第600話 故郷に残った者(イネス

※今回はイネス目線の話になります。


 こっちの苔は良く乾燥させてから、こっちの苔は鮮度の良いものを丁寧に土を落として使う。

 この薬草は葉の柔らかいことろだけ、こっちの薬草は茎まで刻んで使う。


「どうでしょう、カリサさん」

「ちゃんと分量は計ったかい?」

「はい、下処理を終えた後で、レシピ通りになるように計りました」

「じゃあ、進めていいよ」


 下処理を終えた薬草をカリサさんに見てもらった後、すり鉢鉢に入れて潰していく。

 薬草の葉や茎の原型がなくなり、ペースト状になるまで根気よくすり潰していく。


 薬作りは、一つ一つの工程の積み重ねだ。

 どこか一つの工程で手を抜くだけで、効果が大きく違ってしまう。


 このすり潰す作業も、水を多く加えれば比較的楽に行えるが、当然でき上がる薬の薬効は薄くなってしまう。

 なるべく水を加えず、生の薬草や苔の水気だけで作業を終えるには、手早く終える必要があるが、潰し方が雑だと効果が失われてしまう。


「ふんっ、ふんっ、ふんっ、ふんっ……」


 手早く作業を終えるには力も必要で、気付くと乙女にあるまじき鼻息の荒さになってしまっているが、今はカリサさんしかいないから大丈夫だ。

 薬草と苔を親の仇のように、徹底的にすり潰す。


 薬作りを習い始めた頃は、すり潰しが甘くてカリサさんに何度もやり直しを命じられた。

 すり潰しが甘くては怒られ、水を入れすぎては怒られ、一度で良しと言われるようになったのは最近になってからだ。


 切っ掛けは、季節の変わり目に私が酷い熱を出した時だった。

 寒気がして体がガタガタと震え、全身を襲う倦怠感に、このまま死んでしまうのではないかと思った。


 熱冷ましの薬を飲ませてくれる前に、カリサさんから尋ねられた。


「イネス、この薬が効かなかったら、どう思う?」

「そんな……あたし、死んじゃう……」

「薬はね、病気や怪我で苦しい、痛い時に救いを求めて手にするものだ。いい加減に作って効果が無かったら、飲んだ人はどれほど失望するだろうね。だから、心を込めて丁寧に作らないといけないんだよ」


 カリサさんの薬を飲んで、半日ほどで私の熱は下がった。

 それでも、熱が下がるまでは本当に苦しくて、薬のありがたみを痛感させられた。


 そして、今度は自分が作った薬で、誰かの苦しみや痛みを癒したいと思ったのだ。


「ふんっ、ふんっ、ふんっ、ふんっ……」

「イネス、そろそろ良いんじゃないかい」

「もうちょっと、まだ粗いところがあるから」

「そうかい、それが取れたら呼んでおくれ」

「はい……ふんっ、ふんっ、ふんっ……」


 納得がいくまで薬草と苔をすり潰し、先に煎じておいた樹皮の粉と混ぜて丸薬にしていく。

 細く伸ばしたものを切って丸め、乾燥させれば腹痛止めの薬の完成だ。


 丸めたものを綺麗な布に並べていると、薬屋の表戸が開く音がした。


「カリサさん、いるかい?」


 訪ねてきたのは村長に雇われている元冒険者のゼオルさんだった。


「またニャンゴから分厚い手紙が届いているぞ」

「本当かい!」


 ニャンゴからの手紙と聞いて、カリサさんは少女のような笑みを浮かべて店に出ていった。

 独り身のカリサさんにとって、ニャンゴは本当の孫のような存在だ。


「イネス、それが終わったら手を洗っておいで、お茶にするよ」

「はぁい!」


 分厚い手紙を手にしたカリサさんは、今にも踊り出しそうだ。

 ニャンゴからの手紙が届くと、カリサさんは全ての仕事を放り出して、お茶を淹れてからジックリと読み進める。


 私とゼオルさんは、お茶を飲みながらカリサさんから手紙の内容を教えてもらうのだ。

 いつもニャンゴの手紙には、分厚いカリサさん宛ての手紙と薄っぺらい家族宛ての手紙が同封されている。


 これでは、どっちが本当の家族なんだと思ってしまうが、それほどニャンゴはカリサさんを大切に思っているのだ。


「こんどは何をやらかしたんだって?」

「王都で反貴族派の摘発をしたそうだよ」

「ほほう、去年あれだけの騒ぎを起こして、今年も計画していたのか」

「オラシオと同期の騎士見習いの子が亡くなったそうだ。可哀そうだねぇ……」


 私と同い年のニャンゴは、ダンジョンに挑む冒険者として旧王都へ、オラシオは王国騎士見習いとして新王都へ行ってしまった。

 ミゲルもイブーロの学校の寄宿舎で暮らしているし、私だけ取り残されたと思ってしまうこともある。


「ほぇぇ……あの子、名誉子爵様になったそうだよ」

「なんだと、子爵だと、こりゃあ気軽にニャンゴなんて呼べなくなっちまうな」


『巣立ちの儀』を受けにイブーロに行った時、いずれ村長になるミゲルと王国騎士見習いに選ばれたオラシオ、どちらと結婚しようかなんて思っていた。

 ニャンゴは、ちょっと変わった猫人で面白い子だとは思っていたけど、こんなに偉くなるなんて思ってもみなかった。


 今となっては、結婚できそうな相手はミゲルだけだけど、あの性格はちょっと考えものだ。


「ほら、イネス見てごらん、ニャンゴとオラシオだよ」

「えぇぇぇ! これがオラシオ?」


 ニャンゴがカリサさんに送ってくる手紙が分厚いのは、アーティファクトを使った写真という絵が同封されているからだ。

 見たそのままを写し撮れる写真に写っていたのは、格好良く成長したオラシオの姿だった。


「騎士訓練場で相当しごかれたんだろうな、面影はあるが別人みたいだな」


 ゼオルさんが言う通り、面影はあるが逞しい騎士見習いにしか見えない。

 やっぱり、アツーカ村を出る前に口説いておけば良かった。


「これは、王女様だそうだよ」

「うわぁ、綺麗……」


 魔法を使って宙に浮いたニャンゴと腕を組んでいるドレスの少女は、女の私が見ても惚れ惚れするほど美しい。

 ニャンゴが連れてきたパーティーの仲間であるシューレさんも、大人の魅力たっぷりの美人だったが、やはり王女様は別格という感じだ。


「まさかニャンゴの奴、王女様と結婚するとか言わないだろうな」

「私は、気立てが良くて、ニャンゴを本当に愛してくれる女性なら、平民だろうが、王女様だろうが構いやしないよ」

「ニャンゴが王女様と結婚……想像ができないよ」


 私がニャンゴと聞いて思い出すのは、薬草摘みの籠を背負ってポテポテ歩いている姿だ。

 青い騎士服を着て、王女様の隣で笑っているニャンゴと、どう考えても繋がらない。


 本当にニャンゴなのか、ニャンゴの皮を被った別人ではないのかと思ってしまう。

 平民の女の子が王子様に見初められて、煌びやかな舞踏会で踊る……といった物語は、女の子ならば誰しも一度は憧れる。


 だけど、『巣立ちの儀』を受け、成人の歳を迎え、夢はあくまで夢であって、田舎娘の自分が王子様に見初められたりしないと理解し諦めるようになる。

 それなのに、ニャンゴは現実の高い壁を空っぽの属性と馬鹿にされていた空属性魔法を使って飛び越えてしまった。


 本当に凄いと思うけど、ちょっとズルいとも思ってしまう。

 私も一緒に引っ張り上げてくれれば良いのに……なんて言ったら、イネスは重たいから無理だよ……なんて失礼なことを言うんだろうな。


「王都か……一度ぐらいは行ってみたかったなぁ」

「行ってみたかった……なんて言ってるようじゃ無理だぞ」


 無意識に洩らした呟きをゼオルさんに聞かれてしまったようだ。


「アツーカは国の端の村だ。イネスのような若い女の子が王都に行くには、行ってみたいと強く願って、実際に行くにはどうすれば良いのか、何が必要なのか、いくら掛かるのか……本気で調べて準備しなけりゃ無理だな」

「ですよねぇ……あたしみたいな田舎娘には無理ですよね」

「そこで諦めちまうなら無理だ。じゃあ、調べてみようと動き出す奴ならば、道は開けるかもしれんぞ。本気で行きたいと思うなら、まずはイブーロに遊びに行くことから始めてみるんだな」


 いわれてみれば、私はイブーロまでも一人で行ったことがない。

『巣立ちの儀』で行った時には、村長の家の馬車で連れていってもらったのだ。


 乗合馬車でイブーロまでいくら掛かるのだろう。

 イブーロで一泊するにはいくら掛かるのだろう。


 私には知らないことばかりだ。

 知らないなら、ちょっと調べてみようかな。

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