第638話 兄と弟
旧王都の拠点に戻った翌朝は、雲一つない晴天だった。
そろそろ雨季の足音が聞こえてくる時期の晴天となれば、やる事は洗濯と決まっている。
もぞもぞと起きだした兄貴をお布団から引き剝がし、シーツや布団カバーも洗濯に出す。
お布団は屋根の上に広げて、お日様に当ててふかふかにする。
「兄貴、着てる服も脱いで。洗っちゃうから」
「う、うん……俺は、どうやって帰ってきたんだ?」
「その話は後でね、今は洗濯優先だから」
「分かった」
空属性魔法で作った洗濯機に、遠征で使っていた服や兄貴の着ていた服を放り込んで洗濯開始。
撹拌の魔法陣で水流を作り、石鹸を溶かしてやれば、後は見ているだけだ。
「ニャンゴ、あたしのもお願いね」
「私のも……」
「みゃっ、レイラ、シューレ……ミリアムまでかよ!」
お風呂場で洗濯機を回していると、女性陣がやってきて洗濯物をドサドサと置いていった。
まったく、楽できるからって下着まで置いていくかね。
洗った物は外に干そうかと思っていたが、これだけの量となると干すのも面倒なので、空属性魔法で乾燥機を作って放り込む。
風の魔法陣と温熱の魔法陣を組み合わせた温風で、洗濯開始から一時間も掛からずに乾燥まで終わらせた。
「ふぅ、乾燥までは終わったから、仕分けと畳むのは自分達でやってね」
「ありがとう、ニャンゴ。やっぱり出来る男は違うわね」
レイラにキスされたけど、利用されている感がハンパない……けど、それを表に出さないのが出来る男……なのかなぁ。
チャリオットでは珍しくない光景だけど、クーナは目を丸くしていた。
「エ、エルメール卿が洗濯をなさっていらっしゃるんですか?」
「いつもじゃないよ。今日は遠征帰りで洗濯物が多かったからだよ」
「それにしても……」
「ふふん、ニャンゴは超有能……」
いやいや、シューレが胸を張るところじゃないからね。
「あぁ、お腹すいた……朝食はどうする?」
兄貴とガドを除いた全員で遠征に出向いていたので、拠点の冷蔵庫は空っぽだ。
「ニャンゴ、美味しいクルミパンを売ってるパン屋があるから、そこでパンを買ってこよう」
「みゃっ、クルミパン、いいね」
俺と兄貴がパンを買いに行ってる間に、レイラたちが他の食材を仕入れに行くことになった。
クルミパンの店は、拠点から地下道の工事現場に向かう途中にあるそうだ。
「ガドに言われて毎日違う道で現場に向かってるんだ。同じ道ばかりでは飽きるし、街の情報を見落としてしまうんだって」
兄貴と一緒に地下道の現場で作業をしているが、ガドはやっぱり冒険者としての意識が強いようだ。
毎日違った道を歩くことで、街の移り変わりや人々の噂話などを見聞きしているらしい。
現場までも、兄貴とガドは別々に行動しているそうで、帰り道にその日見つけた物をお互いに話しているそうだ。
クルミパンの店も、そうした朝の探検の中で見つけたそうだ。
「こっちこっち、この先を曲がったところ」
「えっ、こんな奥にあるの? よく潰れないね」
「それは、ほら……」
「あっ、匂いか」
そういえば、表通りから路地に入る前から香ばしい匂いがしていた。
「旦那さんがパン職人で、奥さんが風の魔法で匂いを表通りまで届けているそうだよ」
「へぇ、おもしろいね」
こじんまりとした路地裏の店は、思っていたよりも多くのお客さんで賑わっていた。
みんなで食べる大きなパンの他に、小さなクルミパンを買って兄貴と半分こする。
パンは少し固めのタイプで、外はカリっ、中はモチっとした食感で、噛みしめるほどに小麦の香ばしさが口いっぱいに広がる。
そこに、クルミのコリコリとした歯ごたえと風味が加わって……。
「うみゃ! カリカリ、モッチリ、コリコリで、うみゃっ!」
「だろう? 毎日でも通いたいくらいだけど、他にも美味しいお店があるからなぁ」
「にゃっ、他の美味しいお店?」
「海鮮のお粥の店とか、カルフェとスコーンの店とか」
「兄貴、いつの間に……」
「いつの間にって、お前があちこち飛び回ってる間にだよ」
「そっか、そうだよな」
今更ながらに気付いたが、俺がバルドゥーイン殿下の視察に付き合わされたり、王都の『巣立ちの儀』の警備に駆り出されている間も、兄貴には兄貴の生活があったのだ。
そして、今の兄貴は土属性魔法を使う作業員として、周囲の者からも一目置かれる存在となっている。
俺やチャリオットのみんなに助けてもらう、保護されるだけの存在ではないのだ。
「兄貴、今の仕事は楽しい?」
「おぅ、楽しいぞ。仕事だから失敗する訳にはいかないけど、今日は極力魔力を使わないとか、今日は魔力を多めに使っても速く仕上げるとか、毎日色々と工夫して形にしていくのは面白いな。それと、職人さんの仕事を見ていると……」
仕事の話になると、兄貴は嬉々として俺の聞いていない事まで説明を続けた。
昨晩、シューレの話を聞いた時にはちょっとショックだったけど、目を輝かせて工事現場の話をする兄貴を見ていたら、別々の道を歩む日も遠くないと感じてしまった。
ちょっと寂しい気はするけど、それよりも兄貴がこんなに夢中になれることを見つけられた方が嬉しい。
あとは、チャリオットを脱退するにしても、そのまま拠点に暮らし続けるにしても、普段の生活が大丈夫かどうかだ。
一人で魚料理の店に出掛けて、酔い潰れて帰れないようでは心配だ。
まぁ、そこはクーナとくっつけてしまえば良いのかもしれないが、問題は兄貴にその気があるかどうかだ。
「兄貴、前にもクーナに送ってもらったんだって?」
「みゃっ、そ、それは……」
「昨日も運んでもらったんだぞ」
「そ、それは……お魚と米の酒が美味すぎるんだ……」
まだダンジョンの発掘作業を行っていた頃、セルージョに米の酒の味を教えられたようだ。
それ以来、美味いお魚には米の酒が定番になってしまい、セルージョやガドに背負われて帰るようになったらしい。
「もう、クーナと一緒に暮らしちゃえば?」
「ん? なんでだ? クーナもチャリオットのメンバーになるのか?」
小首を傾げた兄貴は、まったく意味が分かっていないらしい。
昨晩、レイラが鈍感男と呼んでいたのも納得の反応だ。
「兄貴は結婚とか考えたりする?」
「け、結婚? にゃんで俺が、ライオスたちだって結婚してないのに、早すぎるだろう」
そうなのだ、チャリオットのメンバーは誰一人として結婚していない。
独身だからこそ、自由きままな冒険者稼業を続けられているのだし、もしかすると結婚する時が冒険者引退の時なのかもしれない。
俺達よりも、ずっと年上のみんなが結婚していないのだから、兄貴が意識しないのは当然だろう。
「それに、俺は貧民街で暮らしてたからな……」
「兄貴、それは関係ないよ。確かに貧民街で暮らしていたけど、今の兄貴はちゃんと働いて稼いでるんだ。誰からも非難されることなんて無い!」
せっかく立ち直った兄貴が口にした言葉が悲しくて、思わず声を荒げてしまった。
「ごめん、兄貴に怒ってるんじゃなくて……」
「分かってる。そうだよな、ニャンゴたちが救い出してくれたから今の俺があるんだから、ちゃんと胸を張って生きていかないといけないんだよな」
「でも、変な重圧とかは感じなくてもいいぞ。普通でいいんだよ、普通で」
「ニャンゴが普通と言っても、全然説得力が無いけどな」
「あぁ、確かに……」
俺は兄貴と一緒に、にゃはははっと声を上げて笑った。
そういえば、最近兄貴は良く笑うようになった気がする。
「結婚かぁ……考えたことも無かった。というか、ニャンゴはどうするんだ? まさかお姫様と結婚するんじゃないだろうな?」
「まさか……と言い切れないけど、俺もまだ結婚とか考えてないよ」
「だよな……まだ早いよな」
結婚はまだ早いかもしれないけど、クーナとの関係は進めても良いんじゃないかと思うのだが……外野がとやかく言うことではないのだろう。
でも、兄貴がこんな感じだから、クーナが関係を進めたいと思うなら、レイラが言う通り裸でぶつかっていくしかないかもね。
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