第584話 陞爵の意味
慰労会が終わり、王族の皆さんを見送った後、オラシオ達を施設の出口まで見送りに行った。
本当ならば、明日は休日のオラシオ達と去年と同じように遊びに行くつもりでいたのだが、叙任式に出なければならなくなったので中止だ。
「じゃあな、オラシオ」
「うん、ニャンゴも元気で……」
慰労会の間にも話をしたし、なんだかんだいってもオラシオとは会う機会も増えているので、去年のような湿っぽい別れはしなくてすんだ。
オラシオ達は、明後日には訓練を再開させるらしい。
オラシオ達を見送って宿舎に戻ると、騎士団長が待っていた。
「エルメール卿、どうだね一杯?」
「お酒は弱いので、それ以外でよろしければ……」
正騎士用の宿舎には、食堂の他にラウンジがあって、非番前夜の騎士達が酒を酌み交わしていた。
ラウンジでは騎士団の階級に縛られない、いわゆる無礼講の不文律があるそうだが、それでも騎士団長ともなれば敬礼はしなくても目礼を送られる。
騎士団長も笑顔で軽く手を挙げて応えるだけで、堅苦しい空気は感じられなかった。
「私は、いつものを……ニャンゴは?」
「俺はカルフェを」
「こんな時間にカルフェなんて飲んだら眠れなくなるのではないか?」
「アンブリスさん、猫人の睡眠欲求を舐めてもらっちゃ困ります。今だって気を抜けば、十数える前に眠る自信がありますよ」
「ふははは、それはそれは、引っ張ってきて申し訳なかったな」
「いえいえ、アンブリスさんと仕事を離れて会話する機会なんて、めったにあるものじゃないですからね」
騎士団長は琥珀色をした蒸留酒のストレート、俺は砂糖とミルクをたっぷり加えたカルフェで乾杯した。
「ニャンゴ、すまなかった」
「えっと……なにがでしょう?」
「名誉子爵の件だ。迷惑だったろう?」
「うーん……正直、まだ実感が無くて、迷惑かどうかも分からないです」
「王家としては、領地を与えて縛りたかったらしいが、それではかえって辞去されかねないと、バルドゥーイン殿下と一緒に止めたのだが、名誉職だけは止められなかった」
「そうだったんですか……」
どうやら、俺に対する王家の評価は、俺が考えているよりも遥かに高いらしい。
今回の『巣立ちの儀』の警備でも活用したアーティファクトを使った偵察、上空からの追跡、そして攻撃。
言ってみれば、俺は偵察機と爆撃機を兼ねたような存在だ。
仮に戦争に活用されれば、それこそ一人で戦況を左右するような存在になっている。
「ニャンゴは、そのような事は考えていないだろうが、国を守る立場の者からすれば頼もしくもあり、恐ろしくも感じる存在になっている」
「俺は、シュレンドル王国に反逆する気なんて無いですよ」
「今はそうだろうが、例えば隣国エストーレが攻め込んで来て、アツーカ村の住民を人質に取ったらどうだね?」
「それは……」
背中にヒヤリとしたものが走った。
もし、カリサ婆ちゃんを人質に取られて、シュレンドル王国を裏切れと言われたら、すぐには答えを出せないだろう。
「王国はエストーレとの国境を警備するビスレウス砦の兵員を増やす決定をした。勿論、今すぐエストーレが攻めて来る訳ではないが、万が一の時にアツーカ村の住民をイブーロなどへ移送する準備を整えることにした」
「それって、俺のためなんですよね?」
「エルメール卿に安心してもらうための措置だな」
有事の際でも、エストーレが俺の弱みを握らないための措置なのだろうが、穿った見方をするならば、いつでも俺の弱みを握れると言われているようにも思える。
恐る恐る、俺の懸念を伝えてみると、騎士団長は渋い笑みを浮かべてみせた。
「やはりニャンゴは鋭いな。その歳で、そこまで物事の裏側を考えられる者は滅多にいないぞ」
「冒険者の先輩に恵まれていますからね」
「そうか、上官の命令に忠実であれと教わる騎士団とでは環境が異なるのだろうな」
大きな組織の場合、命令や指示を無視して行動する者がいれば、組織全体が瓦解しかねない。
一方の少人数の冒険者パーティーの場合でも、勝手に突っ走る者がいればパーティー全体が危険に晒されたりするが、馬鹿を切り捨てれば他の者は助かるケースの方が多い。
それに、パーティーを組んでいても基本的に冒険者は自己責任だ。
チャリオットもリーダーであるライオスの意見を尊重はするが、個人の意見もないがしろにせず話し合いをして方針を決めている。
俺だけでなく、兄貴やミリアムも意見を求められ、考えることを要求される。
騎士団の騎士達だって、何も考えていないという訳ではないのだろうが、それでも冒険者とは求められる物が異なるのだろう。
「ニャンゴは、騎士ではなく冒険者でいたいのだろう?」
「そうですね。市民を守る騎士の仕事も魅力的ですが、まだダンジョンの発掘も途中ですし、未知の大陸も魅力的ですよね」
「あぁ、タハリに流れ着いた漂流船だな?」
「はい、魔導具の類が殆ど載っていませんでした」
「それは、未開の民族ということなのか?」
「分かりません。もしかしたら魔法が使えない人達かもしれません」
「魔法が使えない? そんな者が居るのか?」
漂流船の船員の遺体は、いわゆるケモ耳ではなく、服の中は確かめていないが尻尾も無かった。
ダンジョンで発見された写真集などに写っていた、先史時代の人類の生き残りである可能性もある。
ダンジョンの発掘品や漂流船の積み荷など、俺が見聞きして前世の知識と突き合わせて考えた推論などを語ると、騎士団長は目を輝かせて聞き入っていた。
気付くと周囲の話し声も小さくなっていて、どうやら俺達の話を横聞きしているらしい。
「なるほど、そのような物と遭遇するなら冒険者は辞められないな」
「はい、王都にいたのでは味わえない面白さです」
「私も、今の家に生まれていなければ冒険者の道を選んでいたのかもしれんな」
「エスカランテ家は、代々王国騎士団長を輩出されているんですよね?」
「そうだ。エスカランテ家の嫡男に生まれれば、王国騎士団長を目指すことを暗黙のうちに義務付けられるからな。正直、重荷に感じたこともある」
一国の騎士団長になれと言われるのは、子供の頃であれば大きな夢で済むかもしれないが、ある時期からは相当なプレッシャーになるはずだ。
昨年の『巣立ちの儀』の時に一緒だったデリックなどは、エスカランテ家の四男だから騎士団長になれなかったとしても周囲から責められたりはしないだろう。
だが、嫡男という立場だったら、そのプレッシャーは俺などが想像するよりも遥かに重たいのだろう。
「凄いですね、そんな重圧を撥ね退けて騎士団長にまで昇りつめるなんて……」
「それ以外に道が無かったからな、唯々突き進んできただけだ。私から見れば、ニャンゴの功績の方が遥かに凄いと思うぞ」
「俺の場合は周囲の人に恵まれたし、色々な幸運も重なったからですよ」
カリサ婆ちゃんやゼオルさんみたいに、猫人であろうと差別せずに教え、鍛えてくれた人がいるから今の俺がある。
前世の知識は勿論役に立っているけれど、それだけでは冒険者になれなかったと思う。
「地方の小さな村に猫人として生まれ、空属性魔法を授かった者の言葉とは思えぬな。若い頃、上官から常識に囚われすぎるなと言われたが、私ではニャンゴのように常識を覆す活躍は出来なかったと思うな」
「それこそ、俺には猫人の体と空属性魔法しかなかったから、これで何とかするしかなかったんです。常識に囚われていたら、冒険者になる夢なんて叶わなかったから」
夢を叶えて冒険者になったのだから、敵対する気は無いけれど、これ以上は国に縛られていたくない。
「ニャンゴ、明日の叙任式だが、王都に滞在している貴族の殆どが出席するはずだ。中にはニャンゴの陞爵を快く思わない者達もいるだろう。貴族の中には……いや、一部の王族にも猫人を侮る者もいる」
昨年、暗殺されたアーネスト第一王子殿下やグロブラス伯爵からも、劣等種なんて言葉を投げつけられた。
現在、シュレンドル王国に猫人の貴族は俺以外には一人もいない。
「いまだに差別意識を持っている者もいるが、国王陛下はニャンゴを認めているし、国にとって欠かせない人材であると考えている。今回の陞爵はニャンゴの功績を広く喧伝するためでもある」
「俺は、世の中から猫人に対する差別を無くしたいと思っています。正直、名誉子爵の地位は重荷でもありますが、世の中の意識を変える一助にもなると思っているので、明日の叙任式では全ての猫人のために堂々と振舞うつもりです」
「全ての猫人のためか……貴族に相応しい考えだな。学院で女の尻を追い掛けるしか能の無い貴族の放蕩息子どもに、ニャンゴの爪の垢を煎じて飲ませたいものだ」
「ははっ、それだけシュレンドル王国が平和だという証拠じゃないですか」
「そうかもしれぬが、反貴族派に手を焼いている我々からすれば、少しは市民の手本になるような生き方をしろと言いたくもなる」
『巣立ちの儀』の警備とは関係が無いので俺はよく知らないけれど、おそらく貴族の放蕩息子たちの尻拭いを押し付けられているのだろう。
騎士団長の地位に昇りつめても……いや、昇りつめたからこその苦労もあるのだろう。
あんまり突っ込んで聞いても気晴らしにならないと思い、これまで討伐してきた大型の魔物の話をしたり、騎士団の討伐方法などを聞いて日付が変わる頃まで騎士団長と語り合った。
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