第579話 知らにゃかった

『巣立ちの儀』が無事に終わって、完全に気が抜けていた。

 一ヶ月近くの騎士団の施設に泊まり込んで、空撮に画像チェック、怪しい輩の追跡、アジトの発見、我ながら本当によく働いたと思う。


 その苦労が報われて、儀式は滞りなく行われ、会場が笑顔で溢れていたのだから、舞踏会で少しぐらい気を抜いたって罰は当たらないんじゃにゃいの?

 騎士団長経由で舞踏会の招待状が届いた時、会場が二つに分かれていると聞かされた。


 片方は子爵以上の上位貴族、片方は男爵以下の下位貴族の会場で、往来には暗黙のルールがあるという説明は受けたが、そもそも移動するつもりが無かった。

 舞踏会といっても、王城の料理人が腕を振るった料理が出されると聞かされたので、俺は踊らずに食べていますと答えたのだ。


 ダンスは男性から女性を誘うものだと聞かされたので、俺は踊らなくて済むと思っていたのだ。

 だいたい、猫人の俺と貴族の皆さんでは背丈が違いすぎる。


 ステップを使えば目線は合わせられるだろうが、体格が違っていては上手く踊れるはずがない。

 相手にとっては、縫いぐるみを抱えてダンスの練習をしているようなものだ。


 なので、俺は心ゆくまで、うみゃうみゃ三昧を楽しむつもりだったのだが……その目論みは舞踏会が始まって早々に崩れ去った。

 バイキング形式で提供される料理を、あれもこれもと取り分けてもらい、隅っこのテーブルで堪能していたのだ。


「うみゃ、貝柱のカルパッチョ、うみゃ! 貝柱、あみゃ!」

「やぁ、ニャンゴ、今夜も美味しそうに食べてるな」

「にゃっ、ファビアン殿下、それにエルメリーヌ姫殿下……どうして、こちらへ?」


 突然声を掛けられて視線を上げたら、そこには王族兄妹の姿があったのだ。


「決まっているさ、こちらの方が楽しそうだと思ってね。なぁ、エルメリーヌ」

「はい、あちらの会場には名誉騎士様はいらっしゃいませんから……」


 ニッコリと花が咲き誇るように笑みを浮かべたエルメリーヌ姫なのだが、瞳に怪しげな光が宿っているようで、思わず食べかけの貝柱をゴクリと飲み込んでしまった。


「僕が料理をとって来よう、エルメリーヌはここで待っておいで」

「はい、お兄様」

「料理なら俺が……」

「いやいや、ニャンゴはエルメリーヌの相手を頼むよ」


 昨年の『巣立ちの儀』から一年が過ぎて、大人っぽくなったエルメリーヌ姫は美しさにも磨きがかかっている。

 もちろん、綺麗なお姫様とご一緒するのは嫌ではないけど、にゃんだかちょっと怖いんだよねぇ。


「ニャンゴ様は、ダンスはなさらないのですか?」

「はい、ダンスは習ったこともございません」

「まぁ、それは勿体ない。折角舞踏会にいらしたのですから、ダンスも楽しんでいただきたいですわ」

「ですが、背丈も体格も違うので、息を合わせて踊るのは難しいかと……」

「ニャンゴ様は、魔法を使えば宙を歩けますよね?」

「はい、それは問題ありませんが……」

「でしたら、試してみませんか?」

「えぇぇ……姫様とですか?」

「私では嫌ですか?」

「と、とんでもない、ご迷惑じゃないかと……」

「迷惑なんて思うはずがありませんわ。さぁ!」


 エルメリーヌ姫から誘われているのに、名誉騎士風情が断れるはずもなく、ダンスフロアに連れ出されてしまった。

 当然のごとく、周囲から視線が突き刺さって来た。


 シュレンドル王国のダンスは、フォークダンスと社交ダンスの中間みたいな感じだろうか。

 基本的なステップを教えられて、エルメリーヌ姫の手をとって踊ったのだが、ぜんぜん様になっていない。


「にゃ……うにゃぁ……」

「間違えても、私が支えますから大丈夫です」

「そう言われましても……」


 下手にステップを展開すれば、姫様の体にぶつかりかねないから、なるべく小さくしなきゃいけないし、今夜は靴も履いてるし、めちゃくちゃ神経を使う。

 それに、ダンスは途中で男女が密着する振り付けもあって、年齢の割に発育の良い胸の谷間に突っ込みそうになったり、鼻と鼻がぶつかりそうになったり、ヒヤヒヤしっぱなしだった。


 一曲で終わるかと思いきや、そのまま二曲目に突入すると、開き直ったのと慣れてきたのとで、だんだん楽しくなってきてしまった。

 姫様に振り回されるようにクルクル回ったり、密着しながら頬ずりされたり、もうどうにでもなれと三曲も続けて踊ってしまった。


 さすがのエルメリーヌ姫も、三曲立て続けに踊って疲れたのか、一旦休憩しましょうと元のテーブルへと戻ると、ファビアン殿下が学友たちと談笑していた。

 輪の中には、ラガート子爵の次男カーティスの姿もあった。


「ご無沙汰してます、カーティス様」

「活躍の噂は聞いているよ、エルメール卿」

「子爵様は、あちらの会場ですか?」

「あぁ、ダンスというより、腹の探り合いだな……それよりも、踊り終えたらレディーに飲み物を勧めるものだぞ」

「にゃっ、失礼しました、姫様」


 慌てて飲み物を取りに行き、急いで戻ろうとしたら、さっと目の前を横切ろうとした人物がいた。

 慌てて足を止めたが、手にした飲み物が勢いよく飛び散っ……たりしないんだにゃ。


 咄嗟に空属性魔法でグラスに蓋をしたから、飲み物は一滴たりとも飛び散っていない。


「ちっ……気を付けたまえ」


 俺と同ぐらいの歳の男性貴族は、小さく舌打ちをした後で不機嫌そうに言い放った。


「す、すみません」


 一応頭は下げておいたが、その舌打ちは猫人がウロチョロしている事への舌打ちなのか、それとも飲み物浴びて俺を非難する当てが外れたことへの舌打ちなのか、両方なのか……。

 いずれにしても、俺の存在を快く思わない人間が一定数いるのは間違いない。


 テーブルに戻り、エルメリーヌ姫と一緒に喉を湿らせた。


「ニャンゴ様、あちらの会場には美味しいケーキもございますよ」

「にゃっ、ケーキ……」


 こちらの会場の料理は一通り見て回ったが、ケーキなどのデザートは見当たらなかった。


「でも、あちらの会場に俺は出入り出来ないのでは?」

「そのような仕来たりなど気にしなくても構いませんが、私をエスコートしていただければ大丈夫ですよ」


 王族や上位貴族と一緒ならば、男爵以下の者も上位貴族の会場に入れるそうだ。

 入れるならば、そこにケーキがあるならば、行かねばなるまい。


 まんまとケーキに釣られて上位貴族の会場に足を踏み入れ、ケーキの前にまた三曲続けて踊らされてしまった。

 一曲目を踊り始めた時から、下位貴族の会場よりも目立っているのは分かった。


 二曲目を踊り始めたら、ひそひそ囁く声が聞こえてきて、三曲目にはざわめきに変わっていた。


「まさか、姫様は本気ではあるまいな」

「おもちゃで遊んでいるだけだろう」

「あの身の程知らずの劣等種が……」


 ここに至って、さすがに俺でもやらかしていると気付いたが、何をやらかしたのかまでは分からなかった。

 三曲を踊り終え、ようやくケーキにありついて、うみゃうみゃしていたら、いかにも貴族の息子といった服装の三人組が現れて、エルメリーヌ姫をダンスに誘った。


 誘いを受けて踊ると思いきや、少し休憩してから……ケーキを食べ終えてから……お茶を飲み終えてから……などと散々ジラした後で、二人と一曲ずつ踊っただけで、後は疲れたからと断わってしまった。


 ダンスを三曲踊る意味は、姫様が二人目の男性と踊り始めた時に歩み寄ってきた、ラガート子爵の娘アイーダが教えてくれた。


「こんばんは、アイーダ様、今夜もお美しいですね」

「こんばんは、エルメール卿……呑気にケーキを食べてる場合じゃないですよ」


 アイーダは、見事な仕草で挨拶をした後で、声のトーンを落としてダンスを三曲踊る意味を忠告してくれた。


「にゃにゃっ、そんにゃ話は……」

「聞いてなかったのは二回目ですね」


 一回目は、昨年の『巣立ちの儀』の日にエルメリーヌ姫から近衛騎士就任を意味するメダルを受け取ってしまったことだ。

 今回は、貴族の集まる舞踏会で相思相愛をアピールするダンス三曲を、二つの会場でやらかしたことになるから、三回目といっても良いかもしれない。


 エルメリーヌ姫は俺とは六曲も踊ったのに、今日は疲れてしまいましたと、三人組の最後の一人の誘いを断わってしまった。

 振られた彼からは物凄い形相で睨まれたけど、気持ちは分かるから腹立たしいと思うよりも申し訳ない気持ちでいっぱいだった。


 許せ……全部ケーキがうみゃいのが悪いのだ。

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