第20話 是川スポーツ科学センター

 野球部を指揮することになった唯が新しい練習プランを発表したのは、9月中旬の三連休の初日のことだった。


 この日、午前9時に学校の正門に集まった野球部員の前に、一台のマイクロバスが現れる。車内には唯と鬼塚兄妹の姿があった。

 停車したバスの窓がひらき、唯がひょっこりと顔をだす。

「おはよう! みんなそろってるな。とりあえずこのバスに乗ってくれ」


 彼女にうながされ全員がバス乗りこんだが、行き先についての説明はない。

「是川さん、これからどこにいくんだ?」

「それは着いてのお楽しみ。まあ安心してくれよ。奴隷として外国に売り飛ばしたりはしないから」

 雅則からの質問を、唯はジョークを交えてはぐらかした。



 彼らが目的地に到着したのは、それから約20分後のことだった。


 マイクロバスがゲートの遮断機しゃだんきの前でとまると、詰所つめしょのドアがひらいて警備員が姿を見せた。

 唯はすぐさまバスからおりて、許可証を提示し書類にサインする。彼女がバスにもどると遮断機が上がった。


 ゲートからのびる一本道をバスは進んでいく。その左右には、野球やサッカー、テニスなど様々な競技の専用フィールドが設置されていた。


「ここって、もしかして……。是川スポーツ科学センター?」

 外にひろがる景色に目を丸くしながら、歩が声を上げる。

「そのとおり。今日からここが、常陽学院野球部の練習拠点だ!」

 唯が高らかに宣言すると、おどろきの声と質問が車内のあちこちから上がった。


「テレビで見たことはあったけど、本当にすごいところだね。さすがは是川さんだ。僕も自分の才能の開花を予感せずにはいられないよ!」

「ここって、プロチームとかナショナルチームの専用施設だよね。僕たちなんかが使用していいの?」

「お嬢。確かにすごい施設だが、ここの使用料ってバカ高いだろ? うちの野球部にそんな金ねえぞ」

「是川さんのコネがあるといえ、こんなすごい場所で練習できるとは……」


 車内はてんやわんやの大騒ぎになったが、その喧騒けんそうをよそに、マイクロバスは敷地の中央にそびえ立つ巨大な灰色のビルの前で静かにとまった。


詳細しょうさいはあとで説明するから、とりあえずついてきてくれ」

 バスからおりた常陽学院野球部のメンバーは、唯に先導されながら、ビルのエントランスをくぐり施設の廊下を進んでいく。


「なんだか、トレーニング施設というよりは研究施設って感じだね……」

 時折ときおりすれちがう白衣姿の職員を見て、晴人が虎徹に話しかける。

「まあ、スポーツ科学センターなんて名前がついてるぐらいだし……」

 虎徹も、落ち着かない様子で周囲を見まわしていた。


「しかし、あからさまに場違ばちがいだよな俺たち。ひょっとして、社会科見学だと思われてるんじゃねえか?」

「たしかに、普通はそう思うだろうな……」

 軽口をたたいた恵一に雅則も同意したが、二人の様子も落ち着かない。


 世界でもトップレベルのトレーニング施設が自分たちの練習拠点になる。この夢のようなできごとを、誰もがまだ事実として飲みこめていなかった。



 唯はそのまま全員をミーティングルームへと案内し、すぐさま今後の方針についての説明を始めた。


「さっきもいったが、今日からこの是川スポーツ科学センターを練習の拠点にする。うちの学校は他校よりも授業時間が長いけど、ここなら短時間で効率よく練習ができるからな」

「ちょっといいかな?」

 唯の話をさえぎって手を上げたのは雅則だった。


「是川さん。こんなすばらしい施設を利用できるのは本当にありがたいんだが、費用はどうするんだ? かなりの金額が必要にならないか?」

 国からの援助がある日本代表選手や、スポンサー企業からサポートされるプロとはちがい、彼らはただの高校生だった。


「金のことなら心配するな。全部アタシがだす」

「でも、とてつもない金額だよね? さすがにそれは気がひけるよ……」

 歩の言葉はもっともだったが、唯は気にもかけない。


「いいんだよ。アタシはもともと物欲がなくて金がたまる一方だったからな。かせいだ金をなにかで思いっきりつかってみたかったんだよ。億単位でな」

 唖然あぜんとする野球部員に、彼女はさらによびかける。


「それに、アタシの頭脳と金とコネは常陽学院野球部にとって最大の武器なんだぞ。甲子園にいくためにフル活用しないでどうする!」

 ただの高校生ではない彼女は、一同を無理やり納得させた。


「来年の夏までにのこされた時間は少ない。短時間で効率よく戦力をアップさせるためにも、まずはみんなの運動能力と身体的特性のデータが必要だ。というわけで、いまから徹底的に体力を測定させてもらうんで、よろしく!」

 唯が合図するとミーティングルームのドアがひらき、白衣を身にまとった数人の男女が姿を現した。


「改造手術とかされたりしないよね?」

「切ったり刻んだりはしないから安心してくれ。ただし、かなりハードだと思うから覚悟しとけよ」

 冗談交じりに質問した晴人に、唯は不敵な笑みを返した。



 是川スポーツ科学センターをおとずれた翌日はオフだったため、虎徹はこれまでの報告もねて美雪を見舞っていた。


 夏休み明けに唯を勧誘したところから、昨日の体力測定まで。その間に起きた様々なできごとを、彼はひとつずつ美雪に説明していく。


激動げきどうの二週間だったね。おつかれさま」

 おだやかな笑みをうかべながら、美雪が虎徹のろうをねぎらう。

「ありがとう。本当にいろいろなことが起こりすぎたよ。おまけに昨日の体力測定も死ぬほどハードでさ。いまは全身筋肉痛……」


「そんなに大変だったの? 体力測定なのに?」

 美雪が意外そうに首をかしげる。そんな彼女に、虎徹は前日に味わった体力測定という名の地獄について話して聞かせた。


「最初は、身長や体重を測るだけだったんだけど、その後の体力測定がハードでさ。通常のデータはもちろんだけど、体力の限界のデータも必要らしくて、飛んで走ってウエイト上げてをフラフラになるまでやらされたよ」

「それはハードだね……」

「帰りのバスではみんなぐったりしてたよ。こんな顔して」

 ぐったりした表情を虎徹がオーバーに再現すると、美雪は声を上げて笑った。


「でも、是川スポーツ科学センターで、一流のコーチやトレーナーに指導してもらえるのは本当にありがたいよ。あれだけ恵まれた環境で練習できれば、チームの力もかなり上がると思う」

 前向きな気持ちを口にした虎徹は、そのまま美雪に感謝の言葉を送った。


「それもこれも、すべて坂井さんのおかげだよ。是川さんに協力してもらうってアイデアのおかげで、部員もそろったし練習環境も変わったんだ。本当にありがとう」

「大げさだよ。たまたま思いついただけなんだから」

 顔を赤らめながら美雪はあわててかぶりを振ったが、少し間をおいて、自分に言い聞かせるように呟く。


「少しは、役に立てたのかな……」

「少しどころじゃない。常陽学院が甲子園に出場できたなら、影のMVPは坂井さんで決まりだよ」

 虎徹が力説すると、美雪は心の底からうれしそうに笑った。

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