午後十時、カレーを食べに行く。女子高生と出会う。
あまかみ唯
01.カレーを食べる
カン、カン、カンと音を響かせながら階段を下りる。
夏の盛りのこの時期でも、首筋を撫でる夜の風は涼しくて心地いい。
あたりは民家の明かりも殆ど消えて、街灯のぼうっとした光が狭い範囲だけを照らしている。
郵便受けを覗き、何も届いていないのを確認してマンションを出ると、自販機の近くの縁石に座り込んだ人影がひとつ。
目が合うと自然な仕草で声をかけられた。
「おじさんじゃん、どっか行くの?」
「お兄さんな」
ショートカットの髪をふわりと揺らすその少女は、立ち上がってこちらを覗き混む。
年の頃はおそらく高校生くらい。
流れた髪の合間から、耳のピアスがチラリと見えた。
普通なら、こんな時間に遭遇したら不審に思うような年齢の相手だが、今日が初めてじゃないので自然に流す。
「これからカレー食いに行くとこ」
「こんな時間から!?」
今の時刻は午後十時過ぎ。
普通の生活をしている人間なら夕食はとっくに済ませている時間だろう。
「さっき起きたとこだし」
「寝起きにカレーもどうなの?」
その意見はもっともだが、個人的に平日夜中の閉店前に、空てる店内でゆっくり食事するのが好きなんだからしょうがない。
ちなみにこれはカレー屋に限らず外食全般の話。
近所のカレー屋が二十四時間営業してくれたら、あと数時間してから食いに行きたいけど、ラストオーダー十一時だし。
「一緒に行くか?」
「いや、行かないけど」
まあ俺も本気で誘ってないけど。
「じゃあな」
と小さく手を振ってその場を離れた。
◇◇◇
「んで、なんでついてくんの」
行かないと言いつつなぜかあとをついてくる少女に声を掛ける。
「私と一緒にいるの嫌?」
下から顔を覗き込んで聞いてくるその仕草が、客観的に見ればかわいいんだろうけどなんかムカつく。
「補導されても責任とらんぞ」
「その時は一人で逃げ切るから大丈夫」
いや無理だろ。走って逃げようとしたら即捕まる未来がありありと見える。
たまにこの先のコンビニの駐車場で、警察が職質してるけど今日は大丈夫だろうか。
「おじさんは何カレー食べるの?」
「お兄さんだって言ってるだろ」
俺はまだ二十四歳だ。
まあそもそも推定JKからしたら二十四はおっさんだろうとか言ってはいけない。
「じゃあ名前教えてよ。あたしは愛」
「優」
「優は何食べるの?」
呼び捨てかよ。まあいいけど。
いや、年下の顔は良いけど態度が悪い少女に呼び捨てされるって、むしろ悪くないかもしれない。
なんて言うと変態みたいなので口には出さないが。
「だいたいカツカレーかスクランブルエッグかな、その日の気分で。愛は?」
「ココイチなら野菜カレーかなー、ヘルシーだし」
「カレーの時点でヘルシーな要素ないだろ」
「うるさい」
「いてえ!」
と勢いで言っただけで痛くはないけど、足がもつれて転けそうになるからローキックはやめろ。
◇◇◇
「いらっしゃいませー、お二人様でよろしいですか?」
店に入ってすぐに店員さんの声が聞こえる。
いつも通り夜中の店内に客は一人もいなくて、バイトの店員さんの「こんな時間に来店してんじゃねーよ」って舌打ちが聞こえてきそうだ。
ちなみに金曜と土曜の夜は、この時間でも客がいたりするので、意図的に避けたりする。平日万歳。
「いや、一人で」
「え?」
俺の答えに戸惑う店員さんに、背後から顔を出した愛が声を掛ける。
「二人なんで、テーブル席でお願いします」
いや一緒に店に入ったのは気付いてたんだけどね、二人組とは言いたくなかった俺の気持ちも察してほしい。
そのまま案内されて愛の向かいに座った俺は、ゴーヤジュースを口一杯に含んだ時みたいな顔をしていたと思う。
「店員さん困らせちゃ駄目だよ?」
「困らせたのはお前だと思うけどな」
とはいえ、困らせてごめんなさい店員さん。
そのまま注文を済ませておしぼりの袋を破ると、愛がこちらに顔を向ける。
「優は彼女とかいないの?」
「いるように見えるか?」
「見えない」
「よくわかったな」
恋人がいた記憶なんてもうほとんど覚えていないくらい昔の話だ。
覚えていないというか思い出したくないって部分も多分にあるけど。
そういう愛はどうなんだ、と聞きかけて、やっぱりめんどくさくなってやめた。
そんなこと聞くような間柄でもないしな。
これまでに数回、マンションの下で会って話をしただけの関係だし。
愛に聞きたいことといえば、なんでこんな時間に外をうろついてるのか、親は心配しないのか、なんで俺に話しかけるのか、そもそも何歳なのか。
なんていくつか思い付くが、実際に聞いたら嫌な顔をされるか笑ってはぐらかされるか、想像がつかない類のものばっかりだった。
結局愛の質問にポツポツと答えていると、カレーが届いて会話が打ち切られる。
スパイスの匂いが食欲を刺激して、ソースのキャップを開けてカツの上にたっぷりとかける。
そのままスプーンで掬って運ぶと、白米と火傷しそうなくらい熱いカツの肉汁と、ソースの甘さ、カレールーの辛さ混ざりあって口の中に広がる。
その旨味に促されて、二口、三口とスプーンを運び、やっとそこで一息つきながら水を口に含む。
額を撫でると指先が汗で濡れて、それを
拭う、口に運ぶ、噛む、飲み込む、の流れを無言で反復し、結局皿を平らにした時には汗だくになっていた。
カレーに集中して、完全に意識の外においていた向かいの席を見ると、愛はまだ食べている途中でスプーンを動かしている。
俺のものより一回り小さいお皿に盛られたカレーは、さっき言っていたとおり野菜がトッピングされていて、あちらも美味そうだ。
カレーの具材、特にジャガイモあたりは結構人によって有り無しが別れる印象だが、愛は問題なく食べている。
個人的にもカレーに入ってるジャガイモ好きだけど。
野菜カレーじゃなくて、グランドマザーカレー通年販売にならねえかな。
なんて考えながら、愛が完食するのを待って伝票を確認する。
「それじゃあ帰るか」
そのまま席を起つと、愛が何かに気付いたように声をあげた。
「財布忘れた。お金貸して」
元から払う気なかっただろこいつ。会計別にして置いてってやろうか。
「店員さんに、迷惑かけちゃ駄目だよ?」
だから迷惑かけてるのはお前だろ、と思ったが、よく来るカレー屋の、しかもこんな時間の店員さんに一度の来店で二度も迷惑掛けるのは流石に気が引けたので、黙って財布を出した。
◇◇◇
帰り道、愛が機嫌良さそうに前を歩いている。
カレーを食べてかいた汗に、夜の風が気持ちいい。
他には誰もいない道を歩きながら、虫の鳴き声に夏を感じる、良い夜だ。
「カレー美味しかったねー」
最初に誘った時に行かないと言ったのはなんだったのか。
「ちゃんと金返せよ、あとこの前のジュースの分も」
「安心してよ。お礼はするから、ね?」
「いや、金返せよ」
ため息をついて、歩きながら愛のくだらない話に適当に返事を返す。
そのままマンションについて、階段を上り、部屋の鍵を開けて、振り返った。
首をかしげる愛に、今さらなんで着いてきたなんて聞きはしないが、確認しておかないといけないことがある。
「歳は?」
「十八歳」
「高校生?」
「うん」
「家出してるわけじゃないよな」
「うん」
「ならいいか」
「よしっ」
二十歳未満の家出少女を連れ込むのはアウトだけど、本人の言質もとったし一日くらいなら大丈夫かな。大丈夫かも。大丈夫だといいなぁ……。
「それじゃあ、おじゃましまーす」
「いらっしゃい、って若干言いたくねえなぁ。朝になったら帰れよ」
やれやれと思いつつも、少しだけ懐かしい気持ちになって、結局追い返す気にならなかった。
と言っても、素直に帰るならそもそも夜中にマンションの前を何度も
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