新学期のはじまり〈2〉

 母さんと陽介さんに見送られ、三人そろって家を出る。


「双葉。なんであんなこと言うの?」

「あんなことって、おっぱいのこと?」

「双葉っ。……渉くんがいるのよ?」

「知らなぁーいっ」


(続くのかぁ……)


 先輩たちよりも前を行くぼくは、耳を塞ぎたい気持ちになった。

 しかしいつまでも黙っているのも、先輩一人に任せてしまっているようで心苦しい。


「そうだ。双葉ちゃんっ。部活は何にするか決めた?」

「……別に」

「双葉。そんな言い方ないでしょ?」

「ふん」

「双葉はソフトテニスを小学校からしててね。多分、それをやるんじゃないかしら?」

「お姉ちゃん!?」


 妹さんの抗議を受けても、先輩は全然お構いなしだった。


「ソフトテニスなんだ。うちにもありましたよね?」

「ええ」


 すっかりへそを曲げてしまった双葉ちゃんは、むすっとしたまま黙ってしまう。

 目線で「大丈夫ですか?」と問えば、先輩は馴れているのか大丈夫と頷いてくれた。


 しばらく歩けば、学生の姿も増えてきた。


「あ」


 風に乗って、桜の花びらが舞う。

 学校に続く道の両端には、以前、描いた桜並木が校門まで続いている。

 桜は今を盛りとばかりに咲き乱れていた。


 と、頭に何かが触れる感触がして振り返れば、


 すぐ間近に先輩がいた。

 

「え?」

「桜。ついてたよ?」


 にこっと微笑んだ先輩は、つまんだ桜の花びらを見せてくれる。


「あ、ありがとうございます」


 頬が熱くなってしまう。


「さ。渉くん、行こっ」


 指さした先には、さっさと先を行く双葉ちゃんの姿が。


「双葉ちゃん、待って!」


 慌てて後を追いかけた。


 校門を抜けてしばらくすると、学生たちが溜まっているのが見えてきた。

 そこには掲示板がある。


「お姉ちゃん、あれ何?」

「クラス分けの掲示板よ」

「僕が見てくるから、二人はここにいて下さい」

「でも……」

「先輩。大丈夫ですから」

「あ、それじゃ……頼める?」

「行ってきます」


 二人の了解(双葉ちゃんは相変わらずむっつり黙っていたけれど)を取ると、気合いを入れて人混みを分けていく。

 一年から三年の掲示板をそれぞれ確認して覚えると、これまた押し寄せる人波を掻き分け、先輩たちの元へ戻った。


「おかえりなさい。見られた?」

「バッチリです。先輩が二年一組、双葉ちゃんが一年三組、ぼくが二年二組です」

「ありがと。

――双葉、何か言うことがあるんじゃない?」


 双葉はちらっと、ぼくを見るが、すぐに目を反らしてしまう。


「ありがとう……ございます」

「あはは……。ど、どういたしまして……」

「そうだ。双葉。今日は一緒に帰らない?」

「うんっ」

「じゃあ、そろそろ……」


 その時、女性の悲鳴があがった。


「何だ!?」


 そちらを見れば、逃げ惑う人波の向こうで、創立者の胸像と土台を見えた。


「な、何でしょう」

「さ、さあ……」


 逃げ惑う生徒たちが散らばれば、その全容が露わになった。


小幡おばた先輩!?」

 ぼくは思わず叫んだ。


 同時に、隣にいた先輩が溜息をついた。


 石像の土台部分から、手と足が飛び出し、土台の半ばくらいから、天然パーマで面長の男の顔が出ていた。


「ま、待ってっ。お姉ちゃん、あの人誰!? 知ってるの!?」

 双葉ちゃんはパニックだった。

 

「う、うん、ちょっと……ね」


 そんな二人のやりとりをしている間にも、胸像男は女子生徒を追いかけ回している。


「先輩、何やってるんですか!」

 ぼくは迷わず、胸像男の前に飛び出した。


 小幡優一郎おばたゆういちろう

 美術部の三年。

 彫刻作品を主にしている。

 そして変わり者が多いと言われる美術部の中でも、特に変わり者だ。


「おお! 稲葉……!!」

「新学期早々、何やってるんですかっ?」

「これはオレ流の出迎えなんだってー!」


 抱きついてこようとするのを、すんでのところで避けた。


「何故避ける!?」

「危ないじゃないですかっ!」

「先輩との熱い抱擁だぞぉ!? 歓迎の意だぞ!?」

「……まさか新入生に抱きつこうとしたのも、歓迎の意ってことなんですか!?」

「当然!

外国では熱い抱擁は当然の……」

「ここは日本です!

白昼堂々そんなことしたら捕まりますよ!?」

「何故だ! 新しい学校で不安に思っている子たちを、私の崇高なるハートで包み込んで――」

「――小幡君」

「会長!?」


 傲岸不遜だった小幡先輩は、気を付けの姿勢になる。

 小幡先輩の視線の先には、先輩の姿があった。


「新学期早々、みんなを困らせるのは駄目よ」

「す、すみません、会長……」

「もう。先生にはまだ見つかってないから良かったものの……。

でもその胸像は、さすがは小幡君って感じね。

すごく出来はいいわ」

「さすがは会長!

それじゃ……」

「生徒会長として見過ごせるわけがないでしょっ。

ほら、さっさと脱いで。

――ここじゃなくって」


 半分脱ぎかけた時点で、小幡先輩がパンツ一丁なのは明らかだった。


「小幡先輩、エキセントリックすぎますよ……」

 溜息を禁じ得なかった。

 

「新入生たちの印象に残るにはこれくらいしないとなぁ!」

「トラウマになりますから!」

「小幡君。今すぐ、更衣室で普通の制服に着替えてきて」

「ありがとう! 会長ぉっ!」


 小幡先輩は、脱兎のごとく逃げていった。


「みなさん、変わったものを見せてしまってすみません。

よい、学校生活を!」


 先輩はその場の生徒たちにそう言った。


「さすがは先輩です! 小幡先輩をあんなに簡単にあしらわれるなんて」

「小幡君とは三年間、同じクラスだし」


「……っていうか、あなたもあの人と知り合いだったんですね」

 双葉ちゃんから、じとーっとした目を向けられてしまう。


「あはは。美術部の先輩だからね……。

あの行動は奇抜過ぎるけど、小幡先輩の彫刻はすごいんだよ」

「へえ。っていうことは、お姉ちゃんがあなたを褒めてるし、

あなたもさっきの人みたいな奇抜なことをされるんですね?」

「いや、さすがにあんなことは……」


 そこで、先輩が手を叩いた。

 

「さあ、二人とも。ここで喋っているのもいいけど、新学期早々遅刻は駄目よ」

「そ、そうですね。分かりました。行きましょうっ」


 ぼくらは足早に、校舎に向かった。

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