第53話 守護と約束

53


 二〇番ツヴァンツイヒこと、イスカ・ライプニッツ・ゲレーゲンハイトは、ニーダルのことを思い出す。

 今日から父親になってやる。そう宣言した彼は娘になった彼女にありったけの愛情を注いでくれた。

 イスカはそれが嬉しくて、幸せで、応えたいと思って、いつしか気づいてしまった。


 ニーダルが呪いとのせめぎ合いで、瀬戸際の崖っぷちに立っていることを。

 イスカが口ずさむ、地球いかいうたもそうだ。

 ガチョウのおかあさん、を意味する童謡マザーグースの数々は、父がムラサキなる人物から教えて貰ったのだという。

 

『パパ。ムラサキセンパイって、おもしろいひとね』

『……イスカ。誰だい、そいつは?』


 父は、先ほどまで口にした人名をすっかり忘れていた。

 アカエダ。カリヤ。ミドリ。ソラ。クロード、ムラサキ。

 ……これらの名前が出た後、ニーダルは必ず忘れていた。


 呪いの影響は記憶だけに留まらない。

 イスカは父が遺跡探索に出かけて、留守番を約束したあと、一度だけ様子を見に行ったことがあった。

 ニーダルは、まるで別人のようだった。

 手足が動かなくなっていた。目が見えなくなっていた。耳が聞こえなくなっていた。

 それでも四つんばいで獣のように走り、破壊衝動に駆られるがままに遺跡のモンスターを八つ裂きにし、あるいは破滅を望むかの如く罠にわざとひっかかった。

 イスカは助けようと飛び出して、本気で怒ったニーダルに頬をぶたれた。


『約束を破るのはいけないよ』


 父は殴ったことをわびて、イスカを優しく抱きしめてくれた。

 初めて知った。

 気合い、根性、魂、男のロマン。

 ニーダルはそんなよくわからないものを総動員して、娘の前だけは――人間であること――を貫いていたのだ。

 そのせいだろうか。ニーダルは、この世で誰よりも彼自身ニーダルを警戒し、憎悪していた。いずれ呪いに取り込まれ、娘を危ぶむのではないかと怖れていた。

 だから、別れは必然だったのだろう。

 ある日、夕食でこんなことを尋ねられた。


『イスカは、お姉ちゃんたちのことが好きか?』

『うん、すきっ』

『そうか。家族はいいものだからな』


 あの時、イスカは知らずトリガーを引いていたのだ。

 父は信じられない自分よりも、娘が好いた家族の元へ返すと決めたらしい。

 そのことに悔いはない。

 だって、ずっと前から決めていたのだ。

 イスカがニーダルと初めてダンジョンを探索した時、ひとつの古びた契約神器を見つけ出した。


『イスカ、これはお前の取り分だ。第六位級契約神器エルヴンボウ……にまで弱っちまってるけどな、本当の名前は第三位級契約神器ベルゲルミル。かつて、黒衣の魔女の側近が使ったっていう業物だ。こいつを使えば――俺だって殺せる。その為の技を教える。だから、俺が呪いに取り込まれたときは、ためらわずに撃て』


 その日、イスカは決めた。

 この約束だけは絶対に破ると。強くなって、大きくなって、呪いから父を解放するのだと。

 そして――。


「パパと、おねえちゃんと、おにいちゃんと、家族みんなでくらすんだ!」


 イスカは吼える。

 彼女に出来ることは、最初から父親を信じることだけだ。

 それだけの強さと想いと武器を……与えてくれた。


「我らがその願いを叶えてやろう。もう眠れっ」


 ヨゼフィーヌ教官が変じた融合体。

 半人半獣のキメラが魔法陣から撃ち出してくる機関砲めいた魔法の弾丸を、イスカは、足さばきだけですべてかわした。


「……あり、えない」

「ぜったいに、まもるっ」


 イスカは、中空に足場となる魔法陣を呼び出して跳躍する。

 神器から力を引き出せば、空を翔ることは出来なくても、亜音速の移動だけならば可能だ。


(でも、もう弾丸がない)


 残弾は尽き果てて、もはや召喚も叶わない。

 弾倉に残るはわずかに五発。

 ここで決着をつけなければ、皆を、姉兄を守れない。

 ゆえに狙うは接近戦だ。

 イスカは、魔法で作った足場を驚異的速度で蹴り飛ばしながら、閃光の弾幕を回避して飛翔する。


「ありえない、こんな力を第六位級契約神器が引き出せるはずが無い。ドクトル・ヤーコブめ、あやつ知っていて謀ったか!」


 イスカは、ヨゼフィーヌが鉄扇から繰り出う風刃をかわし、風弾や閃光弾を避け、ついには彼女よりも高い位置まで駆け上がった。


「うちぬくっ」


 狙うは、キメラの左右の翼だ。

 ヨゼフィーヌが障壁を張ったのか、荒れ狂う暴風が盾となって立ちはだかった。

 二発の弾丸は切り刻まれ、磨り潰され、塵となって消えた。


(かまわない。さいしょからっ)


 けれど、障壁だっていつまでも張れるわけじゃない。

 風の勢いが弱まった瞬間、イスカは銃口に銃剣を装着、落下速度を利用して急降下した。


「これでっ」


 イスカが繰り出した氷をまとった銃剣は、ヨゼフィーヌの風を帯びた鉄扇によって阻まれていた。


「惜しかったな。単純な、出力の差だ。人間おまえでは、〝融合体わたし〟に及ばぬよ」


 ヨゼフィーヌ・Ⅳ・ギーゼキングの整った能面のような顔に、憐れみの影が射した。

 そうして、トドメとなる一撃が放たれようとした瞬間、雷をまとった槌がキメラのどてっ腹に投げつけられた。


「なぜだ。何故、お前達が動いているっ?」

「おねえちゃんっ」

「助けに来ましたわよ。二〇番ツヴァンツイヒ!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る