第633話 運搬完了
ケンテリアス侯爵領の領都ドレッセルは、新王都から旧王都を経由して、シュレンドル王国の東北地方へと向かう街道の宿場町でもある。
ニーデル村へと通じている道は、領内を通る道なので往来する人は少ないが、ドレッセルを通る街道では引っ切り無しに馬車が通っている。
ドレッセルに本拠を置く商会も多く、領都のギルドでは討伐の依頼よりも護衛絡みの依頼の方が多いそうだ。
だからといって、ドレッセルのギルドに所属している冒険者の腕が劣る訳ではない。
魔物相手に戦うスキルと、野盗などの人間と戦うスキルには違いがあるので、一概にどちらをメインにしている冒険者が強いという訳ではないのだ。
それに、討伐をメインにしている冒険者だから護衛の依頼は全く受けないという訳でもないし、逆に護衛メインの冒険者だって魔物の討伐に駆り出されたりもする。
現在ドレッセルのギルドでは、護衛を担当できる冒険者の不足に頭を悩ませているらしい。
理由は言うまでもなく、ゴブリンの討伐に多くの冒険者が駆り出されているからだ。
ドレッセルに籍を置く冒険者の中には、ニーデル村の出身者も少なくないそうで、そうした者達や仲間の多くがゴブリン討伐へ参加しているらしい。
故郷を守るのと同時に、ゴブリンクィーンの魔石を手にできれば一攫千金も夢ではないからだ。
俺達チャリオットと同行しているエルケンとキルネは、そうした冒険者の今後の動向を心配している。
自分達が命懸けで手にした手柄を横取りするような領主の跡取りがいる街では、冒険者としての将来に希望が持てなくなる。
そして、護衛を請け負っている冒険者となれば、依頼主の商会の他に、商会の取引先とも面識を持っていることが多い。
つまり、ドレッセルから移籍しても、ゼロからのスタートという訳ではなく、ある程度のコネを持っている者が多いそうだ。
そして、討伐をメインに活動している冒険者に至っては、どこの街に移動しようとやる事は同じだし、待遇の良い領地があると聞けば、移籍を躊躇う者は少ない。
「という訳で、ゴブリンクィーンの魔石は絶対に奪われる訳にはいかないのです」
ドレッセルが近付くほどに、エルケンとキルネの表情は厳しさを増している。
そして、ドレッセルまで十分ほどの所で、馬車は速度を落とし、ノロノロと進んだ後で停車した。
何かあったのかと思っていると、反対方向から来た馬車の御者が、騎士が馬車を止めて荷物を改めていると教えてくれた。
「エルケンさん、行きますよ」
「はい、よろしくお願いいたします、エルメール卿」
「ライオス、それじゃあドレッセルのギルドで待ってる」
「了解だ、気を付けて行ってこい」
「うん、でも運ぶだけだから大丈夫だよ」
アントニーの息が掛かった騎士たちが検問を行っていた場合、俺がエルケンとゴブリンクィーンの魔石をドレッセルのギルドまで運んでしまうように打ち合わせておいたのだ。
「それじゃあ、ここに椅子を作ったので座ってみて下さい。あぁ、魔石の箱はこちらに置いて下さい」
「えっ、うわっ、本当に椅子がある……」
恐る恐るといった様子で空属性魔法で作った椅子に座ったエルケンを乗せ、街道から外れながらボードの高度を上げていった。
「エ、エルメール卿、まだ昇るのですか……?」
「せっかくなんだから、空の散歩を楽しんでいきなよ」
「そうなんでしょうけど……あっ、あそこに騎士がいますよ。揉めてるみたいですね」
経験したことのない高さに腰が引けていたエルケンだが、渋滞する馬車の列の先頭に騎士の姿を見つけると身を乗り出すようにして覗き込んだ。
騎士と対峙しているのは冒険者のようで、武器こそ抜いていないものの掴み合いになっている。
「エルケンさん、身の安全は保証するから、ここにゴブリンクィーンの魔石があるって知らせていいかな?」
「構いませんよ。不落のエルメール卿に守っていただけるなら、王国のどこよりも安全でしょうから」
「それじゃあ、ちょっと高度を下げるよ」
高度を二十メートルほどに下げて、揉めてる連中の頭の上から声を掛けた。
「そんな所にゴブリンクィーンの魔石は無いよ、こっちだ、こっち!」
驚く騎士や冒険者に向かって大きく手を振った後で、魔石はここだと木箱を叩いてみせた。
「上だ!」
「浮いてる……」
騎士たちが俺を見つけたのを確認してから、ドレッセルに向けてゆっくりと移動を開始する。
一応、ボードの下側はシールドでカバーしてあるが、アントニーが動かしている騎士とはいえども、俺に向かって攻撃は仕掛けて来ない。
ただの冒険者だった頃なら攻撃されてたかもしれないが、空飛ぶ黒猫人が誰かなんて、貴族の家の騎士ならば知っているはずだ。
ましてや、下にいる騎士たちとはニーデル村で揉めているのだから、名誉子爵ニャンゴ・エルメールだと分かっているだろう。
街道を封鎖して検問を行っていた騎士たちが慌てて馬に跨り始めたので、こちらも少し速度を上げて移動する。
といっても、ジェットや風の魔法陣を使った推進器は付けていないので、馬ならば余裕で追い掛けてこられる速度だが、当然手が届く高さではない。
上空からドレッセルの街並みが見えてきた頃、街道脇に豪華な馬車が停まっているのが見えた。
俺達を追跡していた騎士が馬を止めて、そのうちの一人が下馬して馬車へと歩み寄っていった。
おそらく、馬車の中にアントニーがいて、魔石を手に入れてからドレッセルに戻るつもりだったのだろう。
上から眺めていると慌てた様子で御者達が、休ませていた馬を馬具に繋ぐ作業を始めた。
「なんだか、泥縄感が凄いな……」
「ドロナワとは?」
「泥棒を捕らえてから縄をなうって諺があるそうだよ。準備が杜撰で、場当たり的な対応の例えで、それを略して泥縄」
「なるほど、確かに慌てて馬を繋いでいるようでは泥縄ですね」
ドレッセルの街は川から引いた水路に囲まれていて、そこに架かる橋が検問所の役割を果たしているそうだが、今日は飛び越えさせてもらった。
「ギルドはどっち?」
「このまま真っ直ぐ進んでもらって、中央広場に出たら右手の奥がギルドです」
「了解」
検問所から慌てた様子で騎士が追い掛けてきたが、通行人に阻まれて追い付いてこられない。
たぶん、アントニーが命令している騎士ではなく、領主のケンテリアス侯爵に命じられている騎士なのだろうが、事情が事情なので後で説明させてもらう。
広場に向かいながら徐々に高度を下げていくと、俺達の姿を見つけた通行人が騒ぎ始めた。
「見ろ、飛んでるぞ!」
「黒猫人だ、ニャンゴ・エルメール卿だ!」
「『恋の巣立ち』のモデルになった人だぞ」
いや、それはちょっと恥ずかしいからやめてほしい。
ギルドの正面玄関前に降り立ったところで、大声で呼びかけた。
「ドレッセルのギルドに用がある、道を開けてくれ!」
ざぁっと人垣が割れ、扉を開けてくれた人に礼を言ってギルドの中へと入る。
木箱を抱えたエルケンを引き連れて、真っ直ぐにカウンターへと向かった。
カウンターに辿り着いたところでエルケンが木箱を持って先に行き、声を張り上げて報告した。
「ゴブリンクィーンの魔石を持ち帰りましたぁ!」
一瞬の沈黙の後、ギルド内部で歓声が爆発した。
「やったぞ、ゴブリンの大発生が解決したぞ!」
「これで何の心配も無く護衛の依頼に集中できるぞ」
「さぁ、忙しくなるぞ」
ゴブリンの大量発生は、商品を輸送する者達にとっても大きな懸念材料で、移動をためらっていた商人も少なくなかったようだ。
「これで、もう安心だ」
「さすがはエルメール卿だ!」
「エルメール卿、万歳!」
「いや、ちょっと待って、俺じゃ……」
ゴブリンクィーンを倒したのは俺じゃないと否定したが、盛り上がった人達によって、あっという間にギルドの外まで広まってしまったようだ。
ヤバいじゃん、これじゃあ俺が手柄を横取りしたみたいじゃん。
「ゴブリンクィーンを倒したのは、俺じゃ……」
「万歳! エルメール卿、万歳!」
だから、違うんだって……。
くぅ、こんな所で数の暴力に晒されるとは……。
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