黒髪おかっぱ vs 薄茶色のセミロング③


 ――ジリリリリリッ、 ジリリリリリッ……

 ――ジリリリリリッ、 ジリリリリリッ……

 ――ジリリッ――、ダンッ……


 …………うっ、……あれ、わたし――――



 無機質で容赦のない金属音が耳の中になだれ込み、私の意識が半ば強制的に呼び起こされた。視界はまどろみ、万力で締め付けられているかのように頭が痛む。身体を起こそうにも力がうまく入らず、被っている布団の中には、綿ではなく鉛が入ってるようだった。


 ……頭、イタッ――


 半覚醒状態の私は、無意識というAI制御によってもぞもぞと身体を動かし、ベッドの上に雑に放られている目覚まし時計に目を向ける。


 ……やば、もう、起きなきゃ……、会社、行かなくちゃ――


 無理矢理に上体を起こし、自分の半身に目を向ける。タイトな紺のスカートにひしゃげたような折り目が付いており、だらしなくボタンが開け放たれているYシャツはしわくちゃだった。


 ……あれ、着替えてない、なんで……、昨日の、記憶が――


 ボーッとした頭で、六畳一間のワンルームのど真ん中……、ちょこんとしたミニテーブルが目に入る。テーブルの上に散々している、『空き瓶』、『空き缶』――、ふと、口の中に立ち込めた嫌な臭気に、私はようやく、昨夜の自分の失態を知る。


 ……そうか、スミレと別れたあと、私、晩御飯でも買おうとコンビニに寄って、たまにはいいかなって、お酒、買い込んで――


 ――ガンガンと、鐘の音が鳴るような痛みに、私の思考が中断される。

 数分の間、どうすることもできずに、何を考えていいかもわからずに、私はボーッと額に手をあてていた。やがて何かに抗う様に立ち上がった私は、ミニテーブルの上に放ってあったスマホを拾い上げ、つたない所作で『体調不良で、出社遅れます』とテキストを打ち込み、ベッドの上にポイッと放る。ヨレヨレになったYシャツのボタンを煩雑に開け放ちながら、ヨロヨロと覚束ない足取りで、浴室へと向かった。





 「――香澄~っ、今週のデバッグスケジュールなんだけど……、って、おぉっ!?」


 ――声を掛けられ、私が振り向くと、大介がまるでゾンビでも見るような顔で驚き、目を丸々と見開いた。


 「……お前……、なんちゅー顔してんだよ……、拡縮ミスって顔面ジャギりまくってんぞ……」


 「……うるさいわね、私の顔がどんな描画サイズだろうと、アンタの人生には何の影響もないはずよ――」


 私はぼそぼそと、かすれた声で精一杯の悪態を返し、眼前の大介を虚ろな目で睨む。私のあまりにも覇気のない様子に虚を突かれてしまったのか、大介は私の買い言葉に言い返す事もせず、「そっか」と小さくこぼすように返事を返した。


 「そういやお前、体調不良で午前休してたんだよな……、確かに今は大変な時期ではあるんだけど、あんまり、無理すんなよ?」


 珍しく、妙な気遣いを見せる大介に、私の心がズキリと痛む。


 ……なんでコイツ、こんな時に限って優しいのよ……、まさか、私がただの二日酔いだって知ってて……、嫌味を言っているのかしら――


 ――邪推は、一度でも脳裏をよぎると、こびりつくように頭から離れなくなる。

 私は、心配そうな顔で私の様子をうかがっている大介の表情が……、「どうしようもない女だな」と、呆れかえっているように見えてしまい――


 私の眼前で、仕事の共有事項を淡々と告げる大介の声が、まるで無声映画でも見ているかのように、私の耳に届かない。私はウンウンと聞いている『振り』だけしながら、喉までせり上がってくる胃液の生ぬるい感触に、ただ耐えていた。





 ――カタカタカタカタッ、カタカタカタカタッ……

 ――カタカタカタカタッ、カタカタカタカタッ……

 ――カタッ……



 ……あれ、やば……、ファン通さんとの打ち合わせ、明日だっけ……、プロモーションの資料、何も用意してない、っていうかコレ、大介に言ってたっけ――、ダメ、頭が、働かない……、今日、無理せず休めばよかったなぁ――


 はぁっ、と大仰なタメ息を吐きながら、思わず額を両掌で覆った私の耳に――



 「――さん、小島さん?」


 ――留守番電話サービスみたいに無機質な女性の声が、放り込まれる。


 ハッとなった私が声がする方に慌てて顔を向けると、昨日同様、経理担当の女性社員が、不機嫌そうに口をへの字に曲げながら、私の事をジトーーッと睨んでいる。


 「――あっ、ご、ごめんなさい……、ボーッとし――」

 「――昨日メールで頂いた2D制作会社の納品書……、先月分だったんですけど?」

 「――えっ……?」


 ゾンビのように真っ青な私の顔が、へらっとひきつった笑い顔を浮かべながら、ピタっと、フリーズする。


 「――いい加減に、してください……。現場が大ッ、変ッ――にお忙しいのは、重々承知なんですけど……、一応うち、会社なんですからね? ……こういったことは、きっちり対応して頂かないと――」


 ――ネチャリ、ネチャリと、樹液のようにネトついた女性社員の声が、私の耳にぬるりと入り込み、脳みそをまとうようにこびりつく。ただでさえ酸素が欠乏している私の頭の中で、ガンガンと、静かに悲鳴が鳴り響いている。


 「――ゲーム会社なんて……、あなた方はサークルの延長みたいな気分で働いてらっしゃるのかもしれませんけど……、私から言わせれば、『稟議』の一つもロクに立てられないような、あなた方のような人たちって、到底、社会人とは呼べな――」

 「――うるさいわね」


 

 ピタリと、世界が、静止した。

 口をポカンと開けて、呆気にとられた表情で私を凝視している女性社員の目を……、私は、ギロリと睨んだ。


 「……私が先月分の納品書を共有したタイミングで、すぐに確認してくれれば、その場で正しい方に送りなおしたのに、それを、今日になって……、経理なんて、毎日定時で帰れてるんだから、ちょっとくらいクソ忙しい『現場』の『惨状』を理解したうえで、こっちが動きやすいように気遣う気持ちがあってもいいんじゃないかしら?」


 女性社員の、能面のような無表情が真っ赤に染まり、プルプルと震える唇がなんだか滑稽で、私の口からフッと思わず、乾いた笑いが漏れる。


 「――な、なによッ!? その言い方ッ!? …わ、わ、悪いのはそっちじゃないッ!? それを……、ことも、あろうに――――、大体、アンタ達みたいなクソガキが――」

 「――ってぇ!? スト~~ップッ!?」


 金切り声を喚き散らしている女性社員と、だらしなく頬杖をつきながらその様子を眺める私の間に、慌てて飛び込んできた大介が割って入った。


 「すいませんすいませんすいませんッ!! ……俺たちがど~~しようもなくバカなせいでっ、経理含め、少人数ながらもうちの会社を回してくれているバックオフィスの方々には、ほんっと~~にっ、頭が下がる思いでして――」


 ヘコヘコと、大介が飛び込みの営業マンみたいに、上半身の上下運動を繰り返す。女性社員は金切り声を上げるのを止めたものの、留飲りゅういんが下がり切っていないのか、プルプルと未だに唇を震わせていた。――なんだか、三文喜劇を見せられている気分になった私は、ドっとした虚無感に襲われ、滑稽に頭を下げまくっている大介の姿を、蔑むように眺めていた。


 「――どうかっ、ここは俺に免じてっ、この……、とぉ~~りっ!」


 ――パンッ、と大介が頭を下げながら両掌を合わせると、女性社員は二の句を告げなくなったのか、フンッ、と捨て台詞のように鼻息を鳴らして、カツカツと甲高いヒールの音を豪快に鳴らして自席に戻っていた。しばらく地面に目を向けていた大介だったが、スッと上半身を起こしなおすと、ふぅっ、と大きな息の塊を吐き出した。

 ――ヘラヘラしたマヌケ面がスッと直り、大介が神妙な顔を浮かべて、椅子に座っている私の事を見下ろす。


 「――香澄、お前、何かあったのかよ……、なんか、らしくないぜ?」


 ――怒鳴り散らすでもなく、非難するでもなく――

 大介は、ただ、私の心の状態を、『確認した』。


 「――らしくない…………?」


 言葉を覚えたばかりのオウムのように、私は大介の言った言葉を繰り返す。

 ――ズキズキと頭が痛む、逆流した胃液が喉の奥からせりあがる。グルグルと目が回り、視界が、定まらない――


 「……私『らしい』……って、なによ――」


 脳を通過することなく、私の口から、声が勝手に漏れ出た。

 神妙な顔でこっちを見ている大介の目が、

 私のことを、心の底から、蔑んでいるように見えてきて――


 

 「――アンタ…………、私の、何を……ッ! 知ってるっていうのよッ!?」


 ――ガタンッ!


 思わず立ち上がって叫んだ私の声は、痛々しいほどに裏返っていた。ガラガラにしゃがれた醜い声が、せまっくるしい室内に響き渡り、喜怒哀楽で包まれていた執務室が、水を打ったように静まり返る。


 ――ハッと我に返った時には、何もかも『遅い』。

 大介が、軍司さんが、テッさんが――

 『異形』を見るような無数の目つきが、私のことを『蔑む』。


 ――ふと、『あの子』の顔が、視界の端に映った。

 ロッキングチェアにちょこんと体育座りをして、子供のような表情を浮かべている『あの子』の黒髪おかっぱが、昨日見た、『スミレ』のストレートロングヘアと、重なる――



 「――うっ……、うぷっ――――」


 ――ズキズキと頭が痛む、逆流した胃液が喉の奥からせりあがる。グルグルと目が回り、視界が、定まらない――

 

 思わず口元を覆った私の両掌から、吐しゃ物があふれ出し、背を丸めた私の口から吐き出された茶褐色の液体が、グレーのカーペットを無秩序に汚していく――


 「――お、おい…………」


 地べたにしゃがみこんでハァハァと肩で息をする私の耳に、恐怖に満ち溢れた大介の声が届いた。頭が真っ白になった私は、挙動不審にキョロキョロと目を動かしながら、羽織っていた自身の上着を剥ぎ取り、吐しゃ物を慌てて覆い隠す。白のYシャツ姿になった私は、地面に目を向けたまま駆け出し、逃げるように執務室から飛び出した。


 執務室のドアを開け放ち、階段を駆け下り、オフィスビル入り口の自動ドアにぶつかりながら外の世界に飛び出した私の耳に、歪んだヒールの音だけが、ひたすらに鳴り響いた。



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