第18話 新しい顧問

 恵一と新入部員の対戦から数日が経ったある日の昼休み、虎徹は担任の木内沙也加に会うために職員室をおとずれていた。


「お昼に突然すみません……」

 昼食の邪魔をしてしまったことを虎徹はあやまったが、沙也加にそれを気にする様子はない。

「いいよいいよ。ところで、いったいなんの用事かな?」

「あ、あの、いきなりで申し訳ないんですが、来年の4月から野球部の顧問になってもらえないでしょうか……」


「え? どういうこと?」

 普段から多少のことでは動じない沙也加も、この要請ようせいにはさすがにとまどう。

「いまの顧問の高橋先生が3月で定年なので、野球部には新しい顧問の先生が必要なんです。それで、木内先生にお願いできないかと……」


「そういうことか」

 話のすじを理解した彼女は、腕を組んで考えつつ口を開く。

「わたしは、野球のことなんてなにも知らないけど、それでもつとまるの?」

「はい。部活は是川さんが仕切るので大丈夫です」


「そういえば是川さん、野球部に入ったのよね……。剛君と舞さん、それに大江君も入部したんだっけ?」

「はい。そうです」

 数日前、天才投資家として有名な唯が野球部に入ったことは、教員の間でも話題になっていた。


「鈴木君が四人を勧誘したの?」

「いろいろありすぎてうまく説明できないんですけど、きっかけになったのは僕だと思います」

「なるほど……」

 小さく呟いた沙也加は、感情を読み取るように虎徹を見つめる。


「夏休みにいきなり野球部に入ったと思ったら、新しい部員を誘ったり、わたしに顧問を依頼したり。そこまで鈴木君が精力的に動いているのは、どうして?」

 核心をつく質問が飛んできたが、虎徹はすでに覚悟を決めていた。


 新しい顧問が必要だと知ったとき、真っ先に彼の頭にうかんだのは「坂井さんのことでわたしに協力できることがあれば、遠慮せずにいってほしい」という、沙也加の言葉だった。

 それを信じて頼るなら、自分も本心を明かさなければならない。


「坂井さんのためです。来年の夏に甲子園につれていくって約束したんです。けど、顧問がいなければ地方予選に出ることすらできません。先生には4月から野球部の顧問になって欲しいんです。どうかお願いします!」

 ありったけの気持ちをこめて、虎徹は深々と頭を下げた。



 虎徹が出ていった少しあと、入れかわるように職員室に現れたのは唯だった。彼女はすぐさま沙也加のデスクへと直行し、単刀直入に要件をのべる。


「沙也加ちゃん。4月から野球部の顧問やってくれない?」

「沙也加ちゃんじゃなくて、木内先生でしょ?」

 いつものように担任から呼び方を注意されたが、唯はかまわず話を続ける。

「アタシ、野球部を仕切って甲子園をめざすことにしたんだけど、新しい顧問がいないと夏の予選に出られないんだ。だからお願い! このとおり!」


「いいよ。引きうけるよ」

 まったく悩まずに沙也加は即答した。さすがの唯もこれにはおどろかされる。

「え? 本当にいいの? 引きうけてくれるの?」

「うん。じつは少し前に、鈴木君からもお願いされてね。もう承諾しょうだくしてたんだ」

「そうだったんだ……。虎徹め、なかなかやるな」


 虎徹のファインプレーに唯は感心したが、同時に違和感もおぼえていた。

 表面的には気さくで優しいが、本質的には鋭い観察眼かんさつがんを持った思慮深しりょぶかい人物。それが沙也加についての唯の認識だった。

 そんな人物が、なんの考えもなしに野球部の顧問になるとは思えない。なにか特別な理由があるのではないか。


「沙也加ちゃん。どうして顧問を引きうけたの? メリットなんて、まったくないと思うんだけど」

 心の内側をさぐるような質問に、沙也加は慎重に言葉を選びながら答える。

「うまく表現するのは難しいんだけど……。純粋じゅんすいな気持ちに心を動かされて、応援しようと思ったってとこかな」


「ふうん。純粋な気持ちねえ……」

 疑いの目をむけながら、唯は一枚の写真をポケットから取りだして沙也加の目の前にかざす。そこには、きらびやかなドレスを身にまとい妖艶ようえんな笑みをうかべた美女がうつっていた。


「かつて、夜の銀座で名をせた超人気ホステスのアヤカさんが、そんな理由で顧問を引きうけるとはね」

 学費と生活費と少しの好奇心。そんな理由で始めた学生時代のバイトをつきとめられ、沙也加はわずかに動揺したが、表面的には落ち着いた態度をくずさない。


「なつかしいな。そんな写真どこで見つけてきたの?」

「それは秘密。まあ、新しい顧問が決まったから、もう必要のないネタだけどね」

 唯は沙也加の机に、そっと写真を置いた。


「沙也加ちゃん。顧問を引きうけてくれてありがとね。それと、なにかあったら遠慮なくいってよ。うちのじいちゃんと理事長って昔からの仲だから、アタシをとおせば上にも話が伝わりやすいと思うから。それじゃね!」

 礼をいって背中をむけた唯に、沙也加が小声でよびかける。


「ねえ、是川さん。もしかして、わたし以外の教員についても、いろいろ調べてあるんじゃない?」

 振り返った唯の顔にいつも以上に不敵な笑みがうかぶ。彼女は、探偵を雇って教員の過去や私生活をリサーチし、おどしのネタをいくつか用意していた。

 そして、顧問を引きうける教員がいなかった場合は、最終手段としてそれを使うつもりでいた。


「さすがは銀座の女帝アヤカさん。そこまでお見通しですか」

「そんな大げさなもんじゃないわよ。それと、木内先生でお願いね」

 自分への呼び方を注意しつつ、沙也加は話を続ける。


「学年主任の田山たやま先生は調べた? わたしの勘だと、あの人いろいろありそうな気がするんだけど……」

 普段は適当にあしらっているが、下の立場の教員にセクハラやパワハラを繰り返す田山に対し、彼女は強い反感を抱いていた。それと同時に、なにか後ろめたいものを持っている気配を、沙也加は彼から感じ取っていた。


「沙也加ちゃん。さすがに読みが鋭いね。今回いろいろ調べたなかで一番ヤバかったのが田山だよ」

「やっぱりね。じゃあ、そのネタを理事長に報告してもらえないかな。田山先生って教頭とべったりで、わたしが中途半端に告発しても揉み消されると思うから」


「かしこまりました。木内先生」

 わざとらしく深々と頭を下げて唯は職員室を出ていった。田山の解雇と教頭の降格が発表されたのは、それから一週間後のことだった。



 虎徹のまっすぐな気持ちに心を動かされ、ついつい顧問を引きうけた沙也加だったが、結果として職場のトップとのコネクションが確立されただけでなく、わずらわしかった学年主任も追放できた。


「純粋な気持ちって、大事よねえ……」

 空席になった田山のデスクを見つめながら、沙也加は小さく呟いた。

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