第635話 旧王都に帰還

「ふにゃぁぁぁ……やっと帰って来られた」


 ゴブリンクィーンの魔石に絡んだ騒動も解決して、俺達は乗合馬車に揺られて旧王都まで戻って来た。

 アントニーはしょうもないドラ息子だったが、ケンテリアス侯爵はまともな貴族だったので、後の事は全部任せてきた。


 下手に首を突っ込めば、それこそ侯爵家の後継問題にドップリと嵌りかねない。

 こんな時には、逃げるに限る。

 乗合馬車を降りた後、旧王都のギルドで依頼完了の報告をして、約一ヶ月ぶり、やっと拠点に戻って来られた。


「おっ、兄貴は真面目に掃除してたみたいだな……にゃにゃっ、お布団ふかふかだ」


 兄貴と一緒に使っている部屋は、天井とか壁の高い所は少し埃っぽくなっていたが、床や壁の低いところは綺麗に掃除されていた。

 それに、兄貴の布団だけでなく、俺の布団も干していてくれたようで、ふかふかになっていた。


 アツーカ村に居た頃は、水浴びすら三、四日に一度しかしない物臭な生活をしていた兄貴が、よくぞここまで変わったものだと感心してしまう。

 兄貴が変わった要因は、何と言ってもイブーロにあった貧民街での辛い暮らしだろう。


 人権無視のドン底生活から抜け出し、チャリオットのみんなと一緒に生活するようになって、兄貴自身が出来る事も増えて自信も付いたのだろう。

 今回、チャリオットのみんなと離れ、ダンジョン地下道の建設現場で働くようになって、兄貴がどんな風に変わったのか少し楽しみでもある。


「ニャンゴ、荷物を置いたら夕飯に行くぞ」

「セルージョ、兄貴とガドは待ってなくていいの?」

「あっちは、あっちで予定があるかもしれないし、もう戻って来たんだから、いつでも一緒に飯は食えるさ」

「それもそうか」


 チャリオットのみんなは、パーティーを組んではいるけど四六時中一緒に居る訳ではない。

 今夜は、ゴブリン討伐の遠征から無事に戻って来られた打ち上げなので、遠征組は全員参加で夕食に出掛けるが、休日は思い思いに時間を過ごすことの方が多い。


 ライオスやセルージョ達が、日頃何処を飲み歩いているのかも俺は知らない。

 フリーの時間は団体行動を強制されないが、いざ依頼に取り掛かれば抜群のコンビネーションを発揮する。


 成熟した大人なパーティーという感じで、俺もその一員として活動していることが誇らしい。


「打ち上げ、打ち上げ……ふみゃ」

「楽しそうね、ニャンゴ」


 リビングに行くと、早速レイラに抱えられてしまった。


「うん、やっとお布団でゆっくり眠れるしね。兄貴が俺のお布団も干していてくれたんだ」

「あらっ、今夜は私に一人で寝ろっていうの?」

「みゃっ、それは……」

「お風呂で泡泡しないの?」

「うみゅぅ……」

「踏み踏みしなくていいの?」

「し、します……」

「よろしい」


 仕方ないじゃないか、遠征中はずっとお預けだったんだから。


「さて、今夜は……」

「魚!」

「魚よ!」


 全員集合したところで、ライオスが今夜の店の意見を聞こうとした瞬間、俺とミリアムが食い気味に答えた。

 ゴブリン討伐からの帰り道では、全然美味しい魚が食べられなかったのだ。


 旧王都は、川で獲れる魚に加えて、海からも鮮度の良い魚が船で運ばれて来る。

 遠征中は仕方ないと諦めていたが、旧王都に戻ったら魚を食べると決めていたのだ。


「肉もたいして美味くなかったから、俺としては肉も食える店にしてもらいたいね」

「私も血の滴るようなステーキが食べたいわ」


 セルージョは馬人なんだからニンジンでも齧ってれば良いと思うのだが、レイラの場合はさすが肉食と思わされてしまう。


「まぁ、両方味わえる店を探して魚河岸の方へ行ってみるか」


 まだ時間も早いし、明日は完全休養の予定なので、店を決めずにブラブラと出掛けることになった。


「そういえば、ダンジョンの崩落は完全に止まったのかな?」

「言われてみれば、揺れないわね」


 今年に入ってから、バルドゥーイン殿下に同行してグラースト侯爵領に出掛けたり、王都の『巣立ちの儀』の警備をしたり、旧王都を留守にしている時間が長かった。

 確か、グラースト領に出掛けている頃は、まだ頻繁に崩落や揺れを感じていた気がする。


 でも、今日は乗合馬車で旧王都に到着してから、まだ一度も揺れを感じていない。

 崩落で出来た穴の壁面を硬化させる工事も進められていたから、その効果で崩落が止まったのかもしれない。


 いずれにしても、新しい地下通路を作る工事にも少なからず影響を及ぼすし、崩落は止まっていてほしいものだ。

 目抜き通りをレイラに抱えられながら移動していると、少し先の十字路を曲がって出て来た猫人の姿が見えた。


「あっ、兄……むぐぅ」

「邪魔しちゃ駄目よ」


 兄フォークスに声を掛けようとしたら、レイラに口を塞がれてしまった。

 よく見ると、兄貴はタヌキ人の女性と連れ立って歩いている。


「ほぅ、フォークスにも恋人ができたか」

「ふふっ、セルージョよりも上ね……」

「やかましいぞ、静寂……って、ガド?」

「おぉ、帰ってたのか、セルージョ」


 兄貴が出てきた十字路に差し掛かると、同じ方向からガドが姿を現した。


「ガド、兄貴を付けてきたの?」

「付けて来たというか……いや、その通りじゃな」

「あの女、何かヤバい奴なの?」

「いやいや、そういう事ではなくてな……」


 ガドが言うには、兄貴と一緒にいたタヌキ人の女性は、地下通路の工事現場で働いている仲間だそうで、兄貴が作業のコツを指導して仲良くなったらしい。


「えっ、兄貴が指導したの? 指導されたんじゃなくて?」

「ニャンゴ、フォークスの腕前はプロの職人レベルじゃぞ」

「本当に? いつの間に……」


 兄貴は地下通路の工事現場で一目置かれているそうだが、それは名誉子爵である俺の兄貴という肩書が理由ではないらしい。


「研究して、工夫して、実際に作業して、また反省する……真面目な働きぶりは、現場監督からも高く評価されておるのじゃぞ」

「そうなんだ……やるな、兄貴」


 それだけ頑張っているならば、彼女の一人ぐらい出来たとしてもおかしくないだろう。


「でも、だったら何でガドが後をつけてるの?」

「フォークスは以前にも、あのクーナという女子と食事に行ったのじゃが……」


 緊張しすぎたのか、はしゃぎすぎたのか分からないが、とにかく兄貴は酔いつぶれて、クーナに背負ってもらって拠点まで帰ってきたそうだ。


「今日も酔いつぶれたりしないか、ちょっと心配でな……」

「だから、後を付けてたんだ」


 ガドと合流した俺たちは暫しの間、兄貴とクーナを見守ることにした。

 二人は目抜き通りを川の方へと歩き、川沿いの道へと入っていく。


「にゃにゃ、いい匂い……」


 風に乗って、どこからか魚を焼く香ばしい匂いが流れてきた。

 口の中に唾液が溢れてきて、お腹がグーグーと鳴り始めてしまった。


 兄貴とクーナは迷うそぶりも見せず、壁が取り払われたような変わった作りの店に入っていった。

 外からでも店の内部の様子が見えるが、裏を返せば小さい店なので、兄貴に気付かれてしまいそうだ。


「おっ、外の席が空いたぜ、そこにしよう」


 店の外、通りにもテーブルと椅子が並べられていて、ちょうど二組の客が席を立ったところだった。


「ニャンゴ、あんまり騒いで気付かれんじゃねぇぞ」

「そんなヘマしないよ。それより、早く注文しよう」


 テーブルの中央はコンロになっていて、どうやら客が自分で焼いて食べる方式のようだ。

 幸い、兄貴はこちらに背中を向けて座っているので、騒がなければ気付かれないだろう。


「盛り合わせ、おまちどうさまです」


 ライオスが代表して料理と酒を注文したのだが、様々な種類の魚が色々な味付けをされて盛られていて、この盛り合わせは絶対に美味しいやつだ。

 俺が最初に選んだのは、白身魚をラーシに漬け込んだものだ。


 空属性魔法で網を作り、店の網よりも炭火から離して焼く。


「ニャンゴ、何で炭から離して焼くんだ? それじゃ時間掛かるだろう」

「分かってないなぁ、セルージョは。ラーシに漬けたものは、火が近いと焦げるだけで中まで火が通らないんだよ」

「ほぅ、さすが魚には煩いな」

「ほら、見て。火から遠ざけるとラーシがふつふつして、味と熱を染み込ませていくんだ」


 ラーシがふつふつと沸き立ち、辺りには香ばしい匂いが漂い始める。

 あまり焼いても身が固くなるし、生焼けでは美味しくない。


 俺の頭は白身魚のラーシ漬けに占拠され、兄貴のことは意識から抜けていた。

 身に熱が通るタイミングを見計らって、空属性魔法で作った網を下げ、ラーシに焦げ目をつけていく。


「よし、焼けた! ふー……ふー……熱々は苦手だけど食べたい、食べちゃう、うみゃ! 熱ぅ! 脂がのってシットリな白身に、ラーシの味がシッカリと染み込み、香ばしさと混然となって、うんみゃ! あっ……」


 一発で兄貴に気付かれてしまった。

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