第4話 煙管
「なにがすぐだ、あのおっさん…」
もうかれこれ20分は歩いているのではなかろうか。まったく洞窟に着かない。実はもう通りすぎてたとかじゃないのか?
「おっさん呼ばわりは駄目ですよ。あの人ああみえて27歳なんですから」
「え…」
とてもそうは見えないと、懐疑的な目を向ける。
「さすがに失礼ですよ」
そんなやり取りをしていると左手の森に開けた道があった。だが見たところ洞窟はない。余程奥に家を作ったとみえる。俺と八重垣さんはそこを曲がって森に入った。
森に入ってすぐのところに、立派な髭生やした英国紳士を彷彿とさせる男が佇んでいた。男は杖をつき、
「あの人が例の人ですか?」
そう八重垣さんに聞いてみたが、彼女は黙って首を横に振った。男と目が合うや否や男は急に口を開いた。
「なぁ君たちもあの家に行くのか?」
そう尋ねてきた。とすると彼は元訪問者というわけだ。
「はい、貴方は何を?」
そう八重垣さんが聞くと男は煙を吐いて言った。
「ちょっと用事があってね。まぁ門前払いされてしまったがね」
そこに住んでいる例の人はよほど性格のきつい人なのだろうなと勝手に想像して不安になってしまう。
「ところで君たち。少し頼みたいことがあるんだが、今いいかね?」
とても優しそうな口調と目で尋ねるその男はきっと信用できるとは思うが、突然頼み事とは。今はなるべく早く記憶に関する情報を集めたいのに。
すると男は俺の方を向いて驚くべき発言をした。
「君の記憶にも関わることだよ」
男は俺の目を見てはっきりとそう言った。この時さっきまでは無かったはずの深淵が男の目の内にはあった。
なんだって?この男、どうして俺の記憶喪失について知っている。もしかして何か重大な事実をこの男は握っているのか?
俺は少しの間思案して八重垣さんの方を見た。彼女はそっと頷いて了解の意を示した。
「分かりました、引き受けます」
男は軽く会釈をして「ありがとう」と言った。とても礼儀正しい人である印象を受けた。
「ではちょっと付いてきてくれ。こっちの方にあったはずだ」
彼はそう言うと右手にある森の奥へと歩いて行った。そして俺と八重垣さんもそれに続いた。
どれだけ洞窟と離れただろうか。段々と草木が繁ってきた気がする。落ち葉や枯れ木で足元が不安定でどうも心許(こころもと)ない。
「あとどれ位ですか?」
八重垣さんが男にそう聞くと男は足を止めた。頼み事があるにしてはあまりにも変だ。ここの周辺には鬱蒼と生い茂る木々しかない。一体何をさせるつもりなのか。
「まぁこれ位で良いだろう」
すると彼は前を向きながら吸っていた
ほんの少しの静寂が訪れる。風に葉が揺れ、ざわざわと音を立てた。ふと、『カチッ』と不自然に音がした。
その次の瞬間、俺は真横に押し飛ばされた。
斜面だったこともあり俺の体は2m程転げ落ちた。
「痛ってぇ…」
突然の衝撃。訳など分かるはずもなく、一体何が起きたのかと顔を上げて自分が元居たであろう所を見ると。
そこには腹部を刀で刺された八重垣さんがいた。
全身の血の気が引いた気がした。時が止まった気さえした。目の前で起こったことを処理しようと頭をフル稼働させる。でも処理が追い付かずただフリーズするしかなかった。
「え、どうして、何で、こんな」
途切れ途切れに声が漏れる。心臓の鼓動は速まり呼吸も覚束なくなっていた。
そして俺は理解した。あの男が、刺したのだと。仕込み刀だった杖を俺目掛けて投げたのを八重垣さんが庇ったのだ。
整理されつつある頭の中である一つの単語が脳内を支配する。
死───────────
「八重垣さん!」
俺は大声で叫んで駆け寄ろうとした。すると顔面に衝撃が走り俺はまた吹き飛ばされた。男の蹴りは凄まじい威力を持っており体の内が軽く悲鳴をあげる。俺は再び斜面を転げ落ちたのち木に背中を打ち付けた。衝撃のあまり、呼吸が出来ない。
揺れる視界の中で男が八重垣さんに刺さった刀を抜いたのが見えた。八重垣さんが糸の切れた操り人形のようにその場に倒れる。俺はふらつく足で立ち上がろうと膝をついた。
その時、男は既に眼前に立っていた。
そして男は刀を振りかぶり、頭目掛けて振り下ろそうとした、が。
ドン!
大きな音が響き小さな爆発が起こり、刀は弾かれた。すると後ろには這いつくばってこちらに手を向ける八重垣さんがいた。良かったと、少し安堵する。
「しぶとい奴だ」
男がそちらに気を取られている隙に、俺はふらつく足で立ち上がり逃走を図った。
逃げないと!でないと殺される!誰か、師匠でも誰でもいい───助けを呼ばないと!
「何処へ行くつもりだ?」
脚に冷たく、鋭い痛みが、直線的に走る。
「アァァァっっ!」
「命の恩人を置いて逃げようとは…。その生への執着、なんとも醜い。記憶は消えても本質は変わらぬか」
痛い…!嫌だ…!死にたくない…!
後退るようにして俺は少しずつ距離を取っていく。
男は先程落とした刀を拾い上げると、後ろを振り返った。そちらをみるとこれまでに無く感情的な顔をした八重垣さんと、その周りに浮遊する複数の光弾があった。
「一体…何のつもりですか」
八重垣さんがゆっくりとした口調で話しかける。
「見ての通りだ、こいつを殺す」
「何故!」
「答える必要は無い」
「そんなこと、させない!」
その言葉を皮切りに光弾が一斉に男を襲った。しかし、その光弾を男は刀と
「くっ!」
八重垣さんはさらに多くの光弾を生み出したが、突然ガクッと、力を失ったように倒れてしまった。
「なん、で?」
男は振り返るとこちらに歩いてきた。もう彼女のことは眼中にないかのように。向こうで必死にもがいている八重垣さんが目に入る。自分が情けなくて仕方がない。歯を食い縛り拳を握りしめる。男と目が合う。
「何故...俺なんだ」
当然の疑問を投げ掛ける。男は俺を見下してながら言った。さながら死神のように冷徹で残酷な目で。
「死に行くお前にそれを言う必要があるか?」
意味が分からない。それはお前の都合だろうが。何で急に知らない場所で目覚めて、記憶も失って、挙げ句の果てに殺されなきゃならないんだ。
「ふざけるな…」
「ふざけてなどいないさ」
そう言うと男は俺の心臓目掛けて突きを繰り出した。
俺はそれを左腕をかざして受ける。肉を貫き通る感覚が脳を激しく叩き付ける。だが痛みも苦しみもほとんど感じなかった。ただ死にたくない、殺されてたまるかと、
「うああぁぁァァァァ!!」
男は一瞬驚いたような顔をしたが直ぐに元の仏頂面に戻り突きにさらに力を入れた。
俺は腕ごと心臓を貫かんとするその突きを、腕を左側にそらして突きを躱し、立ち上がりながら男に接近する。
肉を抉る感覚が次第に大きくなり、激痛で今にも意識が飛んでしまいそうだ。
だがそんなことはもうどでも良かった。
そのままの勢いを俺は右手の拳に乗せ、精一杯の力でぶん殴った。男は完全に不意を突かれ、それをもろに顔面に食らっていた。男は後方に退く。俺はさらに逃しはしまいと、腕に刺さった刀を抜いた。
「ぐぅっ…ああ!」
乱暴に抜いたせいで、出血と腕の痛みが酷くなったが関係ない。
憎悪と怒りが俺の中で肥大化する。
こんな理不尽に奪われてたまるか!
俺は刀を振りかぶり男に斬りかかった。
「お前が、死ね!」
俺の渾身の一撃を男は冷静に俺の右手を掴んで受け止めた。鞘をその辺に放り投げ、俺の腹に空いた右手による打撃が入る。
「あがっ!」
信じられない力だった。拳が鉄塊かのようだ。
俺は後方に吹き飛ばされ、うずくまった。
刀を取られ、左腕が上がらなくなり、体の自由が効かない、まさに絶望的な状況だった。
「やはりここで殺しておいて正解だったな」
男は口元の血を拭ってそう呟いた。
ちくしょう!ちくしょう!イヤだ!こんな!こんなところで死ぬなんて!死にたくない!
まだ────────死にたくない
悔しさで手に血が滲む。
そして、死を迎えるはずたったその時…
前方で「キィン」と甲高い音がした。
俺はゆっくりと顔を上げると、振り下ろされたはずの刀は一本の棒、いや、槍にその動きを殺されていた。
槍は刀をそのまま弾き、俺と男の間に出来た空間に何かがやって来た。
そこには知らない背中があった。
青年だろうか。俺と同じ位の背丈の天然パーマのその青年は槍で男の刃を受けていた。すると、横薙ぎを放ち男を追いやると、再び槍を構えた。
「残念だったな」
青年はそう言い放つと、男の視線が鋭くなった。眉間の皺が一層深くなる。
「貴様…何故邪魔をする!」
「なに、ただの気まぐれだ。深い意味はねぇよ」
「情でも湧いたか!」
「いいや全く?言ったろ、ただの気まぐれだと」
男は刀を構えて接近する。一歩二歩と近づいてくるのに対し青年は臆することなくゆっくりと槍で狙いを定めている。そして男が走りだすのとほぼ同時に青年は刺突を繰り出した。しかし、二人の距離は槍の
だが、俺は見た。その槍の先端が一つから二つ、二つから三つ、四つ、五つ、と分裂し最終的に十程の槍となったのだ。
そしてその槍は彼の腕が伸びきると同時に伸張し、青年の前方広範囲にわたって破壊をもたらした。
それはさながら砲撃のようだった。
煙管の男はとっさに刀で受けながら身を退いたことで、軽傷を負いながらもその危機を回避した。
俺は夢でも見ているのだろうか…。
「去れ、さもなくば、殺す」
槍を再び構え、青年は言う。威圧的な青年のその声は本物の殺気を含んでいた。
さらに男の後ろでは八重垣さんがふらつく足で立っており、2対1の状況が生み出されていた。
「まぁいい」
男は仕込み刀をしまい、杖へと戻し溜め息混じりに言った。
そして、男は俺の方へと視線を向ける。
「所詮は只の臆病者。いずれ殺せる。それに、私が直接手を下さずとも君は直ぐにこの世界の、そして君自身の闇に呑まれることになる。そう予言しておこう」
「どういう…意味…だ!」
腹を抱えながら俺は問う。だが男は答えなかった。変わりに背を向け杖をついて去って行った。
「また会おう。精々頑張って醜くく生き給え」
去り際にそう呟いて。
そうして、突然の戦闘は幕を下ろした。いくつもの謎と傷だけを残して。
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