09.ベランダで
風呂からあがってくると、部屋でゲームをしていたはずの愛の姿が見えなかった。
寝る前に風呂に入るのを忘れていたので、今日は起床してからすぐの一番風呂を済ませて、時刻は午後八時過ぎ。
愛も先程来たばかりで帰るにはまだ早い。
疑問に思って首をひねると部屋に風が吹き込んで揺れるカーテンに気付き、そこから外を覗いた。
「何してるんだ、こんなところで」
「おかえり、優」
ただいま、と返してサンダルを履きベランダに出ると、遠くにひゅ~~~っと風を切る音が響く。
ぱんっ。
ベランダの向こう、遠くの空に大輪の花が咲いた。
夜空に光る花火は、カラフルな色合いで輝いていてとても綺麗だ。
きっとあっちの方で花火大会でもしているんだろう。
「花火、綺麗だね」
「花火って好きじゃなかったんだよな」
「どうして?」
横に並んで向こうを眺めると、ベランダの手すりに寄りかかっている愛が顔を向けて不思議そうに聞いてくる。
「寝てるとパンパン鳴っててうるさいから」
「それは優が起きるのが遅いから悪い」
ごもっともで。
「でも、愛と一緒に見る花火は悪くないかな」
「そっか」
再び上がった花火に視線を向けて呟く愛の横顔が、ぱんっという音と共に光に照らされた。
その輝きの一つ一つが愛のピアスに反射してキラキラと散っていく。
ああ、本当にこれならずっと見ていても飽きなそうだ。
◇◇◇
「ちょっとまだ暑いな。何か飲むか?」
花火に夢中な愛に声をかけると、振り向いて勢いよく手を挙げた。
「お酒!」
「あと二年したらな」
えーっ、と不満そうな声を聞き流して部屋に戻る。
まだ暑さが残る外と違って、部屋の中はクーラーが効いてて結構涼しい。
冷蔵庫を開けて俺はお酒を、愛にはジュースの缶とついでに甘味を取って再びベランダに出た。
ほろ酔いでほろ酔いになるくらいアルコールに弱いので普段はあんまり飲まないんだけど、たまにはこういうのもいいだろう、と心の中で言い訳しておく。
「串団子食うか?」
「食べるー」
持ってきた二本のうちの片方を受け取って、タレが溢れないように気をつけながら美味しそうに食べる愛を見て俺も倣う。
それから持ってきた酒のプルタブを引っ張って開け、コツンと缶を合わせて乾杯をする。
缶に口をつけて傾けるとうっすらとアルコールの味が喉を通り、その間にも視線の先で様々な花火が打ち上げられていく。
花のように弾けて広がるスタンダードなものから、一度広がってから線香花火のように弾けるもの、光の軌跡で模様を型どったもの。
時間を開けて打ち上げられていく花火はどれも綺麗で、そういえば昔もこうやって打ち上げ花火を見上げてたことがあったな、なんて思い出す。
あの頃はまだ家族がいたんだっけかなと思い出してみても、今はさほど感傷的な気分になったりはしないけど。
「優はどれが好き?」
「俺は今上がった黄色一色のやつ」
「私はさっきの星形のやつかなー」
「子供が好きそうなやつだな」
「感性が若いって言ってよね」
そんなくだらなくて柔らかい会話が続く間にも花火は上がり、ばらばらと音を立てて落ちていく欠片に釣られて、視線が下に向いた。
「そういえば、あそこで初めて会ったんだよな」
身を乗り出してマンションの前の公園を見ると、その表紙に酒の缶を落としそうになって慌てて掴み直す。
まだ半分も飲んでないけど、ちょっと酔いがまわってきたかもしれない。
下には花壇があるだけで落としても被害はでないけど、それでも気を付けないと。もったいないし。
「……、覚えてたの?」
「いや、忘れてた」
その記憶を思い出したのは愛が持ってきた傘を見たあと。
まあ、結局愛と初めて会ったあの日は帰ってから風邪をひいて、数日頭が朦朧としていたので忘れてたのは許してほしい。
「そういえば、あの時はこのマンションに住んでたんじゃないんだよな?」
「あの時は一軒家で暮らしてたんだけど、お母さんと二人だと広すぎるから結局引っ越すことになったの。それで来たのがこのマンション」
愛が入ってる部屋は俺の部屋とは間取りが違って、二人暮らし向けの部屋らしい。
「慰謝料は貰ったからお金にはあんまり困ってないんだけど、お母さんはあれから毎日遅くまで仕事してる」
だから優の部屋に来てもなにも言われないんだけどね、なんて寂しそうに愛が笑う。
その頬に触れて髪を撫でると、愛が少しだけ戸惑うような反応をして、それでも嫌がったりはしなかった。
短いけど柔らかいその髪を撫でていると、愛が心地良さそうに目を細める。
その間にもぱんっ、ぱんっと花火は上がり続けて、今度は俺が口を開く。
「俺は両親が子供の頃に離婚して、母親に引き取られた妹と父親に引き取られた俺でもう十年以上経つかな」
そのあと考えが合わなくて大学進学以来父親ともほとんど会ってないのは前にも言った通り。
母親と妹は遠くに引っ越して、会う機会はまったくない。
一応妹とは、飛んできたLINEを既読スルーして生存確認する、くらいの繋がりがあったりするけど。
「ってなんで髪を撫でる」
「ただのお返し」
そう言って笑う愛の指は柔らかくて、撫でられると心が落ち着く。
だけど同時に、心の柔らかい場所を慰められているような感覚になって、泣きそうになってしまう。
きっとこれはそう、アルコールが入って心が過敏になっているせい。
だから心の柔らかいところが溢れる前に顔をあげて口を開いた。
「花火綺麗だな」
「あたしとどっちが綺麗?」
「比べるようなもんじゃないだろ」
「えー、そこは『あの花火より、愛の方が100万倍綺麗だよ』って言ってくれないと」
「その似てない声真似はやめろ」
そもそも俺はそんなキャラじゃないだろと思うが、愛は不満そうに口を尖らせる。
まあ愛の顔が良いを否定する気はないし、リクエストされれば言うにもやぶさかじゃないけど。
あとそう、感謝もしているし。
「看病ありがとな」
あの時から、もう一度言おうと思って機会を逃していた感謝の言葉を伝えておく。
一応一回言った記憶があったけど、もう一度改めて言っておきたかった。
「優に感謝されるなんて意外」
「俺だって感謝くらいするわ」
「あはは、好きでやったことだし気にしなくていいよ」
「それに家事もな」
「それも好きでやってることだから」
最近は料理だけじゃなく、掃除や洗濯もちょくちょくやってくれていて、たまに鬱陶しいけど基本的には感謝してる。
あと愛はうちだけじゃなくて自分ちの家事も少しずつやってるらしい。
このままだと愛がいないと生きていけないダメ人間になりそうだなあと思ってみても、まあそれも悪くないかなとちょっとだけ思った。
「ねえ、優」
「どうした、愛」
「……、なんでもない」
「なんだよそれ」
声をかけてきた愛が、結局なにも言わずにおかしそうに笑う。
その様子に釣られて俺もちょっとだけ笑みをこぼした。
「なあ、愛」
「なに、優」
「あの花火よりも、お前の方が綺麗だぞ」
「……、ぷっ、あはははっ」
「笑うなよ」
「だって、突然すぎるんだもん」
折角リクエストに応えたのに、あんまりな反応に視線を花火に向ける。
まったく失礼なやつだ。
「でも、ありがと」
愛が笑いながら、でも嬉しそうに呟いて、こちらに一歩寄って肩が触れる。
その柔らかい感触とすぐ近くにある横顔に、顔が熱くなるのを感じた。
なぜだか嬉しそうにこちらを見る愛の視線を誤魔化すように視線を前に向ける。
それに合わせたかのように花火があがって、ぱんっと弾けて夜空に輝く。
今日一番の大きさの花火を眺めながら、横目で気付かれないように愛を見る。
花火に夢中なその顔は本当に幸せそうで、その気持ちがこちらまで伝わってくるようだった。
ああ、本当に、花火がとても綺麗だ。
◇◇◇
ふたりでずっとくだらないことを話していたら、いつの間にか花火大会は終わったようで、外にはセミの鳴き声だけが響いている。
「そろそろ中入るか」
言ってベランダの手すりに預けていた重心を持ち上げようとしたところで、肩に触れる愛の感触がふっと軽くなる。
それから愛の影がまた近寄って、頬に温かい感触が生まれた。
その感触に、愛の方を見ると悪戯した子供のように笑う。
「さっきのお礼」
「お礼じゃ仕方ないな」
なんのお礼なのかは正直どうでもよくて、今の感触のことが頭を廻っていた。
「俺もお礼していいか?」
「なんのお礼?」
「色々」
「色々じゃ、仕方ないね」
「だろ」
冗談に笑っていた愛がすっと目を閉じて、微かに顎をあげる。
その頬をそっと撫でて、顔をゆっくりと近付けていく。
そしてお互いの唇が触れた瞬間、周りの音が消えて、時間が止まったような錯覚を覚えた。
その唇はとても柔らかかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます