第634話 ケンテリアス侯爵
突然勃発したエルメール卿祭が一段落した後、エルケンにギルドマスターの執務室へ案内された。
「ドレッセル・ギルドへようこそ、エルメール卿。ギルドマスターのコルベットと申します。この度はゴブリンの討伐、クィーンの魔石運搬に多大なるご尽力を賜り、ありがとうございました」
「初めまして、ニャンゴ・エルメールです」
ギルドマスターのコルベットは四十代後半ぐらいに見える細身のジャガー人で、冒険者というよりは実業家という雰囲気の持ち主だ。
テーブルを挟んで応接ソファーに向かい合って座り、まずは一番の懸念について尋ねてみた。
「コルベットさん、アントニーは大丈夫なんですか?」
「ゴブリンクィーンの魔石をどうやってギルドに運び入れるかが一番の問題でしたが、それはエルメール卿が解決してくださいました」
「運び入れてしまえば大丈夫……ということですか?」
「はい、いくらアントニー様であっても、ギルドに手を出すような真似はなさらないでしょう」
コルベットは自信たっぷりに言い切ったが、これまでのアントニーの行動を見ている身としては安心できない。
「ちなみに、もしアントニーが踏み込んで来た場合には、どうなさるおつもりですか?」
「あれでも……という言い方は何ですが、侯爵家の嫡男ですから無下に追い返す訳にはまいりません。応接室で対応いたしますが、魔石を渡したりはしませんよ」
「ギルドとしても対応に苦慮してらっしゃるんですね?」
「おっしゃる通りです。現侯爵様は常識的な方ですので、ギルドとしても反発する理由はありませんので、事を荒立てずに済ませられればと考えております」
冒険者ギルドは独立した組織だと聞いているが、王家や貴族との繋がりが皆無という訳ではない。
今回のゴブリンの大量発生のような大規模な事案や、ワイバーンのような強力な魔物が現れた時には、王家や貴族、ギルドが連携して対処する。
「今回、侯爵様からはアントニー様に騎士団の指揮を任せると伝えられていました。我々としては、協力してゴブリンの討伐に当たっていただけると思っていたのですが……結果はエルメール卿もご存じの通りです」
「侯爵様には、もう報告はされているのですか?」
「はい、ゴブリンの巣の討伐に絡んで多くの騎士が亡くなられた経緯や、クィーンの魔石に関わる騒動、仮にアントニー様が魔石を奪った場合の影響など、全て報告済みです」
「それで、侯爵様からは何と?」
「アントニー様の処分についてはこちらで責任を持って行う、もしギルドに乗り込んで来たならばすぐに連絡をするように指示されております」
「そうですか……それでは連絡が必要みたいですね」
執務室の外から、言い争うような声が響いている。
部屋に入った時に気付いたのだが、外部からの音が意外にも大きく聞こえてくる。
おそらくだが、ここに居ても外部の様子が分かるように、あえて防音の措置をしていないようだ。
ギルドマスターともなれば密談が必要な場合もあるのだろうが、そうした時には別の部屋を使うのだろう。
「ご心配なく、私にする前に侯爵様に連絡をするように指示しております」
「では、放置なさるのですか?」
「まさか……そういう訳にはまいりませんので、侯爵家よりの使いがみえるまで私どもで時間稼ぎをいたします」
「手伝いは要りますか?」
「エルメール卿の手を煩わせるまでもありませんが、ご興味あるならば同席していただいても結構ですよ」
コルベットには曲者揃いの冒険者を腕力で黙らせる肉体的な迫力は無いが、敵対すれば事務的、法的、社会的にタダでは済まないと思わせる落ち着きがある。
ただ、こうした種類の迫力は、社会的に未熟なお坊ちゃまでは感じ取れない場合がある。
まさか、ギルドマスターに危害を加えたりはしないと思うが、念のために同席しておこう。
「それでは、オブザーバーという形で見物させていただきます」
「かしこまりました。では、参りましょう……」
二階にあるギルドマスターの執務室を出て一階へと降りると、カウンター前のロビーで声を荒げているアントニーの姿があった。
「くどい! つべこべ言わずにゴブリンクィーンの魔石を引き渡せ!」
アントニーは四人の騎士に囲まれているが、それを遠巻きにするように険悪な雰囲気を漂わせた冒険者たちが取り囲んでいる。
ざっと数えて百人近い冒険者が一斉に突っ込んでくれば、四人の騎士ではアントニーを守れないだろう。
騎士たちは自分の置かれている状況を理解して顔を蒼ざめさせているが、アントニーはまるで頓着していない。
侯爵家の嫡男である自分が、冒険者ふぜいに襲われるはずがないとでも思っているのだろう。
「これはこれは、アントニー様、どうなされましたか?」
「ギルドマスターか、白々しい、そこの劣等種が持ち込んだゴブリンクィーンの魔石を引き渡せ!」
「侯爵家の嫡男ともあろう方の発言とは思えませんな。シュレンドル王国では人種による差別を禁じておりますし、ましてやエルメール卿は王家に認められた名誉子爵にあらせられます。それを否定するならば、王家に弓を引くつもりだと捉えられても仕方ありませんよ」
「何をぬかすか! 私はケンテリアス侯爵家の次期領主だぞ!」
「勿論存じておりますが、まだ領主となられた訳ではございませんよね。この場にいる者の中で一番身分が高いのはエルメール卿ですよ」
「な、何だと……私が、そんな劣等種よりも劣っていると言うのか! そんな毛むくじゃらの……」
「何をしている」
突然、ギルドの入り口の方から、アントニーの言葉を遮るように厳しい声が響いてきた。
それまで居丈高な振る舞いをみせていたアントニーが顔を強張らせて振り返った先には、こちらに向かって歩いて来る三十代半ばぐらいの狼人の男性の姿があった。
服装からして、この人が現ケンテリアス侯爵家の当主なのだろう。
アントニーの顔から血の気が引き、肩が小さく震えているようにも見える。
「ち、父上……」
「何をしている、アントニー」
「ゴブリンクィーンの魔石を……」
「魔石をどうするつもりだ」
「そ、その……父上にお見せしようと……」
「そのような事を私が命じたか?」
「い、いいえ……」
これまでの態度が嘘のようにアントニーは大人しくなり、肥満した体が二回りぐらい縮んだように見える。
「ゴブリンクィーンの魔石は、冒険者たちが命懸けで手にしたものだ。まさか、その手柄を横取りしようなどと考えているのではないだろうな?」
「そ、そのような事は……けっして……」
「ならば、屋敷に戻れ。ゴブリン討伐の顛末を聞かせてもらう。既にギルドからは途中経過とゴブリンクィーン討伐の一報を受け取っている。齟齬をきたさぬように、私が戻るまでに記憶を整理しておけ」
「はい……」
ケンテリアス侯爵が狼人、アントニーが熊人ということは、亡くなられた奥方が熊人だったのだろう。
すごすごと帰っていくアントニーを見送った後で、侯爵はこちらへと向き直った。
「エルメール卿、愚息が大変な失礼をいたした。まことに申し訳ない」
「はて、何のことでしょうか。猫人にとっては日常茶飯事なので、お気になさらず……」
「心遣いに感謝いたす」
俺に向かって頭を下げてみせる侯爵は、どうやらまともな人間のようだ。
「私のことはともかく、アントニー様の振舞いによって冒険者たちの反感が高まっているように感じます。そちらへの配慮をお願いできますか」
「心得ている。かなり言い訳じみた内容になるとは思うが、侯爵家が冒険者の手柄を横取りするような事は無いとギルドから通達を出すつもりだ」
「でしたら、ゴブリンクィーンを倒したのは一般の冒険者たちで、私は巣の外で支援を担当していたと書き添えていただけますか」
「どういう事だね?」
「実は……」
先程発生したエルメール卿祭の顛末について語ると、ケンテリアス侯爵はようやく表情を緩めてみせた。
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