02.おじゃまします

自室に戻ってドアを開けると、エアコンの効いた部屋の空気に汗が引くのを感じる。

外との気温差で少し寒く感じてリモコンの温度を上げると、後ろから愛が顔を出す。


「エアコンつけっぱじゃん」

「ちょっと出掛けるくらいで切った方が電気代かかるだろ」


まあ一日に大体二十二時間くらい部屋にいるので、この時期はエアコン切ることがほぼないけど。

そのままPCの前の椅子に腰掛けると、テレビの前に座ると見せて開けたままのクローゼットを漁ろうとしたので声を掛ける。


「見てもなんも面白いもんないぞ」


言われた愛はクローゼットの上から下まで視線を流し、そのまま無言でソファーに戻った。

今更ながら、部屋に他人がいるという事実に違和感を覚えてなんだか落ち着かない。

どれくらい落ち着かないかと言われれば、冬に髪を短く切りすぎて外を歩いていると首筋がスースーする時くらい落ち着かない。


「そういえば、学校はいいのか?」


カレー屋から帰ってきて午後十一時ちょっと前。

明日ちゃんと学校に行くにはもうとっとと寝た方が良いくらいの時間だ。


「今は夏休み中だよ」

「あー、そんな時期か」


ジャンプとサンデーとマガジンを定期講読してるから曜日感覚は問題ないんだが、あまり外に出ないので世間の行事にはちょっと疎い。

それに大学ならともかく高校とかもう記憶もおぼろげだし。


「ニートだからってちょっとは世間のこと気にした方がいいと思うよ?」

「誰がニートだ、ちゃんと365日働いてるわ」

「えっ、こんな時間に生きてるのに?」

「こんな時間に働いている人もいるんだよ。警察官とか医者とかコンビニ店員とか」


なので深夜や昼にネットしてるからってニート扱いするのはやめていただきたい。いや、ほんとに。


「それで優はどんな仕事してるの?」

「秘密」


簡素に答えると愛が眉を潜めるが教える気はない。

というかそもそも個人情報をあまり喋りたくない。


「とにかくこれから仕事するから邪魔するなよ」

「それよりSwitchで対戦しようよ」


いつの間にか愛が電源を入れてコントローラーを握っている。

その画面に表示されているのは、ダウンロード版で購入した大乱闘でスマッシュするゲーム。


「俺の話聞いてたか?」


眉を歪めて、そのまま愛の手からコントローラーを奪い取った。


「プロコンは俺のだからな」

「そういうのは弱っちい人が使えばいいと思うよ」


と満面の笑みで煽られて、こちらもニコリと笑顔を作る。


「後悔するなよ」



◇◇◇



「楽しかったねー」

「そうだな」


途中ゲームをいくつか変えて対戦したが、思ったより良い勝負になって白熱してしまった。

というか、オフラインで誰かと遊ぶのはオンラインで遊ぶのとまた違って楽しいってことを久しぶりに思い出したわ。


「つーか遊びすぎたな」


時刻は只今午前二時。草木も眠る丑三つ時だ。


「今度こそ、仕事するから邪魔するなよ」

「そもそも優が勝手にコントローラー奪ったんだと思うんだけど」


という異論は無視して、PCに向かって腰を下ろす。

愛もスマホを弄り始めたのでそのまま放置して、モニターとにらめっこしたり、キーボードと格闘していると、しばらくの時間が経過する。

仕事を一段落して、キーボードから指離し、硬くなった肩をほぐす。

そのまま椅子を半回転させると、部屋を右から左まで見回しても愛が居ないことに気付いた。

いつの間にか帰ったのかと思いながら、玄関からの通路に続くドアを開けると、洗面所から水音が聞こえる。

この時点でもう部屋に戻ろうか迷いながら、それでも一応洗面所のドアを開け、中を覗く。

奥の風呂場に続く扉のアクリルの窓に浮かぶ人影とサーッと響くシャワーの音。

脱衣かごの中に洋服が畳んで重ねてある。

外からシャワーの音を聞くのは初めてだが、こうしてみると結構音が大きい。

声をかけてもきっと聞こえないだろう。

本当は、このまま待って文句を言う権利くらいはあると思うんだが、その場面を想像するととても面倒なことになりそうなので一回部屋に戻った。

椅子に戻って腰を下ろすと、ドアがちゃんと閉まっていなくて、洗面所の音が微かに響いてくる。

二度手間ながら腰を上げて、ドアをきちんと閉め直して、また座り直し、とりあえず愛が戻ってくるまで仕事するかとモニタに集中して、キーボードを叩いた。

……。

…………。

………………。


「黒かぁー……」



◇◇◇



「ただいまー」


戻ってきた愛に文句を言おうかと顔を向けて、そのまま逸らす。


「このシャツ大きすぎない?」

「人の勝手に使っといて文句言うなよ」


俺のシャツを着た愛が大きさを確かめるように両腕を横に広げると、シャツの袖が引っ張られ、裾が持ち上がっていく。

その下にはなにも履いていない、ように見えて、細い太ももが露出する。

率直に言って目の毒というか、目のやり場に困るのでどうにかしてほしい。


「下を履け下を」


直視するのを避けて抗議する俺を無視して、愛はソファーに腰を下ろす。

その表情が微かに笑っているように見えるのは気のせいだろうか。


「人の勝手に使うなって言われたし」

「微妙に台詞を改変するな」


勝手に使って文句を言うなとは言ったが、勝手に使うなとは言ってない。

まあ勝手に使っていいとも言ってないけど。

しかし男物だから今はギリギリ下が隠れてるけど、そのうち動いた拍子に見えそうで困る。

しかも上もうっすら下着が透けてて本当にどうかと思う。


「風呂も勝手に使うなよ、せめて先に言えと」

「言ったじゃん、聞いてなかったの?」


うっそだー。

集中してたとしても、流石に声をかけられ気付かないことはない、と思う。


「あとシャンプーの詰め替え用パックそのまま使うのはやめた方がいいと思う」

「うるせ」


いちいち買ってきて詰め替えるの面倒なんだよ。あと詰め替えパックの方が安いし。

言い訳をさせてもらうと、俺も独り暮らし始めた頃はちゃんとケースに容れてたんだが、誰に見られるわけでもないのに無駄な労力だと思ってしまったんだからしょうがない。

人は人に見られないと堕落していくものなんだなあと実感しながら、愛に忠告するのは諦めて、夜食に買っておいた串団子のパックを開けると、背後から人が近寄ってくる気配を感じる。


「私にも、ちょうだい?」


と後ろから手を伸ばされて、近付いた愛の髪からシャンプーの香りが届く。

いつも自分で使っている物のはずなのに、他人からすると意識してしまうのは何故なんだろう。

至近距離にある愛の横顔は風呂上がりで桜色に染まっていて、空気越しにその体温が感じられたかのように錯覚してしまう。

そんな俺の気持ちを知らずに、愛が美味しそうに串団子を口に運ぶ。


「やっぱりタレが一番美味しいね」

「宗教戦争になりそうな発言はやめろ」


タレ派と餡派と三色派で終わらない戦いのゴングが鳴りそう。

ちなみに俺はどれも好きだけど、コンビニで売ってるのが大抵タレだから食うのは基本タレ。

タレが溢れないように食べる愛を横目に見ながら、自分も一本完食して、残りの一本は手をつけずパックの蓋を閉めた。

そのままキッチンの戸棚にしまうと洗面所から愛の声が聞こえる。


「歯ブラシ借りるね」


予備の新品がいくつか置いてあるはずだから、おそらくそれを使うつもりだろう。


「ちゃんと買って返せよ」

「普通じゃなくて柔らかいのないー?」


聞けよ。



◇◇◇



「そろそろ寝ようかな」


洗面所から戻ってきた愛がそんなことを言う。

本気で泊まっていくのかという気持ちが半分、先に予想していたので諦めが半分、まあ素直に寝てれば迷惑でもないし別にいいか、と思っていると後ろから首に腕を回される。

椅子に座った俺に、後ろから腕を回されると、まるで抱きつかれているような格好に見えるだろう。


「優も一緒に寝る?」

「お前、押し倒されても文句言えないってわかってるか?」


そのまま振り向かずに、肩に当たる柔らかい感触を無視して答えると、愛が楽しそうにふふっ、と笑う。


「そしたら無理やり連れ込まれたって警察に行くもん」

「一緒に親しくカレー食った後でか?」


カップルが痴話喧嘩で警察呼ぶ事案も結構多くて、本当に事件なのか警察が判断に困ることがあると聞いたことがあるけど、この場合はどっちに判定されるんだろうか。


「でも、そんなことしないでしょ?」


まあしないけど。


「どうしてそう思うんだよ」

「だって、優のこと知ってるもん」

「マンションの下でちょっと話したくらいで?」

「それ以外も」

「それ以外ってなんだよ」

「秘密」


口調は冗談めいているけど、本気を感じて口を噤む。

誰にでもほいほい付いて行ってる訳じゃないなら一先ずはそれでいいか。

そも魔法使い予備軍の俺に無理やり押し倒すなんてハードル高いこと出来るわけないんだけど。


「優こそ、知らない相手を簡単に部屋に入れて不用心でしょ」


と首に回った腕に力が込められて、余計に体が密着する。


「突然後ろから襲われたらどうするの?」

「そのレベルで心配してたら道も歩けねえよ」


ちょっと話しただけの相手に襲われる確率と、道を歩いていたら車が突っ込んでくる確率ならどっちが上だろうか。

冷静に考えるとどっちも結構ありそう。


「そもそも動機がないだろ」

「えっ、本当に忘れちゃったの?」

「えぇ……」


本当に心当たりがない訳だが。


「さっきカレーのお金返せって……」

「745円で殺されてたまるかー!俺の命どんだけ安いんだよ!」

「あとこの前のジュースの分もあるし……」

「人の命を1000円札より軽い扱いするのはやめろっ」

「じゃあ1000円札じゃなくて500円玉2枚と天秤に掛けようか」

「やべえ、500円玉2枚の無敵感に敵う気がしねえわ……」


財布に入ってると1000円札一枚より500円玉2枚の方がなんか強そうなのなんだろうね、あれ。


「自分で言っといてなんだけど、それでいいの? 優の命」


と呆れ顔の愛から体を剥がし、椅子をくるりと回して向かい合う。


「まあどうせ、朝になったら追い出すしな」


寝る前に追い出せば用心としてはそれで十分だろう。


「え、聞いてないんだけど」


そりゃ言ってねえからな。

しかし、流石に他人が部屋にいる状態で無防備な寝顔を晒したくはないのだ。



◇◇◇



「電気消すか?」


ベッドに入った愛に聞くと、横になったままこちらを見上げて視線が重なる。


「いいの?」

「PC使う分にはどっちでもいいからな。モニタの明かりは我慢しろよ」


それにどうせもうしばらくしたら外も明るくなってくるし。

と心の中で言い訳して、照明の紐を引くと、薄暗くなった部屋で愛が微笑む。


「ありがと」


素直に感謝するなよ。

不意の感謝と綺麗な笑顔はちょっと刺激が強すぎて、俺は気付かれないように視線を逸らした。



◇◇◇



愛が寝てから壁に掛かった時計の短針が一周して、そろそろ眠くなってきたなと欠伸をする。

ソファーで寝てもいいんだけど、そうすると愛が起きた後が面倒くさそうなので我慢しつつ、それにしてもよく寝てるなとベッドに近付いて顔を覗く。


「んっ……」


俺の気配に気付いたのか、愛がうっすらとまぶたを開いて目を覚ます。

自分の格好を確認して、ベッドの傍らに立つ俺を見上げて口を開く。


「えっちなことした?」

「してねえよ」


そんなに心配なら人の部屋で十二時間も熟睡するなと。


「起こして」


とこちらに腕を伸ばす愛を見て考える。


「起こしてもいいけど、パンツ見えるぞ」

「ん、んん~……」


しばらく俊巡した愛が結局伸ばした腕を戻し、下着が見えないように気を付けながらベッドを降りたので、そのまま自分の洋服を着るように促す。


「じゃあそろそろ寝るから帰りな」

「こんな時間から?」

「昼に寝て夜に起きるんだよ」


まあもう午後四時で夕方ですが。

本当はもっと早く寝たかったという気持ちが伝わったのかはわからないが、愛が素直に帰り支度を始める。


「またねー」

「もう来なくていいぞ」


玄関で見送って、歯を磨いてからそろそろ寝るかとベッドを見ると、枕元に置いてあるものに気付いた。

あいつスマホ置いてってるじゃねえか……。

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