第10話 アイデア

 虎徹が野球部に入ってから一週間がすぎた。思ったよりも体がなまっていたことに彼は軽いショックをうけたが、それ以上に大きな問題がいくつもあった。


 まずは部員不足。わかりきっていたことだが、常陽学院の野球部員は虎徹をふくめても6人。最低でもあと3人は必要で、来年の新入生に期待するしかない。


 そして貧弱ひんじゃくな練習環境。ただでさえ小さなグラウンドを他の部活と共用しなければならず、屋内おくないトレーニング設備もなし。専門のコーチがいないため、練習内容は手探てさぐりりだ。

 さらに、近隣住民きんりんじゅうみんへの騒音を配慮はいりょして放課後の部活動は午後6時まで、というおまけつき。


 人、環境、時間。そのいずれもが圧倒的に不足していた。



 そんな厳しい現状について話す虎徹に、美雪は静かに耳をかたむけていた。


「思った以上に、大変そうだね……」

 今日は練習が休みだっため美雪を見舞いにおとずれていた虎徹だったが、彼女に余計な気をつかわせていることに気づく。


「ごめん。なんか愚痴ぐちっぽくなっちゃって。でも、部員の動きは悪くないんだ。とくにピッチャーの早坂はやさかはかなりいいボールを投げる。あいつなら中堅ちゅうけんクラスの高校でもエースがつとまるんじゃないかな」


「早坂君か……」

 そう呟いて美雪は考えこむ。しかし、彼女の記憶のなかに早坂恵一はやさかけいいちの名前は見当たらない。その様子を察した虎徹が説明をつけ加える。


「あいつ、地元は茨城なんだ。だから坂井さんは知らないんじゃないかな」

「そっか。東京の中学じゃないんだ」

 美雪は納得してうなずくが、すぐに新たな疑問がうかぶ。


「じゃあ、どうして野球部に入ったんだろう。地元をはなれてわざわざ常陽学院に入るのって、普通は大学受験のためだよね?」

「たしかに……」

 二人はしばらく考えこんだが答えは見つからない。虎徹は、タイミングを見て話題を切りかえた。


「とりあえず戦力になるピッチャーがいるってことは重要だよ。ただ、東東京地区は全国でもトップクラスの激戦区だから、ここを勝ち上がるには、ほかの学校にはない強みが必要だと思う」


「強みか……。そうだね。相手が強豪校なら、総力戦になったら厳しいよね」

「そうなんだ。いま一番大事なのは部員集めなんだけど、たとえ人数がそろってもこのままじゃダメだと思う。うちの高校にしかない強力な武器があれば、可能性もひろがると思うんだけど……」


 うちの高校にしかない強力な武器……。虎徹の言葉を心のなかで復唱ふくしょうしながら、美雪は考えをめぐらせる。彼女の真剣な表情につられ、虎徹も一緒に考えこむ。

 しばしの間、病室は静寂せいじゃくに包まれたが、それを破ったのは美雪だった。


「是川さんに協力してもらうのはどうかな……」

「是川さんに?」

 美雪が口にしたのは意外な人物の名前だった。虎徹の脳裏に天才少女の好戦的な笑みがうかぶ。


「そう。是川さんにデータ分析をお願いしてみたらどうかな。甲子園をめざすことは、高校時代にしかできないことにも当てはまると思うし……」

 夏休み前の教室で、唯からアイデアを求められたことについて、虎徹は雑談ざつだんがてら美雪に話していた。


「是川さんって、アメリカの大学を出て投資の世界でも実績じっせきを上げてるでしょ? そんなプロフェッショナルにデータ分析や戦略構築せんりゃくこうちくを手伝ってもらえたら、相当な強みにならないかな。それに、彼女のコネを使えば、新しい部員を集められるかもしれない」

「たしかに……」


 唯が野球に興味をしめす可能性は読めない。そもそも、彼女が夏休みにやりたいことを見つけていれば相手にもされないだろう。

 しかし、いまの虎徹にとって重要なのはまず動くことだった。


「ありがとう。さっそく明日、頼んでみるよ!」


 虎徹を取りまく環境と、彼の内面に大きな変化をもたらした高校二年の夏休みは、この日が最終日だった。

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