第587話 シューレの特訓(ミリアム)

※今回はミリアム目線の話です。


「もっと広く、もっと……これ以上は無理なんて、自分の限界を作らないで、もっと広げて!」


 一日の終わりに魔力を使い果たすまで、シューレから魔法の指導を受けている。


「まだよ、こんな程度じゃまだまだ……もっと広げて、揺らがないように集中して!」


 自分の周囲の風を操り、範囲を広げて状況を知る。

 風属性魔法を使った探知魔法だが、私が調べられる範囲はシューレに比べると全然狭い。


 体の小さい猫人の私が冒険者として生きていくためには、この探知魔法に磨きを掛けるしかない。

 薄く、広く、小さな変化も見逃さず魔法を使い続けるのは、体力と共に集中力が要求される。


 例えるならば、走りながら計算問題を解くようなものだ。


「揺らがない! 集中して!」


 疲れてくると制御している風が乱れ、風が乱れると反応が分かり辛くなる。

 風の揺らぎを抑え込み、反応の雑音を削ぎ落す。


「そう、力まないで、静かに、もっと遠くまで……」


 呼吸を整え、更に集中力を高めて、昨日よりも少しでも遠くまでの探知を目指す。

 風属性魔法で遠くまで探知するためには、自然の風の流れを読み、上手く取り込む必要がある。


 自然の風に逆らって探知しようとすれば余計な魔力が必要となり、逆に上手く利用できれば魔力を節約できる。

 訓練を始めた頃は、風に翻弄されてばかりだったが、最近は少しずつだが自然の風を取り込んで利用できるようになってきた。


「そう、風を上手く利用して……そう、その感じ……」


 シューレに褒められて、ちょっと気を抜いたのがいけなかった。

 不意に吹き抜けた風を取り込めず、風の制御が大きく乱れた。


 慌てて抑え込もうして魔力を余分に注ぎ込んだところで、魔力が底を突いた。

 私の制御を離れた風が、自然の風に巻き込まれていく。


「まだ諦めないで! 一部を切り離しても他の制御を維持して!」


 言われた通りに、乱れた部分を切り離して維持しようとするけれど、綺麗な円を描いていた探知範囲は抉られて大きく歪んでいる。


「そこから範囲を狭めながら制御を取り戻して!」


 たぶん、シューレにとっては簡単なことなのだろうが、私にとっては死力を尽くさないと出来ないレベルの要求だ。

 頭が沸騰するかと思うほど、風の動きに意識を集中して乱れを整える。


 魔力切れ寸前だから、無駄な魔力を使う訳にはいかない。

 吹き付けてくる風を正面から受け止めるのではなく、斜めに受け流し、向きを変えながら取り込んで力へ変える。


 何とか探知範囲を円形に整えたところで、本格的な魔力切れが襲ってきた。

 それでも、ぱっと探知を止めるのではなく、花が閉じるように、ゆっくりと範囲を狭めながら魔法を打ち切った。


「ふにゃぁ……もう無理……」

「まだまだね……」

「にゅぅ……シューレが厳しすぎる。猫人としては頑張ってると思うけど……」

「そんなの関係ない。猫人だから、なんて甘えは許さないわ」

「うにゅう……」


 シューレが私に求めるレベルには、猫人だから……という手加減は一切無いらしい。

 もっとも、手加減なんてしてもらっては困る。


 うちのパーティーには、猫人なのにAランクの冒険者がいるし、その兄弟も普通の人と同等以上の土属性魔法を使って工事現場で働いているそうだ。

 それに比べて、私の魔法の腕前はシューレの半分にも達していないだろう。


 シューレと離れるつもりは無いけれど、いつまでも頼りきりでいたくない。

 少なくとも、パーティーの一員として認められるだけの働きをしたい。


「でも、今日は頑張ったわ。さぁ、お風呂に入ってから夕食を食べに行くわよ」

「はぁい」


 今は『巣立ちの儀』の休暇期間で、チャリオットも活動を停止している。

 地下道の工事は休みに関係なく続けられているらしく、ガドやフォークスは自分達で決めた休みの日以外は現場に出ているようだ。


 ライオス、セルージョ、レイラは、それぞれ気ままに休日を楽しんでいて、私は朝から晩までシューレにしごかれている。

『巣立ちの儀』の休日期間で賑わう街に出ることもあるけれど、買い物をしながらでも要人護衛の手順とか、怪しい連中の見分け方などを習っているから気は抜けない。


 シューレの勘働きは、近くで見ていても恐ろしいほどで、『巣立ちの儀』の日には半日足らずで三人もスリを捕まえて官憲に引き渡していた。

『巣立ちの儀』の雑踏はスリにとっては最高の稼ぎ場所らしいが、それを捕まえて官憲から正当な報奨金を手に入れるシューレにとっては格好の狩場らしい。


 お風呂で汗を流した後、シューレに抱えられて拠点を出る。

 訓練で魔力を使い果たして、湯船で暖まって、正直瞼が今にも閉じてしまいそうだ。


「シャンとしてなさい。起きているのも訓練よ」

「うにゃ、分かってる……」


 分かっているけど、睡魔が襲い掛かってくるのだ。

 この後、食事を済ませて拠点に戻るまで、シューレは私を寝かせてくれない。


 フォークスは毎晩のようにガドに抱えられて熟睡しながら帰ってくるのに、ちょっと不公平だと感じてしまう。

 それでも、起きているのも冒険者としての訓練だし、そこは猫人として克服しないといけない壁でもあるので太腿に爪を立ててでも頑張るしかない。


 街は『巣立ちの儀』の祝賀ムード一色で、繁華街はいつにも増して賑わっていた。

 チャリオットのメンバーたちと行きつけの店で、シューレはミノタウロスのステーキやオークの煮込みなど、肉系のメニューを中心に料理を頼んだ。


 しっかりと訓練して、しっかりと食べないと冒険者としての体にならないというのがシューレの持論だ。

 実際シューレは、その細い体のどこに入ってしまうのだと思うぐらい食べるし飲む。


 私も故郷の村にいた頃の倍以上食べるようになったけど、お腹が出てきて困るようなことはないし、確実に筋肉は増えている気がする。

 料理を堪能して、シューレがお勘定を済ませたら、本日最後の訓練が始まる。


 熾烈な睡魔との戦いをしながら、僅かに回復した魔力を使って探知魔法で周囲を警戒するのだ。

 昼間は暖かくなったが、日が落ちると空気がヒンヤリとしてくる。


 そんな中でシューレの腕の中でヌクヌクしながら、眠るなというのは拷問に近い。

 ニャンゴに、眠っている時に目が開いてると言われるのは、この訓練のせいではないかと疑っている。


 毎回、飛びそうになる意識を必死に繋ぎ留めているのだが、この日はちょっと様子が違った。


「シューレ、その先に怪しい奴らが……後ろも?」

「人数は?」

「前が三人、後ろに二人」

「うん、良くできました」


 繁華街から拠点に戻る途中、人気が途絶えた道で私達を挟みうちにするように近付いて来る者がいた。

 姿を現したのは、人相の悪い男達だった。


 人種も体付きも様々だけど、まとっている空気がまともな人間のものではない。


「よう、仲間が随分と世話になったな」

「何の話……?」

「とぼけるな! 手前一人で十人以上も牢屋送りにしやがって……」


 どうやら男達はシューレが捕まえたスリの仲間らしい。


「女はなかなかの上玉だ、傷物にするんじゃねぇぞ。にゃんころは始末しちまえ」


 親玉らしい犬人の男がナイフを抜くと、他の四人も一斉にナイフをぬいたが、シューレは慌てた素振りもみせず私を地面に下ろした。


「殺しても構わないから、訓練通りに……後ろの二人は任せたわよ」

「うにゃぁ、そ、そんな……」

「私と立ち会ってる時を思い出しなさい」


 シューレは私の肩をポンと叩くと、スタスタと親玉の男に歩み寄っていった。


「なんでぇ、聞き分けがいいじゃ……ぐへぇ!」


 シューレは何の力みも見せずに歩いている途中から、まるで瞬間移動したかのように踏み込んで、親玉の男の鳩尾に強烈な前蹴りを叩き込んだ。

 ニャンゴが槍を突き出されているみたいだと評するシューレの前蹴りを食らった男は、体をエビのように折り曲げながらすっ飛んだ後、ゴロゴロと転がって動かなくなった。


 突然の出来事に、四人の男達は何が起こったのかも分からず固まっている。


「ミリアム!」

「はっ、風よ!」


 シューレに声を掛けられたおかげで、男達よりも早く動き出せた。

 風属性魔法で作った刃を飛ばして狙ったのは、男達のナイフを握った手だ。


「うぎゃぁぁぁぁ!」


 男達が悲鳴を上げ、ナイフと一緒に何かがバラバラと地面に落ちた。


「うんうん、ミリアムも有能……」


 上機嫌な声に振り返ると、シューレは残りの二人も既に倒し終えていた。

 ナイフと一緒に地面に落ちたのは、男達の指だった。


 シューレは、私の魔法で右手の人差し指から小指までの四本を失った男二人に歩み寄り、一人を前蹴りで黙らせると、もう一人の喉笛に短刀の切っ先を突き付けた。


「全員に伝えておきなさい。次にちょっかい出してきたら殺す……」


 男がガクガクと頷くと、シューレは短刀を腰の鞘に戻した後で、強烈な下段蹴りを食らわせた。


「ぐあぁぁぁ……」


 悲鳴を上げた男の左足は、曲がってはいけない方向に曲がっている。


「行くわよ……拠点に戻るまで気は抜かないでね」


 シューレは、いつものように素っ気なく、いつもよりも少し満足そうに言うと、拠点に向けて弾むような足取りで歩き始めた。

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