。送りバントも考えられる場面だったが、唯が彼に送ったのはヒッティングのサインだった。


「強気な是川さんらしいな……」

 小さくつぶやいてピッチャーと対峙した遼太郎は、初球のボール球を見送ったが、彼も晴人と同じようにシミュレーターの再現度の高さにおどろいていた。


 ここまではっきりと球種が読めるなら積極的にいくべきだ。強く確信した遼太郎は、ストレートに狙いをしぼってバットをかまえる。

 しかし、初回からピンチを迎えた中野の制球が定まらない。冷静にそれを見きわめた遼太郎は、四球フォアボールを選んで一塁に進んだ。


 さらにひろがったチャンスで三番の虎徹がバッターボックスに立ったが、ここで唯は、塁上の晴人と遼太郎にダブルスチールのサインを送った。

 思い切った作戦だったが彼女に迷いはない。祖父から受け継いだ勝負勘が、ここで一気にたたみかけろ! と声高こわだかに叫んでいた。


 虎徹への初球。晴人が三塁めがけてスタートを切り遼太郎もそれに続く。中野が投げたボールはストライクゾーンを低めに外れていた。

 唯のサインを確認していた虎徹もそのボールには手をださず、ダブルスチールにあわてた丸ノ内学園のキャッチャが、ボールをミットからこぼす。

 作戦は見事に成功し、ノーアウト二塁三塁。常陽学院は初回から大きなチャンスを迎えた。


 1回表から大きく動いたゲームを落ち着かせようと、丸ノ内学園ベンチからタイムが要請されマウンドに伝令でんれいが走る。

 そんななか、バッターボックスの虎徹がとらえたのは、唯から送られたヒッティングのサインだった。

 スクイズはしない。ここは積極的に攻める。唯の意図を理解した虎徹は、彼女にむかって小さくうなずいた。


 試合再開後の初球、丸ノ内学園バッテリーが選んだのは、アウトコースに大きく外れるストレートだった。

 あからさまにスクイズを警戒している。そう確信した虎徹は、狙い球をインコース高めのストレートとアウトコース低めのカーブの二つにしぼる。


 そして二球目、マウンド上で中野が投球フォームに入ると、分析されたクセの数々が、次はストレートだと虎徹に強くよびかける。

 その声に従って、彼はインコースに放たれたボールを巻きこむように、思い切りバットを振り抜いた。


 虎徹の放った打球は、三塁線を鋭くやぶりファールゾーンへと転がっていく。三塁塁審の判定はフェア。晴人が楽々と本塁を走り抜け、快速を飛ばした遼太郎も続いて生還せいかんする。 

 丸ノ内学園のレフトがボールに追いついたときには、虎徹もすでに二塁にむかって疾走しっそうしていた。


 常陽学院の電光石火でんこうせっかの攻撃に、スタジアムのあちこちから拍手が送られスコアボードに2点が表示される。


「よしっ!」

 高ぶる気持ちを抑えながら、虎徹は二塁上で呟いた。そして、ベンチで歓声を上げる仲間と病室でこの試合を見守る美雪に、小さくガッツポーズを送った。



 本塁に生還した晴人を真っ先にハイタッチで迎えたのは、ネクストバッターズサークルに控えていた四番の大吉だった。

「すばらしい! 本当にすばらしい打撃と走塁だったよ晴人君!」

 興奮気味に差しだされた大吉の手の平に、晴人も満面の笑みをうかべながら手の平を合わせる。それと同時に、彼は小さくささやいた。


「大吉君。思った以上にシミュレーターどおりだよ。いける!」

 その言葉は大吉の背中を強く押したが、一方で彼は小さな不安も抱いていた。せっかくのいい流れを、自分のミスで止めてしまったらどうしよう。

 しかし、大吉の弱気は唯が飛ばしたげきにより一掃いっそうされる。


「大吉、ビビるな! 失敗してもいいからガンガンいくんだ!」

 ベンチの彼女に力強くうなずいて、彼はバッターボックスにむかった。


 ストレートだけを狙って思い切りスイングしろ。それが唯から大吉にあたえられた指示だった。その言葉を心のなかで何度も唱えながら、彼はバットかまえる。

 その初球、バッターボックスで集中する大吉の視線がとらえたのは、振りかぶった中野がこちらにむけたグローブだった。

 グローブが閉じている。ストレートだ! シミュレーターと同じ軌道きどうでむかってきたボールに、大吉は力の限りバットを叩きつけた。


 次の瞬間、神泉スタジアムに強烈な打撃音が鳴りひびく。常陽学院のベンチから全員が身を乗りだし、球場中の誰もがボールの行方に目をうばわれる。

 その視線の先で、大吉の放った打球はバックスクリーンを直撃しそのままスタンドへと落ちていった。

 目の覚めるような弾丸ライナーのホームランに球場のあちこちから歓声が上がり、常陽学院のベンチも興奮に包まれる。


 ダイヤモンドを一周してベンチに帰還した大吉は、仲間からの祝福をうけながら急いで唯のもとへ駆けつけた。

「是川さん! 見てくれたかい? やったよ! ついにやったよ!」

 彼の目には、興奮と感動がごちゃ混ぜになった涙がうかんでいた。


「よくやったな大吉。ただ、泣くのはまだ早い。試合は始まったばかりだぞ?」

 涙ぐむ大吉に対して、唯はあくまで冷静だった。しかし、その言葉とは裏腹に、彼女の顔にはかくしきれない笑みがうかんでいる。


「まさか、ホームラン一本ぐらいでアタシが満足するなんて思ってないよな? 次もたのんだぞ!」

「もちろんだよ! このホームランは、これから始まるショータイムの幕開けにすぎないからね。これからが本番さ!」

 さらに檄を飛ばした唯に、大吉も涙をぬぐって力強い言葉を返す。失敗したらどうしよう。そんな弱い気持ちは、いまの彼の心には微塵みじんも残っていなかった。



 大吉の豪快なホームランによりランナーは一掃いっそうされたものの、常陽学院の勢いは止まらない。


 ワンアウトも取れずにいきなり4点を先制されたことで、中野の制球はさらに乱れ、冷静にボール球を選んだ五番の雅則と六番の歩が、続けて四球フォアボールで出塁してノーアウト一塁二塁。

 続いてバッターボックスに立ったのは恵一だったが、ピッチャーである彼の体力を温存するために、唯はそれまでの積極策から一転してバントのサインを送る。

 恵一も送りバントを確実に決め、1アウト二塁三塁。


 再びおとずれたピンチに、丸ノ内学園のバッテリーは困惑こんわくしていた。本来ならスクイズを警戒するところだが、これまでの常陽学院の積極的な攻撃から考えればヒッティングの可能性も捨てきれない。

 バッターボックスに立つ剛の高校生ばなれした体格も、強硬策きょうこうさくに対する警戒を後押あとおししていた。


 とりあえず初球は、アウトコースのカーブで様子を見る。それがバッテリーの判断だったが、バッターボックスの剛と三塁ランナーの雅則に唯が送ったのは、スクイズのサインだった。


 その初球、中野の手からボールがはなれた瞬間、雅則が本塁に突入し剛もアウトコースに変化していくボールに飛びついてバントを決める。

 スクイズは成功し、常陽学院にさらに1点が追加された。


 なおも2アウト三塁で、九番の舞が左バッターボックスに立つ。

 彼女は唯の指示どおり、初球のストレートを非力なスイングでわざと空振りして人数合わせの女子部員を演じた。

 やっとこの回が終わる。舞のスイングを見た丸ノ内学園の守備陣に安堵感あんどかんがひろがったが、それが唯の狙いだった。


 舞の打撃力はかくしておきたいが、このチャンスでもう一点追加しておきたい。そう考えた唯が選んだ作戦は、まさかのスクイズだった。

 ツーアウトという状況下ではありえない選択。しかし、相手の油断と舞の器用さを計算した彼女は、バッターボックスの舞と三塁ランナーの歩に、迷うことなくサインを送る。


 二球目に中野が投じたのはスローカーブだった。舞はその軌道に合わせて、バントで一塁線ギリギリにボールを転がす。

 まさかの事態に、丸ノ内学園のファーストはあわててダッシュしたが、彼はボールが一塁線を切れると判断し、捕球はせずにそのままボールを凝視した。

 しかし、舞のたくみなバントにより勢いを殺されたボールは、ライン上でピタリと止まる。スクイズは成功し常陽学院はさらに1点を追加した。


 打者が一巡し、再びバッターボックスに立った晴人はセカンドゴロに倒れたが、この回に6点を奪取だっしゅした常陽学院は、スタートから丸ノ内学園を大きくリードすることに成功した。



 1回裏。一塁側スタンドの応援団から大きな声援が上がるなか、丸ノ内学園の攻撃が始まった。

 大きくひろがってしまった点差を縮めようと、彼らは一様いちように気合の入った表情をうかべてバッターボックスに立ったが、恵一と雅則のバッテリーは、一人のランナーも許さず三者凡退にしとめる。

 ここでも唯の分析が、絶大な効果を発揮していた。


 その後もゲームの流れは変わらず、常陽学院は小刻こきざみに得点を重ねつつ失点は最小限に抑え、4回の裏が終わった時点で10対2と試合を有利に進めていた。


 5回表。攻撃が始まる前に、唯がベンチで全員を鼓舞こぶする。

「みんな。この試合は5回コールドで決めるぞ。この回さらに加点して丸ノ内学園を追いこもう!」


 彼女の言葉に刺激された打線は、降板した中野からマウンドを引き継いだ二年生ピッチャー本郷を攻め立て、1アウト満塁のチャンスを迎える。

 ここでバッターボックスに立ったのが四番の大吉だった。本郷には中野ほどのクセはなかったが、唯から大吉に送られた指示はシンプルなものだった。


「全力でスイングしろ。お前のパワーなら当たればなんとかなる」

 彼女の言葉を胸に、大吉は本郷の初球に思い切りバットを叩きつけた。

 次の瞬間、初回のホームランを彷彿ほうふつさせるような打撃音がスタジアムに鳴りひびき、白球が青空を舞う。

 大吉の放った一撃は、猛烈な勢いもそのままに、レフトスタンドの中段へと飛びこんでいった。


「あの野郎、本当にやりやがった!」

 さすがの唯も、今度ばかりは感情を抑えきれずに立ち上がり、ベンチに戻ってきた大吉を拍手で迎える。


「よくやったぞ大吉。完璧だ!」

 思わぬ唯からの言葉に、大吉は再び涙ぐみそのまま彼女に問いかける。

「是川さんやったよ! これで満足してくれたかい?」

「いいや。まだまだ満足できない。次の試合もその次の試合も、もっともっと活躍してもらうぞ!」

 唯は興奮気味に、大吉の背中を何度も叩いた。



 結局、大吉の放った満塁ホームランが決定打となり、14対2の5回コールドで試合は終了した。

 常陽学院野球部は、最高の形で東東京大会の初戦を突破した。

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