ドライブ⑥

 しかし、そんな僕に天罰が下りました。

 胸中で歌を歌う。

 それは懐メロが中心的でした。

 閑散とした門の前で立ちながら、高校生のとき流行ったラブソングなどを歌っていました。

「古い」

 門の向こうには建物がいくつかありました。窓もカーテンも締め切られ中の様子は窺うことはできず、そのどこからともなく聞こえてきた短い批評は、歌っている僕の心を不快にさせました。

 気分直しに、今度は洋楽のプログレッシブロックという、なんとも限定的なジャンルを脳内で歌い始めました。

「テクニカルだ」

「演奏長くない?」

 等と、批評は頭の中に響きます。

 これら声の持ち主は、出勤時に門を潜る社員何名かのものであると、僕は思い込んでいました。

 それは幻聴と言うより、他人ならこう言うことを言うかもしれない、といった予測から来る妄想ともとれます。

 あるとき僕は声に胸中で反発しました。

 ――ひどいな! そうやって心を覗くのが楽しいのかよ!

 すると中の建物のどこからか、笑い声が聞こえてきたのです。

 偶然、たまたま……、そういう見方もできたと思いますが、僕には心の会話ができてしまうという超能力のようなものとして解釈してしまいました。

 または、ダサいだとか言う言葉も聞こえることがあり、歌のことを言っている、つまり、心で会話ができる、と妙なことを考えるようになりました。

 警備員を始めてから、以前とは違う病院に再び通院し始めた僕は、医師に聞くと、それは思考伝播〈しこうでんぱ〉という症状だと言われました。実際相手には聞こえていないし、相手も何も言っていないのに、さも自分の思考が不特定の誰かに伝わった、と思い込み頭の中で言い合いになったりし、強いストレスと、仕事が覚束なくなるというものでした。しかしそう理解できても、僕はそんな心でのやり取りに不安を覚え、自ら退職を希望しました。


 フム……、話し終えると早苗が一言そう呟いた。

「何か納得したような声ですね」

「いや、何て言うか。難しいなと思ってね。病気として捉えるか、自分の職務怠慢として捉えるか……。ま、答えは駆くんの中でも出てるんでしょう?」

「そうっすね……。先生の言い方を元にするなら両方だったと言えます」

 しがらみから解き放たれた無職という現状、そうした分析を冷静に行うことは可能だった。

「自分は悪くないと駆くんは思う?」

「どうでしょう」

 駆は苦笑した。

「自分のことを悪く言う人に対しては未だに反骨精神というのはあります。自分の身なりへの妙な興味関心から、そんな悪口を言われるのは正直鬱陶しいので……。だから僕は半分怒りを込めて、そういう人たちにも病名を作って差し上げました」

「何?」ちらっと早苗は横目で見やった。

「突発性悪口症候群……」

 早苗は無言だった。数瞬の間のあと話題を戻す。

「結構、誰でもそんな悩み抱えてたりして……」

「そうですかね?」

「わからないけど。最初、自分もそういうことを言っていたって駆くんが言っていたなら、あり得なくはないんじゃない?」

 それもそうか……。駆は声には出さなかったものの、被害者として意識してきたここ数年の自分が、過去、加害者であったという事柄を振り返って、それは自分のみならず、他人にも言えることなのでは、と思った。

「声による被害で辞めた、というけど、実際仕事に対するやる気のなさが招いた結果でもあると思うの」

 早苗の言うことも激しく同意したかった。

 いや、そうであっても、ここに来るときでさえ、声による被害を自分は受けている。

 声によって職場の人間関係が悪化していったのも、駆に、被害者から来るある種の妄想が出来上がっていたとも言えるかもしれない。

「どちらかが欠けていたら、辞めていなかったかもしれません」

「あくまで、声と怠慢の両方から生じたことだと言い張るのね?」

「だって実際頭来ますもん!」

 駆は少し声を荒らげた。

「こうは考えられない? 駆くんの欠点を教えてくれているって」

「教えて何になるんです? ただすれ違っただけの人間が、そんなことを言うなんて、ただの気まぐれですよ。ただの気まぐれでそんなことを言われるだなんて、しゃくじゃないですか!」

「まあ、そうなんだけどねえ……」

 車は相変わらず坂道を上がっていった。

 幼い頃、親に連れていってもらった記憶さえないが、自分の故郷は、やはりこんな田舎だったのかと改めて認識させられる。それほど、この自然に囲まれた登り坂が、故郷とは思わせないほどに珍しい景色に感じられたからだ。

 どこかへ行く途中のようだが、突如、目の前に現れたコンビニエンスストアー に、早苗の車は停車した。

「少し休みましょう」

「こんな場所にもコンビニがあるんですね」

「そりゃあるわよ。田舎舐めてもらっちゃ困るわ」

 東京では都会のビル群に埋もれるかのようにして、コンビニが存在しているのに対し、こちらはコンビニの背後も道路を挟んだ真向かいも、山に囲まれていた。

 コンビニに入り、まだ昼食後間もなかった駆は、缶コーヒーをレジに持っていった。早苗はカフェラテである。

「仕事辞めたんじゃ、やりくり大変でしょう。私がおごるわ」

「いや、いいっすよ」言って駆は腰のポケットから財布を取り出した。

 突如聞こえた女性の笑声。

 自分の財布が長財布ではなかったことを笑っているのだろうか、と被害妄想が浮かぶ。

 黒い折り畳み式の財布で、以前ネットでそういった財布は恥ずかしいなどという記事を目にしたことから、駆はそう思ってしまった。

 ――空耳アワーだ……。

 そう心で呟き、ワンクッション置くことで、尖ったような笑声が心に深く刺さらないための防具がわりになる。

 ――まあ、ダサいんですけどね……。

 空耳アワーと言い聞かせるよりも、こうして一度受け入れることもたまにあった。それも、長年声に悩まされてきた経験からだが、心の傷が一つ増えることに変わりはない。

 ――そういうのを気にするのってやっぱり、弱いからかなあ……。

 思いつつ、代金を払うと、缶コーヒーをつかみ車へと戻った。

 早苗も戻ってきて、再度、車は動き始める。

「さっきの……」と駆は一言述べ、早苗は、うん、と返し、

「ああいう笑い声とか、ダメですね。自分に言ってるんじゃないかって思ってしまって」

「どこも笑われる要素なんてないんじゃない?」

「財布を見て笑われたんじゃないかと」

「財布……」

 シートベルトはいくぶん窮屈だったが、駆は腰を上げ、財布を取り出した。

「こういうやつなんですが……」

 前方を見ていなければならない早苗は、一瞬ちらりと財布を見やった。

「どこも笑われる要素なくない?」

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