第55話 笑顔

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巫覡ふげきの力だと……」


 二番ツヴァイの三日月を描くような斬撃が、ヨゼフィーヌの首元に吸い込まれるも、命中する直前に彼女の鉄扇によって受け止められた。


「知らずに使っていたのか? 血筋か、環境か、たまに居るんだよ。人間離れした力に目覚めるヤツが。伝説では、千里先を見通す者や、過去や未来、〝異なる歴史を辿った並行世界〟をる者だっていたらしい」


 二番ツヴァイはヨゼフィーヌの解説に応えず、沈黙を守ったまま毒の入ったガラス瓶を投げつけ、鋼糸を繰り、長剣で鋭い突きを繰り出した。


「近年では、マラヤディヴァで暴挙に及んだ悪徳貴族の恋人がそうだったのではないか、と言われている。ああ、もう一人有名なヤツが居たな。テロリスト団体〝赤い導家士どうけし〟のロジオン・ドロフェーエフ。お前がイシディアで殺した男は……、やたらと死に難い異能に目覚めていたらしい」


 ヨゼフィーヌは軽口でも叩くように説明を交えながら、毒瓶を風で吹き飛ばし、鋼糸をキメラの爪で寸断、渾身の突きを避けつつ、二番ツヴァイのドテっ腹を鉄扇で殴りつけた。


「ロジオンは、我々にとっても目障りな敵だった。なあ、二番ツヴァイ。本当にアノ男を殺せたのか?」

「……あのクソヤロウの片目を抉って、致命傷を与えた。仮に生きていたら、何度だって殺すまでだ。教官、アンタと同じようにっ」


 二番ツヴァイは吹き飛ばされながらも、大きく口を開けて叫んだ。


「今だ、やれっ」

「おっけい、ダーリン」


 三番ドライが大樹から飛び出し、無数の弩やナイフを鋼糸で操って三六〇度前方から射撃を加えた。

 二番ツヴァイは鋼糸を繰って木の幹にしがみつき、安堵の息を吐いた。


「よし、やったか!」

「これなら、いくら教官だってっ」


 頬を緩めた二人の前で、ハリネズミのようになった教官の身体から、刃と矢がボロボロと落ちてゆく。


二番ツヴァイ三番ドライ。……今のは惜しかった。先に言っただろう? 非力だと。並の武器では届かぬよ」


 人間と契約神器が一体となった〝融合体〟は、軍勢すらも踏み潰し、世を滅ぼしかねないとされる怪物なのだ。

 武器数を揃えるだけで勝てるのなら、それほどの脅威とされるはずがない。


「くそっ」

「くやしいな」


 二番ツヴァイ三番ドライを庇ったものの、ヨゼフィーヌの風刃が直撃して、赤い血が舞った。


「さあ、続けよう。窮鼠きゅうそが虎に勝てるのか、見せてくれ」


 結局のところ、後は同じ攻防の繰り返しだった。

 殺戮人形の姉弟達には、ヨゼフィーヌに勝利するすべがない。

 第三位級契約神器カーリとひとつになった〝融合体〟。

 人間に過ぎないロゼット達との、絶対たる力の差がここにあった。


「存外につまらない幕引きだったな」


 全滅した殺戮人形の姉弟を空から見下ろしながら、ヨゼフィーヌがつまらなそうに吐き捨てた。


(ああ)


 地に伏したロゼットの胸がしめつけられる。

 それは、昨日、二〇番ツヴァンツイヒに救われたときと同じ痛みだった。

 けれど、違う。

 今は違う。


「教官、勝負はまだ着いていません。ワタシ達は、ここにいます。オモイとチカラのすべてがここに」


 ロゼットは再び立ち上がった。

 まったいらな胸を、堂々と張る。

 違う、違うと、倒れた皆が心で叫んでいる。


(負けたくない。負けられない。ここで諦めたら、あのひとを振り向かせることなんてできやしない)


 肉体も動く。生きるのだと、生きて本気を見せ付けてやると、心臓が脈打つ。

 

「ヨゼフィーヌ教官、貴女は強い。けれど、たった一人で、ひとつとなったワタシ達の意思をねじふせられると思わないで」

「興ざめだ。まだ、まだと鬱陶うっとうしい。諦めなければどうだというのだ? 奇跡が起こり、この状況が覆るとでも? 断言しよう。お前はそんな英雄の器では無い」

「ワタシは、みんなの、おねえちゃんだっ!」


 ロゼットは走った。

 弟妹達がかけてくれた援護魔法が、瀕死の肉体に力を与えてくれる。

 奇跡なんて必要ない。

 恐るべき、誇るべき、師に打ち勝つのは、そんなものではない。


「たああああっ!」

 

 ロゼットの槌に光が収束し、雷となって彼女の全身を包んだ。


虚仮威こけおどしも、いいかげんにしろっ」


 ヨゼフィーヌが魔法陣を描き、魔弾を撃ちはなち、ブレスを吐き、風の刃で爆撃する。

 ロゼットは半ばコマ送りのように消えながら、光の弾丸を避け、暴虐の吐息を乗り越え、風の刃を槌で殴りつけた。

 閃光と竜巻が、空を舞う。

 ロゼットは弟妹達のあらゆる援護を受けた。

 それでも、攻撃も防御も速度も、何もかもがヨゼフィーヌには届かなかった。


 ――本当に?

 

 ロゼットは大樹から跳躍して空を舞い、ヨゼフィーヌの下半身たるキメラにしがみつきながら上半身の教官に白兵戦を挑む。

 五番、一二番、二番、三番、すべての弟妹たちがヨゼフィーヌに与え続けたわずかな傷、疲労の蓄積が……無理と無茶を可能にしていた。

 ロゼットの頬が蛇にちぎられて裂け、鼻を爪がかすめて血がふきだし、青い瞳から涙がとめどなく流れる。

 エメラルド色だったはずの彼女の瞳は――青く輝いていた。


「目が青いだと? この土壇場でワケのわからぬ力に目覚めたか。だが、そんなものでは――!」


 そう、ロゼット達のあらゆる武器も攻撃も、ヨゼフィーヌに通じない。

 ただひとつ。末妹たる二〇番ツヴァンツイヒ、イスカを除いては。


「イスカ・ライプニッツ・ゲレーゲンハイト。あなたの牙は、ワタシ達姉兄が届かせる。くそったれの運命に、のろわれた世界に、風穴を空けなさい!」

「わかった。おねえちゃんっ!」


 正真正銘、最後の切り札として、雌伏を命じていた末妹が起き上がり、長銃の狙いを定める。

 ロゼットの猛攻は、確かにヨゼフィーヌを足止めすることに成功していた。


「いっけえええっ」


 そして、今、イスカが残された最後の力を解き放つ。


「風は万物を呑みほし、食らうものなりっ。術式――〝風王ふうおう〟――起動!」


 イスカが放った二発の弾丸と、ヨゼフィーヌの生み出した竜巻が衝突する。

 荒れ狂う暴風は盾となって、二発の脅威を切り刻み、磨り潰し、破壊する。


「おねえちゃんをまもるんだっ。術式――〝鎮魂歌レクイエム〟――起動!」


 その衝突がこじ開けたわずかなチャンスを、三発目の弾丸が貫いた。


「この程度でっ」

「いいえ、教官。これで、最後ですわ」


 ヨゼフィーヌが対抗策を打ち出そうとしたまさにその瞬間、ロゼットが背後から鋼糸を投げて自らの身体ごとヨゼフィーヌを縛り付けた。

 風の音が止み、轟音が響き渡った。


「うそ、でしょう?」


 イスカの弾丸は、教官の下半身たるキメラに大きな穴を空けた。

 しかし、ヨゼフィーヌは神器たる鉄扇を用いて、最後の弾丸すらも受け止めていた。


「なあ、一番アインス。聞かせてくれないか? 二〇番ツヴァンツイヒは、お前にとって欲しかった場所を奪った女だろう? なぜあの子を守るために戦った?」


 恩人の娘だから? 最強の武器の主だから? それとも……?


「だって、ワタシは、あの子のことが好きですから」


 それは、友情かもしれないし、姉が妹に抱くような感情かもしれない。

 そんなシンプルな感情こそが、ロゼットが命をかけた理由。


「合格だ。あとは好きに生きるといい」


 ロゼットがこれまで見たことのない澄んだ笑顔で、教官は彼女を振り返った。


「私は良い師ではなかったが、お前たちのことは嫌いでは無かったよ」


 ヨゼフィーヌは鋼糸を裂くと、トンと、ロゼットを後方へ押し出した。

 鉄扇が砕け、キメラが爆ぜる。―――乾いた、氷の割れる音が響いた。

 それが、ヨゼフィーヌ・Ⅳ・ギーゼギングの最期だった。

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