第19話 自分探し

 野球部の新しい顧問が決まった日の練習後、虎徹はいつものバス停ではなく最寄もよりの地下鉄の駅へとむかっていた。そんな彼に、背後から声をかけたのは晴人だった。


「こてっちゃん。今日は地下鉄で帰るの? めずらしいね」

「ちょっと買い物。グローブ用のオイルを切らしてさ」

「そういえば、僕のもそろそろなくなるんだった。一緒にいってもいいかな?」

「ああ、いいよ」

 虎徹とならんだ晴人は、沙也加が顧問を引きうけた件について質問してきた。


「それにしてもおどろいたよ。よく木内先生にオッケーもらえたね。なにか交渉材料でも持ってたの?」 

「いや、そんなのないよ。ただ、運がよかっただけじゃないかな」

「そうなんだ……」

 いまいち納得できない晴人は、さらに質問を続ける。


「そもそも、なんで木内先生にお願いしにいったの?」

「それはほら、たった半月で、うちのクラスから俺もふくめて五人も野球部に入ったわけだから。担任の木内先生も興味を持ってくれたりしないかな、と思って……」

「なるほど。そういうことか」

 虎徹がついたもっともらしいウソを、晴人はとりあえず信じたようだった。


「いろいろあったけど、ここまで野球部が形になったのは、こてっちゃんのおかげだよ。本当にありがとう」

「いやいや、俺は大したことしてないよ。めぐり合わせがよかっただけだって」

 思いがけず感謝され虎徹はとまどったが、そんな彼に晴人は笑いかける。


「そうだとしても、こてっちゃんが入部してくれたおかげで人数不足と顧問不在っていう大問題が解決して、現実に甲子園をめざせるわけだから、やっぱり感謝せずにはいられないよ」

 晴人の言葉は、虎徹がずっと抱いていた疑問を引きだすきっかけになった。


「そういえば、前から気になってたんだけど……。なんで晴人は、高校から野球部に入って甲子園をめざそうと思ったんだ?」

 同じ中学で野球に取りくんできた、雅則、遼太郎、歩。他の県でそれなりに活躍していた恵一。彼らとはちがい、晴人は高校まで野球の経験はまったくなかった。


「聞きたい?」

「いや、話したくないならいいけど……」

「かまわないよ。べつに大した話じゃないし。それに、こてっちゃんには今回の件で恩もあるしね」



 幼い頃から中学時代まで、春日晴人はどんなことでも人並み以上にこなす優秀な少年だった。また、見た目もよく性格も明るい彼の周囲には、常にたくさんの人が集まっていた。


「いま思えばただの勘ちがいなんだけど、当時の僕は、自分は他人よりも優れた存在だと自覚していた。自分自身を誇らしく思ってたんだ。もちろん態度にはださなかったけどね」


 そんな彼のプライドを粉々こなごなくだいたのは、中学三年から同じクラスになった一人の男子生徒だった。


「彼の名前は岡本一郎おかもといちろう。すごい変わり者でね。ボサボサの髪の毛をいじりながら、休み時間も授業中もひたすら絵ばっかり書いてたよ。ただ、絵は本当にうまかった。僕も美術の成績はよかったけど、彼はレベルがちがった」


 しかし、そんなクラスメイトに晴人が嫉妬しっとすることはなかった。一郎は、絵を描くこと以外はすべてが平均以下で、コミュニケーション能力も乏しかった。彼は教室の片隅でいつも一人でペンを握っていた。


「正直いって、僕は岡本君を見下してた。絵は上手いけどそれだけだろって。でもね、ある日突然、彼は世間から注目を浴びることになるんだ」


 自分の作品をネット上で発表していた一郎は、その界隈かいわいでは少なからず知名度があった。そして、たまたま作品を目にした有名な画家が彼を高く評価したことをきっかけに、その名は一気にひろまった。


 しかし、一躍時いちやくときの人となったにもかかわらず、彼はそれを喜ぶそぶりも見せず、以前と同じようにひたすら絵を描いていた。

 ある日、晴人は軽い気持ちで一郎に聞いてみた。有名になれたのにうれしそうじゃないね、と。


「有名かどうかなんて関係ない。創りたいから創るだけ。岡本君はそう答えたんだ。そして、そのとき僕は気づかされた。他人よりもできることは多いけど、岡本君の絵のように心の底からやりたいことがない自分にね」


 それから晴人の自分探しが始まった。彼は、興味をひかれた本を手に取り名作とよばれる映画をいくつも鑑賞かんしょうした。有名な芸術家の作品展があれば美術館に足を運び、面白そうなイベントがあれば積極的に参加した。

 しかし、いくらアンテナをのばしても、彼は心の底からやりたいことを見つけることができなかった。


「おまけに自分探しをしているうちに、僕は他人よりもできることは多いかもしれないけど、周りの目ばかりを気にして、なんの挑戦もしてこなかったことに気づいたんだ。そんな臆病な自分が本当に嫌になったよ」


 結局やりたいことは見つからず、自己嫌悪感を胸に抱いたまま晴人は常陽学院の入学式の日を迎えていた。そんな彼の心を強く揺り動かしたのが、野球部キャプテンのスピーチだった。


「ステージで、甲子園を本気でめざすって宣言した雅則君を見て思ったんだ。やりたいことはまだ見つからないけど、できそうもないことに全力で挑戦すれば、少なくとも自分を変えられるんじゃないかってね」


 それが、晴人が高校から野球を始めた理由だった。



「ごめんね。面白くもない話を長々と……」

 真剣な表情で話を聞いていた虎徹に、晴人が笑いかける。

「いや、そんなことないよ。話してくれてありがとう」


 晴人はクラスでもっとも気の合う友人だったが、なんでも器用にこなし顔も広い彼に対して、虎徹は一定の距離を感じていた。

 しかし、そんな晴人も、見えないところでは葛藤かっとうしもがき苦しんでいた。虎徹はその事実におどろかされるのと同時に、彼に対していままでにない強い親近感をおぼえていた。

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