第5話 先輩
青年は俺の腕の応急措置をすると八重垣さんを抱え、ついて来るよう促した。
その時には、手元にあったはずの槍はもう既に無かった。
一度通った道のりを再び歩む。彼は終始無言だった。さっきの剣幕は一体なんだったのか。
そうして、洞窟へとたどり着きその奥にある家へと上がった。
上げられた部屋は薄暗く蝋燭とランプの火だけが寂しげに照らされていた。
机の上には大小、様々な石とそれを加工したであろう物達が散乱している。一体どんな研究をしているのだろうか。
「適当にすわっててくれ。その辺の物には触れるなよ」
そう言われ俺はそこのソファーへと腰を下ろした。
青年は八重垣さんを抱えるながら奥の部屋へと消えていった。
何故あいつは俺を殺そうとしたのだろうか。俺は頭を抱えた。この世界のためとはどういうことだ?それにあいつも俺の記憶喪失について知っていた。もしかしたらあの男はこの世界の秘密を知っているのかもしれない。この世界の住民でさえ知る由もない、何かを。
すると、ガチャと扉が開き奥から青年が出てきた。
「八重垣さんは…?」
俺は立ち上がって尋ねた。
「無事だ。直ぐに回復するだろう」
「良かった…」
力が抜け、ソファーに倒れ込む。
「あの、ありがとうございます」
青年は椅子に座り。
「ああ、間に合って良かったよ」
そう軽やかに答えた。
「それよりお前、腕は?」
そう聞かれて俺は改めて腕の状態を確認した。痛みは続くが、耐えられない程のものではない。
「もう大丈夫です」
そう言うと。
「敬語じゃなくていい。そういう堅苦しいのは嫌いだ。多分同い年位だろうしな」
青年は机の上を整理しながら言った。
「俺は
「俺は青だ。よろしく」
変わった名前だなと思いながら自己紹介をする。破魔と名乗った青年はあらかた整理を終えるとこちらを振り向いた。
「それにしても災難だったな、お前」
「…あいつは一体何なんだ?何で俺が?」
「知るか。あんな奴俺は知らん」
冷たくはね除けられる。
彼は知らないとそう言ったが俺はその言葉に違和感を感じずにはいられなかった。あの男に放った殺気。あれはどう考えても初対面に向けられるものではないはずだ。
「俺が知りたいことも、お前が本当に知りたいことも、それじゃあないだろ?ここまでわざわざやって来たってことは俺の情報をどこかしらで得たはずだ」
「………」
「俺が知りたいのはお前についての事だ。教えろ、お前がこの世界にやって来てお前自身が経験した事、そしてここに来た目的を。そうすればお前の知りたい事も教えてやれるようになる」
そう言われ、俺はこの2日間に起こったことを全て話した。記憶喪失のこと、今は八重垣さんの家に住まわせてもらっていること、自分と同じく地球から来た人間を探してここまで来たこと。一通り話すと、破魔は静かに「なるほどな」と呟いた。
「それじゃあお前に先輩である俺がアドバイスをしてやろう…」
一拍おいてその言葉は放たれた。
「記憶は諦めろ」
俺は言葉を失った。
「は?」
何を言っているのか分からなかった。
「何だよそれ、諦めろってどういうことだよ!」
「そのままの意味だ。もう諦めろ」
「何で!」
俺は必死だった。その為だけにここに来たのに、どうして───。
すると、破魔はゆっくりと口を開いた。
「実は俺も記憶を失っていたんだ。この世界で目を覚まし、いつしか全てを思い出した時の絶望は今でも鮮明に覚えている」
こいつも俺と同じだったのか。それじゃあなおさらどうして。
「必死に情報を集めた末、俺は取り戻したんだよ。最悪な記憶を」
最悪な、記憶?
「それがどうして、俺に諦めさせる事に繋がるんだ」
破魔は溜め息をついた。
「いいか、この世界には俺やお前以外にも地球から来た奴がいるのは知ってるな。」
俺は。彼は頷く
「そしてそいつらは皆同じように記憶を失っている。さらにそいつらに共通するのは全員が歪な過去を持っていたという事だ。分かるか?俺が言っていることが」
「ああ」
力無く頷く、彼の言う通りならばつまり。
「お前も俺と同じように抱えている可能性があるんだよ、そんな歪な過去をな」
その言葉には説得力があった。実際に体験して、絶望を味わったからこそ言える言葉だった。
だけど、それでも。
「それでも俺は、記憶を取り戻したい」
「お前、さっきの話を―」
「もちろん分かってる!」
破魔の言葉を乱暴に遮って俺は続ける。
「それでも、俺は知りたいんだ。俺が何者なのか!どうしてここにいるのか!そして、なんで俺が殺されなきゃならなかったのかを!歪な過去があったかもしれない!でも同時に、そんなこと無い可能性だってあるだろ!」
破魔は黙ったままだった。何も言わず、じっと俺の目を見ている。
すると突然奥の扉が開いた。
「どうしたんですか?青さん」
八重垣さんだった。何もなかったかのように平然と歩いている。
「もう大丈夫なんですか?」
「ええ傷もこの通り」
そう言って彼女は先程刺されたはずの腹部を見せた。たしかにそこには傷口どころか、その跡さえない。そんなことがあるのか?さらに言えば、彼女は刺された時も刀を抜かれた時も血が一滴たりとも出ていなかった。一体、彼女は何者なんだ。
「それよりあなたこそ腕は大丈夫なんですか?」
彼女はぐるぐる巻きにされた俺の腕を見て言った。
「ええ、運良く神経を避けていたようで。もう大分ましになりました」
本当は結構痛いけど。だが耐えられない程のものでは無いし、見栄を張りたくて俺はそう答えた。
「あなたはもっと自分を大事にしてください。一歩間違えれば死んでいたんですよ」
俺は顔を伏せた。不意に左腕が痛む。あまりにも無力だった事を俺は痛感した。
「それで?話は出来ましたか?」
八重垣さんが俺と破魔を交互に見る。しかし、破魔は俺と目を合わせると机の方を向いてしまった。なにやら作業を再開したようだ。
「はい、もう大丈夫です」
俺はそう答えた。諦めるしかないのか。
そうして、玄関へと向かうと、破魔が背中を向けながら声を掛けた。
「―もしも、本気で記憶を取り戻したいと思うのなら、明日また来い」
「え?」
意外だった。あんなにやめさせようとしていたのに。
「分かった。ありがとう破魔」
「ああ」
破魔は手をヒラヒラと振るとまた作業へと戻った。
洞窟を出て家へと戻る道中、俺の頭の中であの男が去り際に残したセリフが反芻していた。
死を、あんなにも鮮烈に感じ取った。八重垣さんと俺自身の死を。その恐怖が拭えきれない。
斬られた足の痛み、指先から体温が消えて行く感覚、心臓が血液を送ろうと必死に稼働するあの鼓動、圧、恐怖、絶望。数えきれない程の要素が俺を真っ暗な闇にの中に、引きずり込もうとしていた。
そうして、俺はその恐怖に耐えきれなくなり、臆面も無く逃げた。逃げたのだ───
帰り道、八重垣さんは何も言わなかった。その沈黙がより俺の不安を掻き立てる。
俺はどうするべきだったんだろうか…。
左腕をさする。
…きっとあの男はまた俺を殺しに来るだろう。だが直ぐじゃない。俺が破魔に接触したことで、あいつの計画は狂ったはずだ。奴の最後の言葉がそれを物語っていた。
なら俺が考えるべきはきっと『あの時』の事ではない。『これから』の事のはずだ。
考えよう。俺の記憶と未来の為に。
「こんな所で死んでたまるか…」
俺はボソリと吐き捨てた。
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