第576話 儀式当日
春分の日、『巣立ちの儀』当日は好天に恵まれていた。
一年前の今日、文字通り王国を揺るがすような騒ぎが起こった。
ミリグレアム大聖堂の会場で亡くなった人の数は二百名以上、その多くは観客席で雪崩のように人が倒れたことによる圧死だった。
こうした惨事が起こった場合、節目の日には慰霊の行事が行われるものだが、『巣立ちの儀』は人生の大きな節目なので優先して行われることになった。
今日は『巣立ちの儀』を祝い、明日は慰霊の祈りの日となる。
アーネスト王子の一周忌と襲撃で亡くなった人達の慰霊祭が大聖堂で営まれる予定だ。
俺はそちらの式典の警備にも参加するように依頼されているが、今日はとにかく『巣立ちの儀』が無事に終わるように、出来る限りのことをするだけだ。
今日を迎えるにあたって、数日前から新王都では俺に関する噂話が流れていた。
『巣立ちの儀』の会場警備には、昨年エルメリーヌ姫を守り抜いた『不落の魔砲使い』ことニャンゴ・エルメールが加わり、アーティファクトを駆使して警戒にあたるというものだ。
空を駆ける黒猫騎士とアーティファクトの組み合わせは強力無比で、既に多数の反貴族派を捕らえているし、当日騒ぎを起こしても必ず捕縛されるといった内容になっている。
実はこの噂、当日の襲撃を思いとどまらせる一助になればと、王国騎士団が意図的に流したものだ。
新王都では、俺が想像するよりも名前が知られているようで、そこに実動するアーティファクトという要素を加えることで、いわゆるハッタリをかましているのだ。
四日前からは、それまで街の人達に気付かれない高さから行っていた偵察を、あえて目立つ高度で巡回するように騎士団長から頼まれた。
小さい子供たちから手を振られているのを見たら手を振り返し、巡回というよりもパレードでもやってるような気分だった。
そうした俺の行動に業を煮やしたのか、人質を取って名指しで殺害宣言する輩も現れたが、オラシオと同室のルベーロが注意を惹き付けてくれたので、すんなり制圧できた。
その犯人グループが人質にしていたのが羊人の幼い女の子で、第三街区では低価格で庶民の味方とされる店の経営者の子供だったので、更に噂話が広がったらしい。
俺としては、もっと騎士候補生の頑張りが多くの人に知られてもらいたいのだけど、『巣立ちの儀』が終わるまでは広告塔の役目を果たすしかなかった。
それに、黒猫人の俺が有名になるのは、猫人への差別撲滅の一助にもなりそうだから、『道化のリゲル』になったつもりで頑張った。
こうして迎えた『巣立ちの儀』の当日、俺は昨年と同じく会場の警備に参加することになった。
配置の場所も、昨年と同じ観客席を見下ろす櫓の上だ。
当初は王族の席を守るという案も出されたそうだが、これは近衛騎士達からの反対と国王陛下の判断で却下となった。
近衛騎士とすれば、自分達の領分を侵されるというか、存在価値を否定されるようなものなので、反対するのは当然だろう。
一方、国王陛下は近衛騎士たちの心情を慮ったというよりも、儀式に参加する子供の安全を優先したいようだ。
国王陛下からは、昨年と同じような襲撃があった場合、一人でも多くの子供を守ってくれというメッセージが届けられた。
今年は儀式に参加する王族はいないが、貴族の子供は居るので、その子らを中心にして平民の子供も集めてシールドで守るつもりでいる。
ただ、参加人数が多いので、全員を無傷で守るのは難しいだろう。
まぁ、これまでに相当な量の粉砕の魔道具などを発見押収したので、昨年と同規模の襲撃は難しいだろう。
一番良いのは、何事も無く無事に儀式が終わることだが、少なくとも明日の慰霊祭が終わるまでは気を抜けない。
会場に着いて、昨年と大きく変わったと感じたのは俺に対する騎士団の反応だ。
昨年と同様に革鎧を身に付けているのだが、胸当てや背当てなどのパーツに入っているのはラガート子爵家の紋章ではなくシュレンドル王家の紋章だ。
名誉騎士として警備に参加するのだから……といって、バルドゥーイン殿下から手渡されてしまっては着用しない訳にはいかない。
当日までに騎士団と協力して反貴族派の摘発を進め、王家の紋章入りの革鎧を着て参加しているおかげで、会場の何処にいても騎士から行動を咎められることは無い。
昨年は、エルメリーヌ姫から借りたメダルを持っていなかったら、監視用の櫓にも登れないところだった。
実績を積み、名前も売れ、存在も知られたおかげなのだが、着々と王家に引き入れられている感は否めない。
俺としては、早く冒険者生活に戻りたい。
明日の慰霊祭が終わったら、オラシオ達と休日を楽しんで、さっさと旧王都の拠点に帰ろう。
「エルメール卿、よろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしくお願いします。晴れて良かったですね」
「えぇ、絶好の儀式日和ですね」
監視用の櫓でも、邪魔者扱いだった昨年とは打って変わって歓迎された。
儀式までの間も、同じ櫓で警備する騎士と会場警備の変更点などを和やかに話せた。
今年は、昨年の惨事を教訓にして、観客席に入れる人数を制限するそうだ。
会場も、昨年までは普通の建物だと三階分ぐらいの高さが階段状になっているだけだったが、今年は上から下までを六分割して計五列の柵が作られている。
「なるほど、これなら上から下まで転落する心配は要らないですね」
「はい、転落する人が居ても、柵で止まれば昨年のように多くの人が亡くなることはないでしょう」
警備の配置についた当初は、同じ櫓の騎士も談笑する余裕があったし、会場の空気も和やかだったが、観客が入り始め、貴族達が集まり始めると徐々に緊張感が高まっていった。
そして、国王陛下をはじめとした王族の方々が姿を現すと、観客は歓声を上げて喜んでいたが、警備担当達の表情が一気に引き締まった。
儀式に参加する子供たちが入場し、右手に宝杖を携えた大司教が姿を現すと、会場全体が水を打ったように静まり返った。
そして、『巣立ちの儀』の開催を告げる大聖堂の鐘が打ち鳴らされる。
カ──ン……カ──ン……
甲高く澄んだ鐘の音が響くごとに、会場を包む空気が張り詰めていく。
昨年の襲撃が、この鐘の音が止んだ直後に始まったことを会場にいる多くの者が知っているのだろう。
自分の身内や友人、知人を襲撃で亡くした人達なのだろうか、手を組んでじっと祈りを捧げている人も居る。
監視用の櫓に上がった騎士の多くは、会場ではなく空を見上げていた。
今回、櫓の上に配置された騎士の多くが風属性魔法の使い手で、仮に昨年と同様の襲撃が行われた場合には、全員が協力して会場上空に西向きの強風を作るそうだ。
それだけで会場全体を守れる訳ではないが、騎士団として苦肉の策らしい。
カ──ン……カ──ン……
鐘が鳴る度に高まっていた緊張感は、十回目の鐘の音と共に最高潮に達した。
会場に集まった誰もが息を呑み、余韻が消えた後も耳を澄まし続けていた。
五秒、十秒、二十秒……ざっと見ただけでも二万人以上が集まった会場は、針を落とした音さえも聞き取れそうな静寂に包まれていた。
「これより、『巣立ちの儀』を執り行う……」
大司教の厳かな声が響くと、会場からは安堵の溜息が聞こえてきたが、警備を担当する騎士は誰一人気を緩めていなかった。
それまで空に向けられていた視線は会場へと向けられ、不審な動きをする者が居ないか参加者、観客、教会関係者まで行動を監視されていた。
何事も無く儀式が進行し、子供達が初めての魔法を披露する毎に会場の空気は和んでいったが、騎士たちは気を緩めない。
昨年、アーネスト王子が殺害されたのは、会場から避難する途中だったし、まだ儀式が終わった訳ではないからだ。
一連の儀式が滞りなく終わり、王族、貴族の方々、観客達が会場を後にして、ようやく騎士達は肩の荷を半分だけ下ろした。
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