一つ屋根の下(渉の場合)(2)

用意してもらった部屋は、二階の一番奥の部屋だった。


 先を進んだ一華が、扉を開けてくれる。


「さあ、どうぞ」

「は、はい……。失礼します」

「ふふ。ここは渉くんの部屋なんだよ?」


 ぼくは恐縮しきりで部屋に入る。


 そこには新しいベッドや勉強机、タンスが置かれていた。


「ようこそ、あなたのおうちへ。……渉くん」

「せ、先輩……」


 と、手が差し出される。

 桜色の爪に、指の一本一本がとても綺麗で、しなやかで長い。


「荷物」

「あ、いえ。こんなものは適当にその辺に置いておけば……」

「ふふっ」


 先輩が思わずという風に笑った。

 ますます頬や耳が熱くなってきてしまう。


 先輩は、上目遣いに見つめ、いたずらっぽい笑顔を見せた。


「こういうのも、同棲って言うと思う?」

「先輩……!?」

「だって私たち、付き合ってるわけだし。――ね?」

「そ、そうですが……」

 

 ぼくは、何と言えばいいのか分からず、口元をモゴモゴさせてしまう。


 そう、ぼくらは付き合っている。

 ぼくらはお互いに同じ、私立光台ひかりだい高校に通っている。

 明日の新学期から、ぼくは二年、先輩が三年になる。


 先輩と知り合ったのは、入学して間もない夏だ。

 ぼくは昔から絵を趣味にしていて、高校では中学と同じ美術部を選んだ。

 そして新しい作品の為の題材を探していた。

 校舎や、グラウンドで部活動に励んでいる生徒、真っ青な空、はたまた海か……。

 どれにしようか悩んでいると、ぼくは先輩の姿に目を奪われた。

 前を真っ直ぐに見て、颯爽と歩く姿に惹かれた。

 大げさな言い方だけど、こんな綺麗に歩く人がいるんだと感心した。

 と言っても、普通の人には普通の歩き方にしか見えなかっただろうけど。

 これまで人物画なんて、ほとんど描いたことのなかったぼくが、初めて、彼女を描きたいと思ったのだ。


「あ、あの!」


 かなり上擦りながら呼びかけると、先輩は振り返った。


「?」

「あ、ぼく……一年二組の稲葉渉って言います! あの! 絵のモデルになってくれませんか!?」

「絵?」

「ぼく、美術部で、新しい作品を書こうと思って!」

「稲葉渉……。もしかして県の美術展で、桜並木の水彩画のを描いてた?」

「あ、はい! そうです!」

「あなたの絵、すごく綺麗でびっくりしちゃったわ。水彩画であんなに綺麗に描けるなんて。すごいわ」

「あれは、ただ好きで描いてただけなんですけど……」

「ふふ。あんなに大胆に桜を描く割に、遠慮しいなのね」

「よ、よく言われます。あの、それで、も、モデルのことは」

「モデルは恥ずかしいけれど……」

「お願いします!」

「ヌード、とかじゃないよね?」

「ち、違います! 服は着てていいですから!」

「光栄だわ」


 そうして絵が描き終わると同時に、ぼくは先輩に告白した。

 先輩もぼくと同じ気持ちだったようで、受け入れてくれた。

 それが、今から二ヶ月くらい前のこと。

 まだデートすらしていない。

 その前に、母さんと先輩のお父さんが結婚すると言われたからだ。


「これからは、ケータイで電話するだけじゃなくって、こうして顔を合わせられるね」

「そうですね。嬉しい、です……」

「ふふ。出かける予定も立てないと」

「頑張りますっ!」

「ふふ。期待してる。――あ、そうだ。約束、覚えてる?」

「もちろんですっ」

「ごめんね。機会を見て言うから」

「いえ。先輩じゃなくって、ぼくから言ったほうが……」

「大丈夫。お父さんの扱いは私が馴れてるし」


 先輩が笑うと、ぼくも笑った。

 先輩が初めて付き合う相手で、どうしたらいいのかは具体的にはよく分からないけれど、これから先輩に喜んでもらうことをたくさんしようということだけは確かだった。

 ただ、来年は受験があるから、その辺りも考えなければいけない。


(今年は悔いの無い年にしないと……)


 その時、ギッと扉のきしむ音を聞いた。


「――お姉ちゃん?」


 扉が開くと、双葉ちゃんが顔を覗かせた。

 双葉ちゃんは、大人しそうな小動物のような視線を向けてくる。


「お父さんが呼んでるよ」

「ありがと。――それじゃ渉くん。下に戻りましょ」

「は、はい」


 双葉ちゃんはじーっとぼくを見ていたかと思ったが、先輩の後を追いかけていった。


(何だか緊張するな……)

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