第14話 ゼロからのスタート

「それにしても是川さんはすごかったね。噂以上うわさいじょうにアグレッシブだった」

 ミーティング終了後の帰り道、感心したように並木歩なみきあゆむが感想を口にする。


「そうだな。見た目は小学生みたいなのに。そういえば、歩はミーティングで一言もしゃべってなかったな」

「僕なんかじゃ、とても太刀打たちうちできないよ」

 遼太郎の指摘してきに、歩は肩をすくめて笑った。


「まあ、大した奴だよな。なんで野球に興味を持ったのかは知らないが、味方になってくれるなら頼もしいことこの上ない」

 ミーティングの態度とは真逆の言葉を口にしたのは、キャプテンの雅則だった。そんな彼の発言を意外に思った歩が、疑問を投げかける。


「それなら、恵一君と三人が勝負する必要はないんじゃない? 是川さんがチームを指揮してくれれば、雅則の負担も減ると思うんだけど……」

「恵一の顔も立てたいからな。あいつは口は悪いが短絡的たんらくてきなバカじゃない。さっき感情をあらわにしたのも、俺たちの気持ちを代弁だいべんするためだろ」


「たしかに……。是川さんがいきなり野球部を仕切るって宣言したときは、僕も納得できなかったよ」

 歩の言葉どおり、一年生の頃から野球部で練習にはげんできたメンバーにとって、唯の宣言はすんなり受け入れられるものではなかった。


 学業がなによりも優先される常陽学院で、本気で甲子園をめざすと公言していた野球部は、白い目で見られ冷やかされることも少なくなかった。

 しかし、部外者にどう思われようと自分たちの意志を曲げない彼らは、強い逆風のなか固いきずなで結ばれていた。


「なんにせよ。よかっただろ? これで頭数あたまかずはそろったわけだし、天才女子高生も仲間になったんだから。あきら先輩もきっと喜んでるよ」

 明先輩。遼太郎が口にしたその名前を聞いて、雅則は夕暮れの空を見上げる。


「どうだろうな。兄貴なら、喜んでるってよりはおもしろがってるんじゃないか? 今日の一件を見てたなら」

「たしかに」

「そうだね」

 遼太郎と歩の声がかさなる。三人の脳裏には雅則の兄、藤堂明とうどうあきらのなつかしい笑顔がうかんでいた。



「なあ雅則。最強の高校生活ってどんなもんだと思う?」

 常陽学院への入学を間近まぢかにひかえた明からの質問を、雅則はいまでもはっきりと覚えている。


「最強? よくわかんないけど、甲子園に出るとか東大に入るとか?」

「やるな雅則。正解だ!」

 兄にほめられたことを雅則は素直に喜んだが、そんな彼の胸の内に、新たな疑問が湧き上がる。


「ねえ、兄ちゃん。甲子園に出場するのと東大に合格するのって、どっちが大変なんだろう。人数はどっちが多いのかな……」

 雅則はスマホを手に取って検索しようとしたが、明からストップがかかる。


「人数の問題じゃない。どっちも大変で立派なことだよ。だからさ、両方とも達成できたら最強だと思わないか?」

「それって、甲子園に出場して東大にも合格するってこと?」

「そのとおり!」

 明は、やる気に満ちた笑顔を雅則にむけた。


「でも兄ちゃん。甲子園をめざすなら、常陽学院じゃなくて、もっと野球が強い高校に入らなきゃダメなんじゃない?」

「そうだな。でも、弱い高校で強豪校を倒しながら勝ち進んだほうが、より最強に近いしカッコイイだろ?」

「それはそうだけど……」

 冗談とも本気ともつかない明の夢。

 雅則はそれ以上なにもいえなかったが、もしかしたら兄ならやってのけるかも。そんな思いも抱かずにはいられなかった。


 成績は全国でもトップクラスで運動神経も抜群ばつぐん。性格も明るく社交的で人望もある明は、誰からも一目置かれる存在だった。

 明君がいれば藤堂家の未来は安泰あんたいだ! 親族が集まれば、誰からともなくそんな声が上がる。

 先祖代々せんぞだいだい、あらゆる分野に優れた人材を輩出はいしゅつしてきた藤堂一族のなかでも、明は将来を嘱望しょくぼうされた希望の星だった。


 そんな偉大な兄を持った雅則だったが、彼の胸中にありがちな劣等感れっとうかん嫉妬心しっとしんが宿ることはなかった。

 たしかに明はあらゆる面で優秀だったが、それを鼻にかけることはなく、雅則に対しても常に明るく優しかった。


 雅則は、明を心からしたい尊敬していた。いつかは父親のあとを継いで政治の道に進むであろう兄を、自分は全力でサポートする。そんな未来を、彼は漠然ばくぜんと思いえがいていた。



 明と雅則の藤堂兄弟。この二人に出会わなければ、自分はもっと暗い毎日を送っていただろう。並木歩なみきあゆむはいまでもそう信じて疑わない。


 小学生の頃から、気が弱く体も小さかった歩は、ことあるごとにいじめのターゲットになっていた。

 中学になればもっとひどい目にあうかもしれない。入学式が一日また一日と近づくたびに、彼の気持ちは暗く沈んでいった。


 そんな歩を、入学して間もなく野球部に誘ったのが、たまたま名字の順で前の席になった雅則だった。

 断るのが苦手な歩は流されるままに入部を決めてしまったが、運動が苦手な彼は部活についていける自信がなかった。


 しかし、部長の明を中心とした野球部は、歩がイメージしていたような上下関係の厳しい体育会系の集団ではなく、学年を問わず全員が協力しながら生き生きと野球に取りくむ集まりだった。


 入部後は部活になじむこともでき充実した日々を送っていた歩だったが、それをこころよく思わなかったのが、小学生の頃から彼をいじめていた蛭田伴男ひるたともおだった。

 ゴールデンウイークが明けて間もないある日の放課後、歩は伴男とその仲間から体育館の裏によびだされた。


「おまえ、最近調子に乗ってねえか? ムカつくから野球部やめろ!」

 伴男に胸倉むなぐらをつかまれ脅された歩だったが、彼はありったけの勇気を振りしぼって要求をこばんだ。


「や、やめない……。野球部は、やめない!」

 次の瞬間、伴男は歩の頬を殴りつけていた。痛みにうずくまる歩の腹がさらに強く蹴り上げられる。

 悶絶もんぜつして倒れこんだ相手を、伴男はニヤニヤと笑いながら見下ろしていた。


 しかし、そんなニヤケ面に強烈な一撃が見舞われる。炸裂さくれつしたのは、この場に乱入してきた雅則の右ストレートだった。


「おまえら、歩になにやってんだ!」

 怒声を上げた雅則はさらに伴男の取り巻きにも殴りかかり、いつもは静かな体育館裏は大乱闘の場と化した。

 歩も立ち上がり、無我夢中むがむちゅうで伴男やその仲間につかみかかる。人数は2対5。普段なら足がすくんでしまうような場面だったが、今日だけは、絶対に逃げるわけにはいかなかった。


 結局、騒ぎを聞きつけたバスケ部顧問の教師により乱闘は収められ、その後は全員が職員室でこってりしぼられた。


「今日はありがとう。それとごめん。巻きこんじゃって……」

 二人で帰る道すがら、歩は感謝と謝罪を口にする。

「バカ野郎。絡まれてたなら先にいえよな」

 申し訳なさそうに縮こまる歩に、雅則はぶっきらぼうに言葉を返した。


「ごめん。迷惑かけたくなかったから……」

 歩の声がうわずり、目に涙がうかぶ。

「でも、先にいわなかったせいで、ケンカになって職員室で説教食らって。そっちのほうが、よっぽど迷惑だっつうの。だろ?」

 トゲのある言葉を口にしながら、雅則は歩に笑顔をむけた。

「たしかにそうだね」

 涙をぬぐって、彼も笑い返した。


「あいつらイキがってる割に、全然大したことなかったな。あんな奴らにビビることないぞ。次によびだされたら、必ず俺にいえよな!」

「うん。ありがとう」

 歩の口の中には、わずかに血液の味がのこっていた。けれど、そのびた鉄のような苦みが、今日はなんだか誇らしかった。



 その日の夜、歩は一つの不安を胸に抱いていた。仕返しだ。伴男が上級生の不良グループと一緒にいるのを、彼は何度か見かけたことがあった。

 彼らに目をつけられたらタダでは済まない。自分だけならまだしも、雅則や野球部の仲間を巻きこむことは絶対にさけたかった。


 歩のスマホに着信があったのは、ちょうどそのときだった。


「お疲れ。今日は、雅則とハデにやらかしたらしいな」

 電話の相手は明だった。

「すみません。今日はご迷惑を……」

 あやまろうとした歩を、明は語気を強めて制止せいしする。


「あやまる必要はないぞ。雅則からも聞いたが、悪いのは絡んできた相手のほうだ。歩は悪くない。それよりもケガはないか?」

「大丈夫です。青アザがちょっとできたのと、口のなかが少し切れたぐらいです。でも、あの僕、野球部を……」

 退部するつもりだった。大好きな野球部に、これ以上迷惑をかけたくなかった。


「なにも心配しなくていい。蛭田の上についてる奴とは俺が話をつけた。もう歩に手はださせないよ」

「……え?」

 歩の心が、震える。


「もし、またちょっかいだされたらすぐに俺にいってくれ。それと、大したケガじゃないみたいだから、明日の練習は必ずこいよ!」

「あ、ありがとうございます。……必ずいきます!」

 歩は、嗚咽おえつをこらえながら必死に感謝の言葉をしぼりだした。通話を終えた彼は、あふれる涙を抑えることができなかった。



 松本遼太郎まつもとりょうたろうが父から家庭内暴力をうけるようになったのは、彼が小学六年に上がった頃のことだった。


 もともとは物静かで、暴力とは無縁な遼太郎の父だったが、勤めていた会社をリストラされたことで性格は急速にすさんでいく。

 再就職がうまくいかないストレスから、昼間から酒をあおって家族に当たり散らす一家の大黒柱。暴力の矛先ほこさきは、遼太郎だけでなく母や妹にまでおよんでいた。


 そんな父に遼太郎が初めて反抗したのは、中学一年の夏休みだった。

 その日も昼間から酒を飲み始めた彼の父は、夕方には泥酔でいすいし、ろれつの回らない口調で家族をののしり始めた。


「野球部なんてやめろ! 新聞配達でもなんでもして、家に金いれろ!」

 乱暴な言葉と共に、グローブがゴミ箱に投げ捨てられる。その瞬間、遼太郎のなかでなにかが弾けた。

 彼は怒りのまま父につかみかかり、思い切り殴りつけて叫んだ。


「ふざけんじゃねえぞ。このクズ! 野球部をやめろだと? てめえが酒をやめろよバカ野郎!」

 息子に殴り倒され罵声ばせいを浴びせられた父が静かに立ち上がる。

 とっさに遼太郎は身がまえたが、彼の父は口元の出血もそのままに逃げるように家を出ていった。


 松本家の電話が突然鳴りひびいたのは、その日の夜のことだった。遼太郎の視線の先で、電話に応対する母の顔が見る見るうちに青ざめていく。


「どうしたの母さん。なにかあった?」

 心配そうに問いかける息子に、母は声をふるわせながら衝撃の事実を告げた。

「お父さんが、事件を起こしたみたい……」


 遼太郎に殴られたあと、行きつけの居酒屋にむかった彼の父は、そこで居合わせた常連客の一部とトラブルになり相手に大けがを負わせた。

 さらに、店内の備品や内装を暴れて壊しまわり、最後は駆けつけた警察官に逮捕されていた。


 息子に殴られたことを常連客にバカにされ、カッとなってやった。それが、父の暴行の動機だった。そして、事件はテレビや新聞でも取り上げられ、またたく間に学校中に知れ渡る。


 自分が事件の原因だった……。遼太郎は、自宅や学校では平気な顔をしていたが、内心では大きなショックを受けていた。さらに事件をきっかけに、友人だと思っていたクラスメイトたちが次々とはなれていく。

 自分を責める気持ちと他人に対する不信感から、遼太郎は自暴自棄じぼうじきになりかけていた。しかし、そんな彼を救ったのが、明をはじめとする野球部のメンバーだった。


「遼太郎。大変だとは思うが、部活には必ず顔を見せろよ。それと、なにか困っていることがあったら遠慮なく俺にいってくれ」

 その言葉どおり、明は親族の経営するアパートを、格安の家賃で遼太郎の母に紹介していた。


 近所からは白い目で見られ、マスコミの取材攻勢にもさらされていた家族にとって、これはなによりもありがたい申し出だった。

 また、はなれていく友人はいたものの、雅則や歩といった野球部のクラスメイトのおかげで、彼が教室で孤立することはなかった。


 荒んだ気持ちに流されそうになった遼太郎は、ギリギリのところで野球部の仲間に助けられた。事件から4年が経ったいまでも、彼は仲間への深い感謝の気持ちを胸に抱いていた。



 藤堂明が突然この世を去ったのは、常陽学院の入学式を数日後にひかえた、ある日の夕暮ゆうぐどきだった。


 雅則にとっては尊敬する兄であり、歩にとってはいじめから救ってくれた恩人。遼太郎にとっては自分と家族に手を差しのべてくれた感謝してもしきれない存在。

 そんな明は、居眠り運転による交通事故に巻きこまれ、命をうばわれた。


 明の葬儀の日、会場では誰もが悲しみにくれていたが、雅則だけは感情を押し殺して気丈きじょうにふるまっていた。彼のなかに芽生めばえた決心がそうさせていた。


 事故当日の夜、泣き疲れて眠る雅則の夢に現れたのは、いつかの兄の姿だった。

「なあ雅則。最強の高校生活ってどんなもんだと思う?」

 明はいつものように優しく笑っていたが、雅則にはそれが、兄からのメッセージであるとしか思えなかった。


 数日後、心配して家をたずねてきた歩と遼太郎に、雅則は決心を打ち明けた。


「俺は常陽学院に入学して、甲子園出場と東大合格の両方を勝ち取る。兄貴の夢は、俺が引き継ぐんだ……」 

 あまりにも現実離れした目標なだけに、ショックで気が狂ったと思われてもしょうがない。彼はそう考えていたが、二人の反応は意外なものだった。


「常識で考えたら絶対に無理だよ……。でも、それが明先輩のめざしたものなら、僕も手伝うよ!」

 いつもは気弱な歩が、はっきりとした口調で告げる。

「俺も歩と同感。本気でやるならとことんつき合う!」

 遼太郎も、真剣なまなざしで雅則を見つめた。


 大学受験は一人でも挑戦できるが、野球は仲間がいなければスタートラインにすら立てない。迷わず協力を申し出た二人の言葉は、雅則の胸を熱くした。

「ありがとう。本当にありがとう」

 同じこころざを抱いてくれた親友に、彼は心から感謝した。



 この日から、途方とほうもない夢への挑戦が始まった。


 もともと成績が優秀だった三人は、努力の甲斐かいもあり常陽学院に合格することができた。しかし、入学してすぐに大きな問題に直面する。

 彼らが野球部の門を叩いたとき、その部室は空っぽだったのだ。


 入学前に雅則が調べた時点で、野球部には10人程度の部員が在籍しているはずだった。ところがふたを開けてみれば、受験を控えた新三年生が3月に退部し、人数不足で試合に出られなくなった新二年生も全員が野球部をやめていた。


 甲子園出場どころか部員すら足りない絶望的な状況。しかし、三人は野球部に入り活動を始めた。文字通りゼロからのスタートだった。

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