第11話 新入部員

 二学期の初日。野球部の朝練はなかったものの、虎徹はいつもより早めに学校へとむかっていた。


「おはよう! こてっちゃん今日は早いね」

 教室に姿を見せた虎徹に、晴人が声をかける。

「おはよう。晴人のほうこそ早いね」

「うん。本当はもっとゆっくり登校するつもりだったんだけど、いつもの朝練の習慣が体に染みついちゃっててね」


 軽い雑談のあと、虎徹は本題を切りだす。唯に協力をたのむ件について、晴人の意見も聞いておきたかった。


「面白いアイデアだね。最近は、ほかの高校もデータ分析に力をいれてるから、うちにもあればいいなって思ってた。こてっちゃん、えてるね」

 彼の反応は好意的だった。


「是川さんにお願いするなら、僕も協力するよ」

 話し上手な晴人の協力は、お世辞せじにも口が達者たっしゃとはいえない虎徹にとって、これ以上ない援軍えんぐんだった。



 唯が鬼塚兄妹と共に登校してきたのは、それから10分後のことだった。

「おっす」

「おはよー!」

「おはようございます」

 三人はいつもの調子で虎徹と晴人に挨拶あいさつをして席に着く。世界旅行でなにかやりたいことが見つかったのか、その様子からはわからなかった。


 虎徹は、データ分析について話すタイミングをはかっていたが、先に声をかけてきたのは彼の変化に気づいた唯だった。


「あれ? おい虎徹。なんか日に焼けてるな。どっか遊びにでもいったのか?」

「まあ、ちょっと……」

 いろいろと追及ついきゅうされそうな気がしたので、虎徹は適当にはぐらかす。


「こてっちゃんは、夏休みに野球部に入ってくれたんだよ。日に焼けてるのはそのせいなんだ」

 晴人が横から口をだして、この話題にスポットライトを当てる。


「虎徹君。野球部に入ったの? あんなに嫌がってたのにどうして?」

 おどろきと好奇心を顔にうかべながら、舞が問いかける。

「虎徹。いったいどういう風の吹きまわしだよ。さてはこの夏になにかあったな?」

 唯も、興味津々きょうみしんしんといった表情を虎徹にむけた。


「こてっちゃん。そういえば、どうしていきなり野球をやる気になったの?」

 おまえが、いまそれを聞いてどうする! 虎徹は心のなかで、晴人に思いっきりツッコミをいれていた。

 彼は唯を説得するための強力な援軍だったはずなのに、いまや虎徹をおびやかす存在と化している。

 三人から同時に追求された虎徹は、しどろもどろになっていた。


「いや、その、あれだよ。テレビで甲子園を見てたら、忘れていた情熱に火がついちゃったみたいな、そんな感じ……」

 虎徹はなんとかごまかすが、当然ながら三人は納得しない。


「虎徹君。絶対なんかかくしてるでしょ。態度が怪しすぎるよ!」

「こてっちゃん。正直に話してよ。同じ野球部の仲間なんだからさ!」

 舞と晴人が、虎徹に攻勢をかける。そしてときたずに、唯から痛恨つうこんの一撃が放たれた。


「顔が赤くなってるぞ。さては女だな? 夏休みに好きな子ができて、虎徹はその子のために甲子園をめざすことにした。ちがうか?」

 おっしゃるとおりです。だなんて口が裂けてもいえない。


「お、俺のことなんてどうだっていいじゃないか。そうだ! 夏休みの世界旅行はどうだった?」

 唯の鋭い指摘してき動転どうてんしながらも、虎徹はなんとか話題をすりかえた。


「うーん。いろいろ見てまわってそれなりに楽しかったんだが、これだっ! っていうものは、残念ながら見つからなかったな……」

 思った以上にガッカリしている唯を見て、虎徹は申し訳ない気持ちになった。しかし、なにも見つからなかったということはデータ分析を依頼するチャンスだ。

 彼はすぐさま本題を切りだした。


「じゃあさ、野球部に入ってみない?」

「アタシが?」

「唯ちゃんが?」

 唯と舞が同時に声を上げて怪訝けげんそうな表情をうかべる。それまで会話に参加せず静かに本を読んでいた剛も、顔を上げて虎徹を見ていた。


「バカも休み休みいえよ。運動音痴うんどうおんちなアタシが野球部に入るわけないだろ」

 虎徹の提案に唯はあきれていた。機嫌きげんそこねてはマズい。そんな焦りが彼の言葉をつたなくさせる。


「えっと、その、プレーヤーとしてグラウンドに立ってもらいたいわけじゃないんだ。つまり……」

「アタシにマネージャーでもやれっていうのか? そんなガラじゃないことぐらいわかってるよな?」


 唯が明らかにいらだった様子を見せ、鬼塚兄妹の視線が鋭さを帯びる。

 最悪のムードを演出し窮地きゅうちに立たされた虎徹だったが、そこにたすぶねをだしたのが晴人だった。


「データ分析で是川さんに協力してもらいたいんだ」

 持ち前のさわやかな声が、場の雰囲気ふんいきをやわらげる。


「データ分析?」

 唯が、興味深げな視線を晴人に送る。


「最近は、高校野球でもデータ分析を重視じゅうしするチームが増えてるんだけど、是川さんはその分野のプロだよね? もし協力してもらえたら……」


「それだよ晴人!」

 晴人の話が終わる前に、唯は声を張り上げた。


「そうか! その手があったか!」

 サンタクロースからプレゼントをもらった子供のように、唯の目が輝く。

「野球部に入って甲子園をめざす。まさに高校生活のいましかできないことだ。アタシのスキルも活用できるし、完璧じゃないか!」


「ちなみにこれ、こてっちゃんのアイデアだよ」

 晴人が告げると、唯は虎徹の肩を勢いよくたたいた。

「やるじゃないか虎徹! そんなアイデア持ってるなら先に話してくれよ」


「是川さんが最後まで話を聞かなかったんじゃないか。っていうか痛いよ」

「おお、悪い悪い」

 軽い口調であやまったものの、彼女の興奮はしばらく収まらなかった。


 晴人のフォローもあり、虎徹はなんとか唯に協力をあおぐことができた。

 彼は心のなかで、このアイデアをだしてくれた美雪に感謝した。そして、うまくいったことをすぐにでも彼女に伝えたかった。



「ところで、部員は何人足りないんだ?」

 落ち着きを取りもどした唯から、虎徹と晴人に質問が飛ぶ。


「最低でもあと三人は必要だね」

「三人か……」

 唯は一瞬だけ考えこんだが結論は早かった。


「剛、舞。二人とも野球部に入ってくれ。常にアタシと一緒にいなきゃならないんだから、同じ部活でいいだろ?」

 突然の要請ようせいにすぐさま反応したのは剛だった。


「唯様。いくらなんでも無茶です。それに、会長の許可もいただかないと……」

 剛の口調はいつものように冷静だったが、表情にはわずかにとまどいの色がうかんでいる。そんな彼を横目に、唯はどこかに電話をかけ始めた。


「もしもし。うん。例の課題のことなんだけど、アタシ野球部に入って甲子園をめざすことにしたから。プレーヤーじゃなくて裏方うらかただけどね」

 唯の電話の相手は、彼女に課題を与えた祖父の是川銀治だった。

「それでさ、部員が足りないから剛と舞も野球部に入れたいんだけど、いいよね? うん。ありがと。じゃあねー」

 

「じいちゃんの許可はもらったぞ」

 あっという間に話をつけた唯が、勝ち誇ったような笑顔を剛にむける。

「そういわれましても。自分も舞も野球はまったくの素人ですよ?」

 なおも難色なんしょくをしめす双子の兄だったが、妹の反応はちがった。


「おもしろそうじゃん! やろうよ兄さん! わたしたちの身体能力と運動神経ならなんとかなるって!」

「舞。少し冷静になれ」

 前のめりになる舞を剛はいさめたが、彼女の勢いは止まらない。


「じゃあ聞くけど、兄さんは唯ちゃんのために、ほかにアイデアがだせるの?」

「いや、それは……」

「だせないでしょ? それに唯ちゃんのために全力を尽くすのは、わたしたちの役目じゃない」


 私たちの役目。唯に対して強い忠誠心を持つ剛には、この一言が大きかった。

「わかったよ……」

 舞に押しきられた剛は、観念したような表情をうかべて入部を承諾しょうだくした。



「残るはあと一人か。虎徹、晴人。心当たりはないのか?」

 正直なところ虎徹にはまったくアテがなかった。それは晴人も同じで、腕を組んだまま二人はだまりこんでしまう。

「来年の新入生待ちってのは現実的じゃない。いますぐ一人は必要なんだがな……」

 唯も真剣な表情で考えをめぐらせる。


「大吉君なんてどうかな……」

 少し遠慮気味えんりょぎみに提案してきたのは舞だった。

「大吉? ああ、あの騒がしいブタか」

 辛辣しんらつな言葉で、唯は自分を勝手にライバル視している御曹司おんぞうしの名前を口にする。


「夏休み前にちょっとゴタゴタしたでしょ? あのとき腕を締め上げたけど、かなり力はあったし関節も柔らかかったんだ。あれだけ体に脂肪がつくってことは骨格にも恵まれているはずだから、うまく鍛え上げれば化けるかもしれないよ」


「あの一瞬で、そんなことまでわかるの?」

 おどろいた様子で問いかけた晴人に、舞は得意気とくいげに答える。

「まあね。いままで何人もめたりめたりしてきたから、ちょっと接触すれば相手の身体能力は大体わかるんだよ」


「そ、そうなんだ……」

 何人も極めたり絞めたり。さりげなく耳に入ってきた恐ろしい言葉に、晴人と虎徹は戦慄せんりつしていた。


「大江大吉か。たしかに体はでかいよな……」

 唯は教室の右前方へと視線を送る。その先には、うつろな表情で力なくイスにもたれかかる大吉の姿があった。

 彼の姿は、夏休み前とは別人のように変わり果てていた。

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