第570話 大局を眺める目
「昨日から戻っていない?」
「はい、第三街区の店に行かれて、そのまま旧王都の孤児院に向かわれたみたいなんです」
「そうした事は、良くあるのかね?」
「まぁ……無いとは言えないですね。情に厚いというか、直情的というか……」
指示役の男が自爆した翌日、俺はツェザール第二師団長と共にミリグレアム大聖堂の巡礼者用宿舎を訪れた。
売店の三十代ぐらいに見える羊人の女性店員に番頭なる人物が居ないか訊ねたのだが、どうやら昨日出掛けたまま戻っていないらしい。
考えてみれば、ここを俺が探っていると気付いているのだから、戻らずに逃亡を図ることは十分考えられる。
羊人の女性店員の話によれば、指示役の男が番頭なる人物を追って第三街区の店に向かった後、店から若い店員が来て事情を説明していったそうだ。
それによれば、旧王都の孤児院で金銭的なトラブルが発生していて、柄の良くない連中が怒鳴り込んで来て困っているらしい。
といっても、どこまで本当の話なのかは分からない。
普段は強面のツェザール師団長だが、羊人の店員には柔和な表情で上手く話を聞き出している。
本人が居ない以上、どういった人物なのか情報を引き出そうとしているらしい。
「では、番頭と呼ばれているのは、ダグという白虎人の男性で、ここの孤児院で育ち、各地の孤児院との折衝や売店を取り仕切っているんだね?」
「そうです。私も孤児院の出身なんですが、ダグは小さい頃から頭が良くて、みんなのリーダーでした」
「年齢は?」
「えーっと……二十……そう、バルドゥーイン殿下と同じ歳です」
「ほぅ……」
「こんな事を言うと不敬なんでしょうが、バルドゥーイン殿下と同じ年に生まれた白虎人なので、王族の落とし種じゃないか……なんて、あぁ私が言ったんじゃないですよ。そんな事を言う人も居たって話で……」
「大丈夫、その程度の事で咎めたりはしないよ」
羊人の店員は元々話好きでもあるらしく、ペラペラと聞いてもいないような話まで語ってくれた。
ダグという白虎人の男は体格も良く、商才にも長けているらしい。
巡礼者用宿舎の売店では、ファティマ教の経典やお土産用の女神像などが売られている。
経典は簡素な実用品から豪華な装丁が施された物まであり、一番高い物だと金貨数枚の値段が付けられていた。
女神像も同様で、木彫りや素焼きの簡素な物から、釉薬が掛けられて綺麗に彩色された物や宝石が嵌め込まれたり、金箔がほどこされた物もある。
元々は、簡素な品物しか置かれていなかったそうだが、ダグがアイデアを出し、工房などとも交渉を行って新しい商品を次々に作り出しているそうだ。
しかも、単に商家を儲けさせるだけではなくて、孤児院の出身の子供を働きに出し、技術が身についたら教会の支援で独立させて、自分達の商売にしているらしい。
当然、今までとは比べ物にならない利益が出ているそうだが、それらは新王都以外の孤児院のためにも使われているそうだ。
新王都の孤児院はミリグレアム大聖堂に多くの巡礼者が訪れるので資金的に余裕があるが、地方の教会孤児院では運営に苦慮している所も少なくないらしい。
ダグという男は、そうした地方の孤児院を回って、生活環境の改善も行っているそうだ。
「支援するのは孤児院だけなのかね? 例えば、貧しい開拓村とか……」
「あぁ、そうです、そうです、貧困地域を回ってファティマ教の布教活動もしています」
食料などの生活物資を支援して、ファティマ教の教義を説いて回ったりもしているらしい。
とは言っても、この羊人の女性が直接見聞きした訳では無さそうなので、貧しい地域を回っている時に何をしていたのか実際のところは分からない。
ダグは土産物販売の実績が認められて徐々に仕事を任されるようになり、今では教会の備品、教会職員の制服、食事、生活用品などの仕入れも一手に行っているようだ。
つまり、ミリグレアム大聖堂の大きな資金を自由に扱える立場にあるらしい。
「そうか、色々聞かせてもらって助かった。ちょっと第三街区の店にも行ってみるよ」
「そうですか、お役に立てたなら何よりです」
羊人の店員の話が、ダグには女性の影が見えないから男色趣味なんじゃないか……とか本題から脱線し始めたところで、ツェザール師団長は聞き取りを切り上げた。
というか、羊人の店員は何でツェザール師団長がダグについて聞き取りを行っているのか理解出来ていなかったんじゃないかな。
「それほど教会で重要視されている人物なら、反貴族派の疑いがあるなどと言えば抗議が来るかもしれないからな。適当にぼやかしておくに限る。それに、あの手の女性は持っている情報を披露すれば満足するものだ」
第一印象は良くなかったが、さすがに騎士団で師団長まで出世するだけあって、色々と経験を積み重ねているのだろう。
俺が聞き取りを行っていたら、真っすぐに切り込みすぎて反発を食らっていたかもしれない。
ツェザール師団長は大聖堂の司教にも面会を求め、反貴族派が入り込んで騒動を起こさないように、敷地内に警護の人員を配置する話を取り付けた。
ダグという男が反貴族派である疑いは濃厚だが、教会の司教などが関わっているかは分からない。
ただ、ツェザール師団長が警護の人員を配置する申し出をすると、司教は本心で有難がって礼を述べているように見えた。
この後、俺達は第三街区にある反貴族派アジトと思われる店へと向かった。
ツェザール師団長は、俺の他に四人の部下を連れてきている。
この四人は第三街区の店の警護をする……という名目の監視要員だ。
「では、エルメール卿、手筈通りに」
「はい、後程……」
ここで俺は、ツェザール師団長達と別れて上空へと駆け上がった。
ツェザール師団長が店に入った後、裏口から飛び出していく連中をマークするためだ。
上空からも内部の会話を聞けるように、ツェザール師団長には空属性魔法で作った集音マイクを渡してある。
集音マイクで拾った音を手元に作ったスピーカーで再生して、アーティファクトのスマホで録音する。
科学と魔法が交わる時、ハイブリッドな諜報システムが出来上がるのだ。
「エルメール卿、聞こえてるかな?」
「はい、良く聞こえてます」
「ほう、この声量でも聞こえるのか。会話を聞きながら、出て行く者達を監視するのは忙しいと思うが、よろしく頼む」
「はい、会話は後で聞き直せるので、とりあえず店から出て行く者の監視を優先します」
「分かった、では始めるとしようか」
「はい」
マイクの調子を確認した後、ツェザール師団長は表通りに面した正面から店に入っていった。
監視要員の四人も一緒だ。
ツェザール師団長が店に入った直後、店の裏口から三人ほどが慌ただしく飛び出して行った。
勿論、探知ビットを貼り付けたので、追跡には余念がない。
店に入ったツェザール師団長は、責任者を呼び出して騎士団から警護の人間を出す旨を伝えた。
「昨年は教会が狙われたが、今年は関連施設も狙われる可能性を否定できない。なので、教会と縁が深いこの店にも、騎士団から警護の人間を派遣することにした。店の人間には、常に身分証を所持するように徹底させてくれ」
「分かりました」
「それと、店に運び込まれる荷物や運び出される物は、騎士団が中身を確認するかもしれない」
「な、中まで確認するのですか……」
「面倒なのは理解出来るが、そなた達の安全を守るための措置だ。店の者には徹底させてくれ」
「分かりました」
店の遥か上空からでは、ツェザール師団長と話している相手の表情までは見えないが、話しぶりからは動揺が伝わってくる。
ツェザール師団長と話してる男は、本来の店の責任者ではないそうだ。
本来の店の責任者は、昨日のうちに例のダグと呼ばれている男と共に旧王都に向かったらしい。
ただし、本当に向かったのか、それともそう言えと命じられているのかは分からない。
どうやら自爆した指示役の男に気を取られているうちに、反貴族派の幹部と思われる連中は姿を消したようだ。
空属性魔法の探知ビットと上空からの監視を組み合わせた追跡方法を過信して、相手の対応力を舐めすぎていた。
ツェザール師団長は店の現時点での責任者と、騎士団の人員を配置する話を付けた。
部下四人を店の周囲に残して出てきたツェザール師団長は、そのまま騎士団に戻るようだ。
集音マイクを通して、ツェザール師団長が声を掛けて来た。
「店に残っている連中も反貴族派について知っていそうだ」
「摘発はしないのですか?」
「反貴族派である証拠となる品物が見つかるまでは無理だな」
「教会への配慮ですか?」
「そうだ。だが監視を置いたから身動き出来んだろう」
「すみません、自分がもっと早く手を打っておけば、幹部を逃がさずに済んだかもしれません」
「なぁに、幹部を捕らえるよりも『巣立ちの儀』を無事に終わらせる方が重要だ。その点では着実に前に進んでいるから気にすることはないさ」
俺は目先の失敗に囚われていたが、ツェザール師団長は全体の進捗を眺めて判断しているようだ。
そうした大局を眺める視点も、まだまだ俺には欠けている。
「そうですね。自分は裏口から飛び出して行った三人の行き先を突き止めてから戻ります」
「ほぅ、まだ三ヶ所もアジトが残っているのだな?」
「おそらく……」
「教会に無縁ならば、さっさと潰してしまおう。追跡を頼む」
「分かりました。後程、報告に行きます」
欠けているなら、持っている人に補ってもらい、その間に学んで成長すれば良い。
まずは、目先の仕事を片付けてしまおう。
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