『人生』

くにすらのに

『人生』

―2020年夏、宇宙最大手のMMO『人生』の大型アップデートです。アップデートまでに備えておきたいポイントについて解説します。


 なんとなく時計代わりに流している朝の情報番組からこんな声が聞こえてきた。

 MMOとは縁もゆかりもなさそうなキラキラした女子アナがアップデートについて解説されたフリップと原稿を読み上げている。


「つーか『人生』なんてMMO聞いたことねーぞ」

 

 淹れたてのコーヒーを一口すすり、思わずぼやいた。

 全国ネットで特集されるくらいだから有名なんだろうけど。


「それではみなさん、今日も良い一日をお過ごしください」


 女子アナの決まり文句と共に番組は終わりを告げた。

 次の番組が始まる前にテレビを消して、パソコンを立ち上げる。

 始業は9時からだが、作業がたまっているので早めに仕事を開始する。


「テレワークなんてサービス労働の温床じゃねーか」


 少し前なら満員電車に押し詰められている時間帯。

 それが今や自宅での労働時間になっている。

 初めのうちはあの臭くて暑くて苦しい閉鎖空間から解放されて喜んだものだが、一日中引きこもってパソコンに向き合う生活が続くと懐かしくも感じる。


「いつまでこんな生活が続くのかね」


 髪を整えたりヒゲを剃る手間が省けたのもありがたい。

 ただ、真っ黒な画面に反射する自分の顔を見た時にギョッとすることも増えた。

 誰とも会わないとは言っても多少は身なりを整えた方が良い気もする。


「まあいっか。慣れれば済む話だ」


 人と会わないと自ずと独り言も増えてくる。

 自分で自分に言い聞かせるように、今の状況を納得させて仕事を続けた。

 

 こんな生活が3か月ほど続いて季節は夏。

 冷房の効いた部屋にこもっているのであまり実感は湧かない。

 それでも窓から入る日差しは何度も味わった夏のそれだった。


―いよいよ明日、宇宙最大手のMMO『人生』の大型アップデートが行われます。


「またニュースになってる。そんなに話題なのかね」


 ゲームのアップデートがニュースになるくらい世の中に動きがないのか、それとも会社が宣伝費を掛けているのか。

 社会人になってからめっきりゲームをやらなくなって自分にとっては取るに足らないニュー氏にしか思えなかった。




「うわああああ!!!!」


 いつもと同じように目覚めて洗面所で顔を洗うと違和感を覚えた。

 感触がザラザラしていて肌荒れにしてはあまりにも酷い。

 痛みもかゆみもなければ下手に病院に行く方が危ない世の中だ。

 そう思い一旦放置しようと考えた矢先、鏡に映った自分の顔を見て絶叫した。


「これ、俺か?」


 ワニのような鱗に覆われた顔が自分のものとは思えなかった。思いたくなかった。

 首から下、鎖骨辺りまで鱗で覆われているがそれ以外の目に付く部分は今までと変わらない。


「とにかく情報だ」


 テレビを点けると女子アナの顔にも大きな変化が訪れていた。

 どこからどう見ても完全にチワワ。

 白いモフモフの毛に覆われたその顔は被り物ではなく、間違いなく彼女の身体の一部だ。


「おいおいどうなってんだ」


 ネットで検索すると


『ライオンだった! 嬉しい』

『馬wwwww』

『うさぎとか当たりじゃん』

『猫エッッッッッ』


 といったリアルタイムの声で溢れかえっていた。

 誰も困惑していない。

 むしろ、なんの動物になったかを喜々として報告しているようにすら感じた。


「なんで。なんで。なんで」


 なんでみんな冷静でいられる?  

 顔だけ動物なんだぞ? 

 とにかく落ち着くためにコップに水を入れ、それを飲もうとした。


「あ……え?」


 舌が妙に伸びている。まるでカメレオンのような舌に違和感を覚えたものの、不思議とそれを使いこなすことができた。

 

―みなさんはどんな動物になれましたか? MMO『人生』の大型アップデートは配信されたばかり。みなさん、素敵な人生をお過ごしください。

 

 普段ならここでテレビを消してパソコンの前で仕事をする時間だ。

 だけど今日はそれどころじゃない。何も手を付けられない。

 次の番組が始まる。


―おはようございます。私は亀になってしまいました。こう力を入れるとね、伸びるんですよ。


 キャスターは楽しそうに自分の首を伸ばし亀であることをアピールしている。

 どうしてそんな風に笑顔でいられるのか理解できない。


―新型ウイルスは動物に対する感染力が弱いということから今回のアップデートが配信されたわけですが、今後の動向に注目していきたいです。


 亀の顔をしたキャスターはさも当然のように淡々と視聴者に語り続ける。

 新型ウイルスよりも、今はこの状況の方がよほど重大だと言うのに。

 

―まさか我々がMMOのキャラクターだとは思いもしませんでした。夢の中で夢を見る感覚とでもいいましょうか。今回発生したウイルスへの対抗策を早急に準備してくれた運営の皆さまには感謝しかありません。


「なに言ってんだコイツ? 我々がMMOのキャラクター? 運営?」


 悪い夢でも見ているような感覚に襲われて、テレビから入ってきた単語を繰り返してしまう。

 単語1つ1つの意味は分かる。けれど、それと今の状況が全く結び付いてくれない。

 点だけがどんどん増えていって線を結べない。


―私はせっかく亀になったのでね、もう少しのんびり生きてみようと思います。亀は万年と言いますし、もうしばらくの間お茶の間にこの顔をお届けしたいと考えております。


 スタジオには笑い声が響いている。

 人間の声もあれば、まるで鳥のような甲高い声も混じっていた。

 きっとテレビ局に居るスタッフも、漏れることなく顔が動物になっているのだろう。


 ピロリロリロリーン

 ピロリロリロリーン


 数か月ぶりに電話が鳴った。

 画面には社長の名前が映し出されている。


『おはよう。久しぶり』

『はい。ご無沙汰しています』


 お互いに声を出す機会が減っていたせいか、特に体調に異常はないのにほんの少し声のトーンが低い。


『いやいや、ずっと一緒に仕事をしているのに久しぶりというのも変な気がするね』

『そうですね』

『私はゴリラの顔になってしまってね。娘に笑われてしまったよ』


 恰幅の良い社長の顔がゴリラになったところを想像したらあまりに似合い過ぎて思わず吹き出しそうになった。

 それを堪えて俺は電話越しの声に耳を傾ける。


『ウイルス対策もできたようだし、どうだろう。またオフィスに集まってみるのは』

『……いいと思います』

『うん。それじゃあ準備もあるだろうからお昼くらいを目処に集まってくれ』

『はい。わかりました』


 総勢10人の小さい会社だ。

 社長が声を掛ければすぐに集まるだろうし、俺以外の人間はこの状況を楽しんでいるところがある。


 ネクタイを締めながら誰がどの動物になっているか想像したりした。

 夏の満員電車は臭いとの戦いだ。

 そこに獣臭さが加わるのかと思うと憂鬱になる。

 

 仕事自体もそんなに好きではない。

 けれど、久しぶりに誰かと会えることが嬉しくて、つい長い舌がペロッと飛び出してしまった。


「俺ってテンションが上がるとこうなるんだな」


 カメレオンの顔になった自分の生態を少しずつ学びながら玄関を開けると、夏の日差しが俺を容赦なく焼いた。

 文字通り、焼いた。


―速報です。たった今、ウイルスが完全に排除されたとの情報が入りました。繰り返します。ウイルスが完全に除去されました。


 各家庭のテレビからこんな速報が流れた。

 それと同時に世界から歓喜の声が溢れる。

 声は大きなうねりとなり、運営の元まで届いた。



「ふう、ようやく駆除できましたね」

「厳重なプロテクトだったからな。アップデートで環境を変えたのが良かった」

「これでようやく休めますね」

「お疲れ様。僕は正式なアナウンスを出すから先に休んでいいよ」

「はい。ありがとうございます」



 この度はウイルス騒動によるプレイ制限でご迷惑をお掛けしました。

 『人生』はこれからも宇宙に暮らす皆様に地球での人類体験をお届けしてまいります。

 なお、今回追加された獣化は今後のアップデートで自由選択可能にする予定です。

 今の人生を諦めず、がむしゃらに生きてくださいますようお願い申し上げます

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