08.過去の出会い
あたしがベンチに腰掛けていると、ぽつりぽつりと雨が降ってきた。
空は厚い雲に覆われて、まだお昼過ぎなのに薄暗く、公園には誰もいない。
本格的に降りだした雨が頬を伝って流れ落ちても、その場を動く気にはなれなかった。
まるであたしの心の中のように、雨はどんどん強くなっていく。
自然と視線は下を向き、靴の爪先に焦点が固定される。
これからどうしよう。
そう考えても結局家に帰る以外に思い浮かばない自分が嫌になる。
それでも、今すぐにそうする気にはならなくて、結局こんなところで背中を丸めてて動けずにいた。
どれくらいそうしていただろうか。
ざあざあと鳴る音が不意に遠くなって、体に落ちる雨の感触が消える。
疑問に思って緩慢な動作で視線を上げると、傘を差した知らない男の人が立っていた。
「迷子、じゃないよな。家出か?」
投げかけられた声を無視して再び視線を下げる。
今は知らない相手と喋る気になれなかった。
ばりばりと傘に雨がぶつかる音が聞こ続けて、そのまま帰るかと思った無視した相手は、なぜかベンチの隣に座る。
重量に微かに沈むベンチを感じて、お互いに肩が触れないような距離なのになぜか雨がかからないことを疑問に思い、気付かれないように横を覗くと、隣の男の人があたしの頭の上に傘をさしていた。
ベンチに真っ直ぐ座って視線もそちらに固定して、こちらを気にする様子もなく、なぜか傘だけ寄越して佇んでいる。
そのせいで自分は傘に入れず雨に打たれているのはなんのつもりだろうか。
無視していても居なくなる気配がないその男が、どうしても気になって、結局声をかけてしまった。
「いつまで居るの?」
「せめてこの傘を受け取ってくれれば今すぐでも帰れるんだが」
「いらない」
「だよなぁ」
御互い視線を合わせず、そんなやり取りをしてまた無言の時間が流れる。
その様子を不思議に思っても、どうして帰らないの?と聞く気にはなれず、別の言葉が口をつく。
「おじさん、近くの人?」
「すぐそこのマンションに住んでる。あとお兄さんな」
視線で差した先は本当に公園の目の前で、ここからベランダまでちょっと声を張れば会話できそうなくらい近い。
「何歳?」
「20(ハタチ)」
「やっぱりおじさんじゃん」
「うるせえよ。お前は?」
「14」
「まだ子供だな」
「6つしか違わないでしょ」
子供と言われてつい反論してしまう。
実際にひとりじゃなにも出来ない子供だから、尚更その言葉を無視出来なかった。
「まあ歳はどうでもいいんだが、こんなところで座ってると風邪ひくぞ」
「関係ないでしょ……」
「たしかに実際、全く関係はないけどな」
関係ないどころか、通報されたら逮捕されてもおかしくない不審者だ。
「あたしのことは放っておいて、勝手に帰れば」
「放って帰ったら気になって、映画見ても楽しめねえんだよ」
「なにそれ」
俺は気持ちよく今日の金ローを見てえんだ、と言われて呆れてしまう。
そんな理由で無言で雨に打たれているなんて馬鹿みたい。
もし風邪をひいたら映画を見るどころじゃないだろうし。
そんな男の言い分のおかしさに口をつぐむ。
相変わらず雨はざあざあと降っていて、直接打たれていないあたしでも肌寒さを覚える。
雨音だけが聞こえる長い長い沈黙に、結局また自分から言葉をかけた。
「なにも聞かないんだね」
「話したいなら聞くけど、励ましの言葉とかは期待するなよ。そういうの苦手だからな」
(でも、一緒に居てくれるんだ。)
その突き放したような口調が、なぜだか今は心地良い。
だからだろうか。
一言ずつ、ポツリ、ポツリと気持ちをつぶやいていく。
「お母さんとお父さんが、離婚することになったの」
きっかけは三ヶ月前のこと。
お父さんが浮気していたことがわかった。
そのことに怒るお母さんへ、お父さんも言い返して口論になり、結局お父さんが家を出ていった。
それからお父さんとは一度も会っていない。
お母さんは前からしていた仕事を続けていて、家にいる時はため息をついて暗い顔をしていることが増えた。
普通の生活が壊れるのは一瞬で、もう元には戻らない。
時間が過ぎてあたしがそのことを忘れようとしても、周りがそれを許してくれなかった。
お父さんが家を出て行って三ヶ月。
どこから聞いたのか、そのことを知った周りの人からかわいそう、かわいそうと言われ続けてきた。
親戚から、同級生から、教師から、直接言われない時もそういう視線を向けられる。
周囲から、かわいそうという目で見られ続けるのはとても煩わしくて、鬱陶しい。
まるであたしが立ち直るために忘れようとしても、かわいそうであることを強制されているようで。
父親がいない家庭は、幸せになってはいけないんだろうか、なんて考えてしまう。
夜、布団の中で目を瞑っても、そんな考えが頭から消えずに、外が明るくなるまで眠れなずにいた。
だから、なにも言わずにただ隣りにいて、話を聞いてくれるこの人の存在が、少しだけありがたかった。
あたしのかわいそうを知らなくても、傘を差し出してくれるこの人に、少しだけ救われた気がした。
「聞いてくれてありがと。ちょっとだけ、すっきりした」
話を終えて顔を上げると、雨はちょっとだけ弱くなっていて、空を覆う雲の合間からも明るさが漏れる。
「家に帰れそうか?」
「うん」
「それじゃあこれ、持ってきな」
差し出された傘を見て、受け取っていいものだろうかと戸惑う。
「でも、お兄さんが濡れちゃうよ?」
「俺は家がすぐそこだから平気」
今更雨に濡れても変わらない、なんて話は抜きにしても、感謝している相手に更に何かしてもらうのは躊躇いがあった。
それでも、結局差し出された傘を受け取って、その時に触れた指の冷たさに申し訳なさと、もう一度感謝の気持ちを覚える。
「じゃあな、帰ったら風呂入って温まれよ」
「うん、ありがと!」
結局、見送るその人に手を振って、あたしは公園を後にした。
これが私と優の、最初の出会い。
優は忘れているくらい些細な出来事だったけど、私にとっては大切な思い出。
その日は夜になったらテレビで流れる映画を見て、そのあとぐっすり眠ることが出来た。
まあ、その数年後にまた、眠れなくなったりもしたんだけど。
結局、一度救われた私は、もう一度優に救われて、心に灯ったこの気持ちを我慢することが出来なかった。
最初は本当に強引で、変なやつだと思われただろうけど……。
これが私の、四年越しの片想い。
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