04.料理を作る

ピンピロリンとスマホが鳴って、画面を見る。

連絡してきた相手を確認してから画面のロックを外し、短く返信を打って、ベッドか這い降りた。

そのままゾンビのような挙動で玄関まで歩き鍵を開ける。

部屋に戻ってきて顔を洗い、ベッドに戻りたい誘惑に抗いながら、カーテンを少しだけ開けると外の光が目に刺さる。


「まだ外明るいじゃねえか……」


壁の時計の時刻は午後七時前。

既に日は沈んでるが、それでも西の空はまだオレンジ色に明るく、外を走る車も半分くらいはライトを点けていない。

日光を直接浴びるとHPに毎秒1%のスリップダメージを受ける身としては、こんなに早い時間に起きるのは久し振りだ。

本当はもう二、三時間寝たい気分だったが、我慢して歯を磨いてからパソコンのスリープを解除して椅子に腰掛ける。

それからしばらくネットを徘徊していると玄関の開く気配がして、半開きになっていた玄関に繋がるドアが微かに揺れた。


「おじゃましまーす」


声から少し遅れてドアから現れた愛は、ビニール袋を重そうに持っている。


「出迎えくらいしてよねー」

「荷物持ってるなら先にそう言えよ」


ちょっとしたらこっち来るとしか書いてなかったんだから、流石にそれで察して出迎えろというのは無理な注文だ。

ちなみに連絡先は、家のチャイムを連打しないのと交換条件で昨日教えさせられた。

いや、正確には愛が帰る前だから今日のお昼頃なんだけど、俺の感覚では昨日の話。


「それで、なんの荷物だ?」


結構重そうな袋が一つ。

白い不透明の袋はうっすらとしか中身が見えない。


「優、お腹空いてる?」

「ちょいペコかな」


食事は寝る前にしたきりなので、減ってはいるけど空腹に耐えられないほどじゃない。

具体的に言うと頑張ればカレー一皿くらいは食えるけど、腹の空き具合的には卵かけご飯を食ったらちょうどよく満足できるくらいだ。


「じゃあ、朝ごはん作ってあげる」

「食材なんて殆ど無いぞ」

「買ってきたから大丈夫」


愛が袋を床に下ろして中身をガサゴソと漁ると、キャベツが一玉現れた。

そりゃ重いわな。


「あとはいこれ、歯ブラシ」

「ちゃんと覚えてたんだな」


受け取った歯ブラシは確かに愛が使ったのと同じものだった。

正直ちゃんと返されるとは思ってなかったのでちょっと意外だ。

まあまだカレーの代金の方は返してもらってないけど、本音を言えば俺も一応社会人だしそれくらい別に返ってこなくても気にしない、なんて思ってることは本人には言わない。


「レシート持ってるか?」

「あー、捨ててきちゃった」

「じゃあ、今度からちゃんと持ってこいよ」

「お金、出してくれるの?」

「当たり前だろ」


答えると、なぜか愛がおかしそうに笑う。


「なんだかこの会話、恋人同士みたいだね」

「バカなこといってないで、冷蔵庫入れるぞ」


愛の隣に立って食材を仕舞うついでに、暗算で大体の金額を数えておく。


「なにか手伝うか?」

「大丈夫」


持参したエプロンを意気揚々と着けながら愛が答える。

ちなみにうちにエプロンなんて家庭的な物はないが、調理器具と調味料は最低限揃っているので簡単なものを作るには困らないだろう。

しかしよく考えると人によって最低限の調味料ってラインの幅広そうだな。

個人的には焼肉のたれが最低限の調味料のライン。

その下にはめんつゆ、味の素と並んでいる。

なんてことを考えながら椅子に座ってパソコンを弄ると、台所からダンッ!とすごい音が聞こえてきた。

驚いて顔を向けると、真っ二つにされたキャベツがだるまのように揺れている。

おそらく今のは包丁がまな板に叩きつけられた音だろう。


「やっぱり手伝うか……?」

「大丈夫」

「いやでも、切るのだけでも」

「だから、大丈夫だって」


正直任せるのは怖いんだが、いつになく頑なな愛にそれ以上言うのは諦める。


「わかった。でも、怪我しないように気を付けろよ」


言った俺に頷いて、硬い表情で料理を続ける愛を横目で観察していると、その視線が気になるのか余計に表情が硬くなっていく気もするが、それでも放ってはおけない。

愛の料理風景はかなり危なっかしくて、見てると段々ハラハラしてくる。

そんな状況がしばらく続くと、キッチンの上の戸棚へ愛の伸ばした手から皿がこぼれた。


「きゃっ」


パリンと皿の割れる音がして、小さい悲鳴が続く。

愛の足下には白いお皿だったものの破片が散らばっていて、もし足を動かしたら踏んで刺さりそうだ。


「チリトリ持ってくるから動くなよ」

「うん……」


申し訳なさそうに立ち竦む愛を気にしながら、近寄って先に大きな破片を集める。

幸い細かい破片は少ないので片付けるのはすぐ済みそうだなんて考えていると、不意に指に痛みが走った。


「いつっ」

「だ、大丈夫?」


見ると人差し指の腹にぷっくりと赤い血の玉が出来ている。

「平気」と返して指を拭い、ホウキとチリトリを持ってきて細かい破片を片付けていく。

割れた破片を袋にまとめて不燃ごみのゴミ箱に入れて、その間もずっと申し訳なさそうにしている愛に視線を向ける。


「怪我なかったか?」

「うん……」

「料理の経験は?」

「……中学校の授業でやったきり」


それでなんで急に料理を、なんて流石に言わない。


「ごめんね、迷惑かけて」

「まあそれはいいけど」

「包丁使うの下手くそだし、お皿割っちゃうし……」


確かに、まな板の上にある1/4玉ほど切られたキャベツの千切りは、厚さが不均一な上に1センチくらいあって上手とは言えない。


「やっぱり、やらなければよかった」


悲しそうな表情をしてエプロンの裾を握る愛を、そのまま抱き締める。

それに驚いて、愛が腕の中で暴れながら戸惑いの声を上げた。


「な、なに!?」

「自分のために料理を作ってくれる人がいるって、嬉しいなと思って。感謝の気持ち」


答えると、愛が暴れるのをやめて腕を下ろす。


「でも、上手く作れないし」

「誰でも最初から上手くできるわけがないんだから、気持ちだけで十分嬉しいよ」


これは俺の本当の気持ち。


「気持ちだけじゃ嫌なの」

「じゃあ、一緒に料理の勉強しよう。それでいつか、一人で作った手料理を食べさせてくれ」


最初から習わずに上手くできる人間なんていないんだから、一つずつ勉強して出来るようになっていけばいい。

今からじゃ遅すぎることなんてないんだから。

胸に顔が埋まった愛の表情は読めないが、それでも俺の言葉に納得してくれたようで声が響いた。


「うん……、わかった」


体を離した愛が頷く。

その表情はさっきまでよりも明るくなっていた。


「それで、なに作るんだ?」

「目玉焼きと、サラダと、……」


愛が並べていく献立の素材を冷蔵庫を覗きながら確認して、材料的にも俺の腕前と知識的にもそのまま作るのに問題は無さそうなので、準備をしてく。

まず包丁の握り方からひとつずつやっていこう。

説明しながら手本を見せてその後は愛の後ろに回ってやり方を教えていく。

教えた切り方をやりにくそうにしながら、それでも真剣な表情でキャベツを千切りにする様子を見て、俺が小さく笑うと愛が不思議そうにこちらを見上げる。


「こうして二人で料理してると恋人同士みたいだな」

「ばか」


罵倒して視線を戻す愛の顔は少しだけ赤くなっていた。

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