第12話 父さんの会社が倒産した

 父さんの会社が倒産した。この有名で古典的なダジャレは、現実のできごととして大吉の身に降りかかっていた。


 夏休みも後半に差しかかった8月の中旬、彼の父親が経営する大江コーポレーションは、無理な拡大戦略が裏目に出たことで急速に資金繰しきんぐりが悪化し、あっけなく倒産していた。


 このニュースは、あらゆるメディアで毎日のように報じられていたが、犯罪まがいの営業手法や粉飾決算ふんしょくけっさん、社内に横行おうこうしていたパワハラやセクハラなど、次から次へと不祥事ふしょうじが発覚したため騒動はいまだに収まる気配がない。


 大吉自身も悪徳経営者のバカ息子として週刊誌に取り上げられ、顔にはモザイクがかけられていたものの、写真つきの記事でボロクソに叩かれていた。

 そして、このバッシングによりメンタルに大きなダメージを受けた大吉は、夏休み前とは別人のように変わり果てていた。


 全身を飾っていた高級ブランドのハデな洋服は学校指定の制服へと変わり、高価な時計や無数のアクセサリーもその姿を消している。トレードマークだった長い金髪もボサボサに乱れていた。

 自慢話は鳴りをひそめ、大きな声と態度は見る影もない。彼は教室の片隅かたすみで抜けがらのようにひっそりとたたずんでいた。



「よし。ちょっといってくる」

 唯はおもむろに立ち上がり大吉の席にむかおうとしたが、そんな彼女に晴人が不安そうに声をかける。


「大吉君。ずいぶん参っているみたいだけど大丈夫かな。まともに話ができる状態には見えないけど……」

 虎徹も全く同感だったが、唯に気にする様子はない。

「大丈夫。アタシに任せてくれ。弱ってるからこそ狙い目さ!」

 彼女は、自信に満ちた笑顔を二人に見せた。


「ついていかなくて大丈夫?」

 意気揚々いきようようと大吉のもとへむかう唯の背中を見送りつつ、虎徹が舞に問いかける。

「唯ちゃんなら大丈夫。それにわたしが一緒にいったら、きっと大吉君を委縮いしゅくさせちゃうから。兄さんもそう思うでしょ?」

「ああ。そうだな」

 鬼塚兄妹おにづかきょうだいは唯を信頼しており、動くつもりはないようだった。しかし、虎徹も晴人も不安をぬぐいきれない。

 二人は、唯の後ろ姿を心配そうに見つめていた。



「大吉。元気だせよ」

 唯が大吉の背後から声をかけたが、彼はあいかわらずほうけたままで、彼女に気づく様子はない。


「シカトするな」

 少し強い口調になった唯が、スナップをきかせて大吉の頭をはたく。さすがにこれには反応があった。


「なにするんだ。痛いじゃないか!」

 振り返った大吉の視線が、唯の姿をとらえる。

「なんだ。是川さんか……」

 観念したような表情をうかべて、彼は深いため息をついた。


「まったく大したもんだね。君の分析どおり、大江コーポレーションはボロボロで最後は倒産したよ。さすがは天才ファンドマネージャー。僕の完敗だ!」

 悔しさを悟られないように笑顔をつくろいながら、大吉は負けを認める。しかし、唯から返ってきたのは意外な言葉だった。


「なにいってんだ? 倒産したのは大吉のオヤジの会社なんだから、おまえはそもそも勝ち負けの対象じゃないだろ」

「え?」

 てっきりバカにされると思っていた大吉の緊張が、わずかにゆるむ。


「それに、大江コーポレーションが倒産した件は関係ない。アタシは大吉個人に話があるんだ」

「僕に?」

「そうだ。アタシは野球部に入って甲子園をめざすことにしたんだが、部員が足りない。急な話で悪いんだが、大吉に野球部に入ってほしいんだ」


「野球部に入る? なにをいってるんだ。冗談はやめてくれよ。そもそも僕は野球の経験なんてないんだが」

 彼はまともに取り合おうとしなかったが、唯はさらに説得を続ける。


「大丈夫だ。おまえには素質そしつがある。みがけばきっと光る。だから、その力をアタシに貸してほしいんだ!」

 熱のこもった言葉と共に、唯はまっすぐな瞳で大吉を見つめた。そして、その迫力に押された彼の口からポツリポツリと言葉が漏れだす。


「悪いけど、僕に力なんてないよ。一人じゃなにもできないんだ。この学校に入ったのも父さんのコネだし、なんとか自分を大きく見せようとしていろいろやったけど、それも父さんの金をつかってのことだし……」

 本音を語り始めた大吉は、しおれた植物のようにひどく弱々しかった。


「本当は、こうなる前からわかってたんだ。僕はなにもできないし、性格も悪くてバカで最低で、なんの価値のないどうしようもない人間なんだって。申し訳ないけど、こんな僕が是川さんの役に立てるとは思えないよ……」


 振りしぼるような告白を、唯は静かに聞いていた。そして、うつむく大吉に優しく語りかける。

上等じょうとうじゃないか。自分が最低だってわかったなら、あとはどん底からはいあがるだけだろ? それに大吉に価値がないっていうのはまちがいだ。少なくともアタシは、おまえに価値があると思ってるからこうして野球部に誘ってるんだ」


「でも、こんな僕に野球の素質なんてあるのかな……」

 大吉が疑問は持つのは当然だった。彼はキャッチボールすらまともにしたことがなかった。


「絶対にある。舞がそういってるんだから、まちがいない!」

「鬼塚さんが?」

「そうだ。舞は相手の身体能力を見定めることについては、天才的だからな」

 彼女は舞の判断に絶対的な信頼をおいている。そんな二人の関係を大吉はうらやましく思った。

 それと同時に、もしも唯の期待を裏切ってしまったら、という不安な気持ちが彼の心に湧き上がる。


「でも、やっぱり信じられないよ。そんな才能なんて僕には……」

 再び自分を否定しようとした大吉に、唯が言葉をかぶせる。

「もう一度いうから、よく聞いてくれ。おまえには素質がある。その力をアタシに貸してくれ!」

 唯の力強い視線が大吉をとらえてはなさない。


「是川さんの期待にこたえるどころか、足手まといになるかもしれない。それでも、僕なんかでいいのかい?」

「かまわない。アタシが勝手に期待してんだから、うまくいかなくても大吉は悪くない。すべてはアタシの責任だ!」

 彼女の言葉は、大吉の心を強く揺り動かした。


 彼の家は裕福ゆうふくだったが、両親の仲は冷え切っており家族はバラバラだった。

 学校では、成金の息子だとバカにされないように虚勢きょせいを張ったが、自分を大きく見せようとすればするほど、クラスメイトとの距離はひろがっていく。

 学校の外でハデに金をつかえば、入れかわり立ちかわり多くの人間が集まったが、父の会社が倒産した途端、彼らはすべて幻のように消えていった。


 しかし、そんな価値も居場所もない自分を必要としてくれる人が目の前にいる。大吉は、こみ上げる涙をぬぐって心を決めた。


「わかったよ。そこまでいわれたら断るわけにはいかないね。こんな僕でよければ喜んで協力させてもらうよ!」

 大吉の言葉には、唯に対する感謝と前向きな意志がこめられていた。


「よし。決まりだな。おまえの潜在能力は、アタシが必ず開花させてやる!」

 唯の力強い言葉と共に、新たに一人の野球部員が誕生した。

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